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🔶「超訳 ニーチェの言葉」〝抜粋〟

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   今から何年か前にベストセラーになった「超訳  ニーチェの言葉」(白鳥 春彦 編訳)を紹介します。哲学者「フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ」について、彼のさまざまな著作から訳者白鳥さんが抜粋選択して紹介した本です。ニーチェの言葉(文章)は、哲学者であっても表現は抽象的なところがなく、具体的で分かりやすいです。しかも文章は簡潔で詩のようなリズムがあります。

    例えば、「III.生について」にこんな一節があります。

                       ◇ いつかは死ぬのだから

   死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう。
   いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。
   時間は限られているのだからチャンスはいつも今だ。
   嘆きわめくことなんか、オペラの役者にまかせておけ。〈力への意志〉

 

  〝いま〟をポジティブにしっかり生きることを軽快なリズムで表していて、フレーズとして覚えたい一節です。

   あるいは「VII.人について」の中にこんな一節もあります。

                               ◇ 街へ出よう

   雑踏の中へ入れ。人の輪の中へ行け。みんながいる場所へ向かえ。
   みんなの中で、大勢の人の中で、きみはもっ
となめらかな人間になり、きっちりとした新しい人間になれるだろう。
    孤独でいるのはよくない。孤独はきみをだら
しなくしてしまう。孤独は人間を腐らせてだめにしてしまう。さあ、部屋を出て、街へ出かけ よう。〈デォオ二ュソスの歌〉

 

   この一節、なんだか本当に街の中に行きたくなる気分にさせます。この一節が私自身の生活行動を変えさせた点があります。私は8年前に単身で伊勢に来て生活していますが、当初は節約のためもあって休みの日もすべて自炊をしていました。それがこの本を読んだことがきっかけとなって、休みの日のランチは外に出でとるようになりました。もう伊勢とその周辺で200店舗程になります。しょうもない店もありますが、大半の店で働く人の頑張っている姿に刺激されます。とりわけ印象に残っているのが、ある店で働く〝西井さん〟という73歳になるおばさんです。店に入るお客様を入口でお迎えし、テーブルまで案内・誘導。注文から料理出しまで手際よく行い、合間には新人パートさんへの指導も静かな口調で行っている。あまりに見事で感動しました。私は現在62歳ですが、西井さんはこれからの人生の〝良き手本〟です。今は私も西井さんのように70過ぎても働けるまで働き続けたいと思っています。

 

   さて、この本ですが私が4年ほど前に図書館で借りて読み、とても気にいったものです。もともと訳者がニーチェの著作から厳選し抜粋した本ですが、更に私がいつでもどこでも短い時間で見られるようスマホアプリの「メモ」に、本の中から特に自分の印象に残ったものを抜粋してまとめてみました。でも、良い本、良い言葉というのは他の人にも伝えたくなるものです。そこで生まれて初めてブログで自分のスマホメモに残したものを公開することにしました。

   ニーチェの言葉は分かりやすい表現で簡潔に書かれているので、どんどん読むことができると思います。是非通読してみて下さい。しかし、問題があります。通読しやすいということは、意外に記憶に残りにくいということでもあります。ですから通読後は最初に戻って、改めて一項目ずつ考えながら読むことをおすすめします。朝起きて先ず10分間、あるいは出勤途中の電車の中で10分、仕事前に1日1項目ずつ読み、それについて自分なりに思索してみるのです。あるいは仕事帰りの電車の中で、寝る前の時間でもかまいません。何項目も読みすぎると自分のものにならないので、毎日1項目に絞って継続することが効果的です。そんな訳でニーチェの各言葉毎に「◯日目」を加えました。元本は232項目で構成されていますが、54項目を抜粋しました。従って「54日目」まであり、一日一項目で2カ月弱です。もちろん、本、文章の読み方は人それぞれです。読み方まで強制出来ません。なので「◯日目」は無視して結構です。単に通し番号と思ってください。それから〝ニーチェの言葉〟それぞれに私のコメントありません。言葉の捉え方は十人十色です。それぞれが自分なりに哲学してください。

   それから出来たら是非白鳥春彦さん編訳の「超訳   ニーチェの言葉」(発行  ㍿ ディスカヴァー・ツゥエンティワン)の購読をおすすめします。そして、自分なりの「ニーチェの言葉」〝抜粋〟を作ってブログに投稿してみて下さい。また違った「ニーチェの言葉」〝抜粋〟が出来ます。きっと面白いと思います。  

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🔶I .  己について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸


《1日目》
◇ 初めの一歩は自分への尊敬から


   自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。

   そうではなく、最初に自分を尊敬することから始めよう。まだ何もしていない自分を、人間として尊敬するんだ。

   自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。
   そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。
   それは自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊敬しよう。
                              〈力への意志〉

 

 

《2日目》
◇ 一日の終わりに反省しない


    仕事を終えて、じっくりと反省する。一日が終わって、その一日を振り返って反省する。すると、自分や他人のアラが目について、ついにはウツになる。自分のダメさにも怒りを感じ、あいつは憎たらしいと思ったりする。たいていは、不快で暗い結果にたどりりつく。
   なぜかというと、冷静に反省したりしたからなどでは決してない。単に疲れているからだ。疲れきったときにする反省などすべてウツへの落とし穴でしかない。疲れているときは反省をしたり、振り返ったり、ましてや日記など書くべきではない。
   活発に活動しているとき、何かに夢中になって打ち込んでいるとき、楽しんでいるとき、反省したり、振り返って考えたりしない。だから、自分をだめだと思ったり人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときはさっさと自分を休ませなければいけない。
                                   〈曙光〉

 

 

《3日目》
◇ 自分の主人となれ


   勘違いしてはならない。自制心という言葉を知っているだけで、なにがしか自制できているわけではない。自制は、自分が現実に行うそのもののことだ。
   一日に一つ、何か小さなことを断念する。最低でもそのくらいのことが容易にできないと、自制心があるということにはならない。また、小さな事柄に関して自制できないと、大きな事柄に関して上手に自制して成功できるはずもない。
   自制できるということは、自分をコントロールできるということだ。自分の中に巣くう欲望を自分で制御する。欲望の言いなりになったりせず、自分がちゃんと自分の行動の主人になるということだ。
                             〈漂白者とその影〉

 

 

《4日目》
◇ 自分の「何故」を知れば道が見える


   多くの方法論の本を読んでも有名な経営者や金持ちのやり方を学んできても、自分のやり方や方法がわからない。これは当然のことで、薬ひとつにしてもその人の体質に合わない場合がある。他人のやり方が自分に合わないのは不思議なことではない。
   問題はまず、自分の「なぜ」がちっともわかっていないということにある。自分がなぜそれをやりたいのか、なぜそれを望むのか、なぜそうなりたいのかなぜその道を行きたいのか、ということについて深く考えてないし、しっかりつかんでいないからだ。
   その自分の「なぜ」さえはっきりつかめていれば、あとはもう簡単だ。どのようにやるのかなんてすぐにわかってくる。わざわざ他人の真似をして時間をつぶすこともない。もう自分の目で自分の道がはっきりと見えているのだから、あとは歩いていけばいいだけになる。
                               〈偶像の黄昏〉

 

 

《5日目》

◇ 自分を知ることから始めよう


   自分についてごまかしたり、自分に嘘をついたりしてやりすごすべきではない。自分に対してはいつも誠実であり、自分がいったいどういう人間なのか、どういう心の癖があり、どういう考え方や反応をするのか、よく知っておくべきだ。

   なぜならば、自分をよく知っていないと、愛を愛として感じられなくなってしまうからだ。愛するために、愛されるためにまずは自分を知ることから始めるのだ。自分さえ知らずして、相手を知ることなどできないのだから。
                                 〈曙光〉

 

 

《6日目》

◇ 恐怖心は自分の中から生まれる


   この世の中に生まれる悪の四分の三は、恐怖心から起きている。
   恐怖心を持っているから、体験したことのある多くの事柄について、なおまだ苦しんでいるのだ。それどころか、まだ体験していないことにすら恐れ苦しんでいる。
   しかし、恐怖心の正体というのは、実は自分の心のありようなのだ。もちろんそれは、自分でいかようにも変えることができる。自分自身の心なのだから。
                                   〈曙光〉

 

 

🔶II .  喜について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《7日目》
◇ 喜び方がまだ足りない


   もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。喜ぶことは気持ちいいし、体の免疫力だって上がる。

    恥ずかしがらず、我慢せず、遠慮せず、喜ぼう。笑おう。にこにこしよう。素直な気持ちになって、子供のように喜ぼう。
   喜べば、くだらないことを忘れることができる。他人への嫌悪や憎しみも薄くなっていく。周囲の人々も嬉しくなるほどに喜ぼう。
   喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう。
                 〈ツァラトゥストラはかく語りき〉

 

 

《8日目》

◇ 誰もが喜べる喜びを


   わたしたちの喜びは、他の人々の役に立っているだろうか。
   わたしたちの喜びが、他の人の悔しさや悲しさをいっそう増したり、侮辱になったりしていないだろうか。
   わたしたちは、本当に喜ぶべきことを喜んでいるだろうか。
   他人の不幸や災厄を喜んではいないだろうか。復讐心や軽蔑 心や差別の心を満足させる喜びになってはいないだろうか。
                                〈力への意志〉

 

 

《9日目》

◇ この瞬間を楽しもう


    楽しまないというのはよくないことだ。つらいことからいったん目をそむけてでも、今をちゃんと楽しむべきだ。

   たとえば、家庭の中に楽しまない人がたった一人いるだけで誰かが鬱々としているだけで、家庭はどんよりと暗く不快な場所になってしまう。もちろん、グループや組織においても同じようになるものだ。
   できるだけ幸福に生きよう。そのためにも、とりあえず今は楽しもう。素直に笑い、この瞬間を全身で楽しんでおこう。
                               〈悦ばしき知識〉

 

 

🔶III .  生について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《10日目》
◇ 始めるから始める


   すべて、初めは危険だ。しかし、とにかく始めなければ始まらない。
                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《11日目》

◇ 少しの悔いもない生き方を


    今のこの人生を、もう一度そっくりそのままくり返してもかまわないという生き方をしてみよ。
                 〈ツァラトゥストラはかく語りき〉

 

 

《12日目》 

◇ 安易な人生を送りたいなら

 

   この人生を簡単に、そして安楽に過ごしていきたいというのか。

    だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。

   そして、いつも群衆と一緒につるんで、ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい。

                                〈力への意志〉

 

 

《13日目》

◇ 職業がくれる一つの恵み

 

    自分の職業に専念することは、よけいな事柄を考えないようにさせてくれるものだ。その意味で、職業を持っていることは、一つの大きな恵みとなる。

   人生や生活上の憂いに襲われたとき、慣れた職業に没頭することによって、現実問題がもたらす圧迫や心配事からそっぽを向いて引きこもることができる。

   苦しいなら、逃げてかまわないのだ。戦い続けて苦しんだからといって、それに見合うように事情が好転するとは限らない。自分の心をいじめすぎてはいけない。自分に与えられた職業を没頭することで心配事から逃げているうちに、きっと何かが変わってくる。

                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《14日目》 

◇ 計画は実行しながら練り直せ

 

   計画を立てるのはとても楽しく、快感をともなう。長期の旅行の計画を立てたり、自分の気に入るような家を想像したり、成功する仕事の計画を綿密に立てたり、人生の計画を立てたり、どれもこれもわくわくするし、夢や希望に満ちた作業だ。

   しかし、楽しい計画づくりだけで人生は終始するわけではない。生きていく以上は、その計画を実行しなければならないのだ。そうでなければ、誰かの計画を実行するための手伝いをさせられることになる。

   そして、計画が実行される段になると、さまざまな障碍(しょうがい)、つまずき、忿懣(ふんまん)、幻滅などが現れてくる。それらを一つずつ克服していくか、途中であきらめるしかない。

   では、どうすればいいのか。実行しながら、計画を練り直していけばいいのだ。こうすれば、楽しみながら計画を実行していける。

                       〈さまざまな意見と箴言〉

 

 

《15日目》

◇生活を重んじる

 
   わたしたちは、慣れきっている事柄、つまり衣食住に関してあまりにおろそかにしがちだ。ひどい場所には、生きるために食っているとか、情欲ゆえに子供を産むなどと考えたり言ったりする人もいるくらいだ。そういう人たちは、ふだんの生活の大部分は堕落であり、何か別の高尚なことが他にあるかのように言う。

   しかしわたしたちは、人生の土台をしっかり支えている衣食住という生活にもっと真摯な眼差しを向けるべきだ。もっと考え、反省し、改良を重ね、知性と芸術的感性を生活の基本に差し向けようではないか。衣食住こそがわたしたちを生かし、現実にこの人生を歩ませているのだから。
                            〈漂泊者とその影〉

 

 

《16日目》

◇ いつかは死ぬのだから


    死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう。
   いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。
   時間は限られているのだからチャンスはいつも今だ。
   嘆きわめくことなんか、オペラの役者にまかせておけ。
                                 〈力への意志〉

 

 

🔶IV.  心について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《17日目》
◇ かろやかな心を持つ


   何か創造的な事柄にあたるときにはもちろん、いつもの仕事をする場合でも、かろやかな心を持っているとうまくいく。それはのびのびと飛翔する心、つまらない制限などかえりみない自由な心だ。
   生まれつきこの心を萎縮させずに保っているのが望ましい。そうすれば、さまざまなことが軽々とできる人になれるだろう。

  しかし、そんな軽やかな心を持っていないと自覚しているなら、多くの知識に触れたり、多くの芸術に触れるようにしよう。すると、わたしたちの心は徐々に軽やかさを持つようになっていくからだ。
                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《18日目》

◇ 日々の歴史をつくる

 

   わたしたちは歴史というものを自分とはほとんど関係のない遠く離れたもののように思っている。あるいは、図書館に並んだ古びた書物の中にあるもののように感じている。

   しかし、わたしたちひとりひとりにも確かな歴史があるのだ。それは、日々の歴史だ。今のこの一日に、自分が何をどのように行うかがこの日々の歴史の一頁分になるのだ。

   おじけづいて着手せずにこの一日を終えるのか、怠慢のまま送ってしまうのか、あるいは、勇猛にチャレンジしてみるのか、きのうよりもずっとうまく工夫して何かを行うのか。その態度ひとつひとつが、自分の日々の歴史をつくるのだ。

                            〈悦ばしき知識〉

 

 

《19日目》

◇ 心の生活習慣を変える

 

    毎日の小さな習慣のくり返しが、慢性的な病気をつくる。

    それと同じように、毎日の心の小さな習慣的なくり返しが、魂を病気にしたり、健康にしたりする。

   たとえば、日に十回自分の周囲の人々に冷たい言葉を浴びせているならば、今日からは日に十回は周囲の人々を喜ばせるようにしようではないか。

   そうすると、自分の魂が治療されるばかりでなく、周囲の人々の心も状況も、確実に好転していくのだ。

                                     〈曙光〉

 

 

《20日目》 

◇ おじけづいたら負ける


 「ああ、もう道はない」と思えば、打開への道があったとしても、急に見えなくなるものだ。
 「危ないっ」と思えば、安全な場所はなくなる。
 「これで終わりか」と思い込んだら、終わりの入口に足を差し入れることになる。
 「どうしよう」と思えば、たちまちにしてベストな対処方法が見つからなくなる。
    いずれにしても、おじけづいたら負ける、破滅する。
    相手が強すぎるから、事態が今までになく困難だから、状況があまりにも悪すぎるから、逆転できる条件がそろわないから負けるのではない。
    心が恐れを抱き、おじけづいたときに、自分から自然と破滅や敗北の道を選ぶようになってしまうのだ。
             〈たわむれ、たばかり、意趣ばらし〉

 

 

《21日目》

 ◇ 心は態度に現れている

 

   ことさらに極端な行為、おおげさな態度をする人には虚栄心がある。自分を大きく見せること、自分に力があること、自分が何か特別な存在であることを人に印象づけたいのだ。実際には内には何もないのだが。

   細かい事柄にとらわれる人は気遣いがあるとか、何事にも繊細だというふうに見えることもあるが、内実は恐怖心を抱いている。何か失敗するのではないかという恐れがある。あるいは、どんな事柄にも自分以外の人が関わるとうまくはいかないと思っていて、内心で人を見下している場合もある。

                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《22日目》

◇ 飽きるのは自分の成長が止まっているから


   なかなか簡単には手に入らないようなものほど欲しくなるものだ。
   しかし、いったん自分のものとなり、少しばかり時間がたつと、つまらないもののように感じ始める。それが物であっても人間であってもだ。
   すでに手に入れて、慣れてしまったから飽きるのだ。けれどもそれは、本当は自分自身に飽きているということだ。手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。すなわち、それに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ。つまり、自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる。
   そうではなく、人間として成長し続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ。
                               〈悦ばしき知識〉

 

 

《23日目》

◇ 精神の自由をつかむためには

 

   本当に自由になりたければ、自分の感情をなんとか縛りつけて勝手に動かないようにしておく必要がある。

   感情を野放しにしておくと、そのつどの感情が自分を振り回し、あるいは感情的な一方向にのみ顔を向けさせ、結局は自分を不自由にしてしまうからだ。

   精神的に自由であり、自在に考えることができる人はみな、このことをよく知って実践している。

                                  〈善悪の彼岸〉

 

🔶V .  友について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《24日目》
◇ 友人をつくる方法


   共に苦しむのではない。共に喜ぶのだ。

   そうすれば友人がつくれる。
   しかし嫉妬とうぬぼれは、友人をなくしてしまうからご注意を。
                  〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《25日目》

◇ 友人と話そう


    友人とたくさん話そう。いろんなことを話そう。それはたんなるお喋りではない。自分の話したことは、自分が信じたいと思っている具体的な事柄なのだ腹を割って友人と話すことで、自分が何をどう考えているかがはっきりと見えてくる。
    また、その人を自分の友人とすることは、自分がその友人の中に尊敬すべきもの、人間としてなんらかの憧れを抱いているということだ。それゆえ、友人を持ち、互いに話し合い、互いに尊敬していくのは、人間が高まるうえでとても大切なことだと言える。
                 〈ツァラトゥストラはかく語りき〉

 

 

《26日目》

◇ 四つの徳を持て


   自分自身と友人に対しては、いつも誠実であれ。
   敵に対しては勇気を持て。
   敗者に対しては、寛容さを持て。
   その他あらゆる場合については、常に礼儀を保て。
                                       〈曙光〉

 

 

《27日目》

◇ 必要な鈍さ


   いつも敏感で鋭くある必要はない。特に人との交わりにおいては、相手のなんらかの行為や考えの動機を見抜いていても知らぬふうでいるような、一種の偽りの鈍さが必要だ。
   また、言葉をできるだけ好意的に解釈することだ。
   そして、相手をたいせつな人として扱う。しかし、こちらが気を遣っているふうには決して見せない。相手よりも鈍い感じでいる。

   これらは社交のコツであるし人へのいたわりともなる。
                  〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《28日目》

◇ 友情の才能が良い結婚を呼ぶ

 

   子供というものは、人間関係を商売や利害関係や恋愛から始めたりなんかしない。まずは友達関係からだ。楽しく遊んだり、喧嘩したり、慰め合ったり、競争したり、互いに案じたり、いろんなことが二人の間に友情というものをつくる。そして、互いに友達になる。離れていても、友達でなくなることはない。

   良い友達関係を続けていくことは、とってもたいせつだ。というのも、友達関係や友情は、他の人間との関係の基礎になるからだ。

   こうして良い友達関係は、良い結婚を続けていく基礎にもなる。なぜならば結婚生活は、男女の特別な人間関係でありながらも、その土台には友情を育てるという才能がどうしても必要になるからだ。

   したがって、良い結婚になるかどうかを環境や相手のせいにしたりするのは、自分の責任を忘れたまったくの勘違いということになる。

                  〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

🔶VI . 世について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《29日目》
◇ 安定志向が人と組織を腐らせる


   類は友を呼ぶというけれど、同じ考えの者ばかりが集まり、互いを認めあって満足していると、そこはぬくぬくとした閉鎖空間となってしまい、新しい考えや発想が出てくることはまずなくなる。
   また、組織の年長者が自分の考えと同じ意見を持つ若者ばかりを引き立てるようになると、その若者も組織も、確実にだめになってしまう。
   反対意見や新しい異質な発想を恐れ、自分たちの安定のみに向かうような姿勢は、かえって組織や人を根元から腐らせてしまい、急速に頽廃と破滅をうながすことになる。
                                    〈曙光〉

 

 

《30日目》

◇ つまらないことに苦しまない


   暑いの反対は寒い。明るいの反対は暗い。大きいの反対は小さい。これらは相対的概念を使った一種の言葉遊びだ。現実もこれと同じだと思ってはいけない。
   たとえば、〝暑い〟は〝寒い〟に対立しているのではないということだ。この両者は、ある現象が自分に感じられる程度の差をわかりやすく表現しているにすぎない。
   それなのに、現実もこのように対立していると思い込んでしまうと、ちょっとした手数の多さが困難や苦労となり、ささいな変化が大きな苦しみとなり、たんなる距離が、疎遠や絶縁につながってしまう。
   そして多くの悩みは、この程度の差に気づかない人々の不平不満なのである。
                              〈漂泊者とその影〉

 

 

《31日目》

◇ 組織をはみだす人


   みんなが考える以上に良く考えて広い思考の幅を持っている人は、組織や派閥に属する人間としては不向きだ。なぜならばそういう人は、いつのまにか組織や党派の利害を越え、いっそう広く考えるようになっているからだ。
   組織や派閥というものは、考え方においても人を枠にはめておくのがふつうだ。それはドングリの集合体のようなものであるし、小魚の群れのようなものでもある。

   だから、考え方の問題で組織になじまなくなっても、自分だけがおかしいと思う必要などない。それは、組織の狭い世界を越えた広い次元に達したということなのだから。
                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《32日目》

◇ つごうのいい解釈

 

 「隣人を愛せよ」

   このような言葉を聞いてもおおかたの人は、自分の隣人ではなく、隣人の隣に住む人、あるいはもっと遠くに住む人を愛そうとする。

   なぜならば、自分の隣人はうざったいからであり、愛したくないからである。にもかかわらず、遠くの人を愛することで、自分は隣人愛を実践していると思い込む。

   人は何事も自分のつごうのよいように解釈する。このことを知っていれば、いくら正論を並べても、それが実現化されることが少ないのが理解できるだろう。

                               〈善悪の彼岸〉

 


🔶 VII. 人について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《33日目》

◇ 人のことをあれこれ考えすぎない


   他人をあれこれと判断しないこと。他人の値踏みもしないこと。人の噂話もしないこと。
    あの人はどうのこうのといつまでも考えないこと。
   そのような想像や考えをできるだけ少なくすること。

   こういう点に、良き人間性のしるしがある。
                                     〈曙光〉

 

 

《34日目》

◇ 自己コントロールは自由にできる


    怒りっぽい人、神経質な人はまさにそういう性格を持った人であり、そのような性格はずっと変わらないものだとわたしたちは信じている。そこには、わたしたち人間が成長しきったものであるという根強い考えがある。人の性格は変えられないと思っている。
   しかし、たとえば怒りというものは、いっときの衝動だから自分で好きなように処理できるものだ。怒りをそのまま表に出せば、短気な人間のふるまいになる。ところが、他の形に変えて外に出すことができできる。抑えこんで消えるまで待つこともできる。
   怒りのような衝動の他に、自分に湧いてくる他の感情や気持ちもまた同じで、わたしたちは自由に処理したり、扱ったりできるのだ。まるで、わたしたちの庭に生えてくるさまざまな植物や花を整えたり、木々の葉をもぎ取ったりするかのように。
                                    〈曙光〉

 

 

《35日目》

◇ 強くなるための悪や毒


    天高く聳えようとする樹木。そういう木々が成長するためにひどい嵐や荒れる天候なしにすますことができるのだろうか。

   稲が実るために、豪雨や強い陽射しや台風や稲妻はまったく必要ないのだろうか。
   人生の中でのさまざまな悪や毒。それらはないほうがましでないほうが人は健全に強く育つのだろうか。
   憎悪、嫉妬、我執、不信、冷淡、貪欲、暴力。あるいは、あらゆる意味での不利な条件、多くの障碍。これらはたいていうとましく、悩みの種になるものだが、まったくないほうが人は強い人間になれるのだろうか。
   いや、それら悪や毒こそが、人に克服する機会と力を与え、人がこの世を生きていくために強くしてくれるものなのだ。
                              〈悦ばしき知識〉

 

 

《36日目》

◇怠惰から生まれる信念


   積極的な情熱が意見を形づくり、ついには主義主張というものを生む。たいせつなのは、そのあとだ。

   自分の意見や主張を全面的に認めてもらいたいがために、いつまでもこだわっていると、意見や主義主張はこりかたまり、信念というものに変化してしまう。
   信念がある人というのはなんとなく偉いように思われているが、その人は、自分のかつての意見をずっと持っているいるだけであり、その時点から精神が止まってしまっている人なのだ。つまり、精神の怠惰が信念をつくっているというわけだ。
   どんなに正しそうに見える意見も主張も、絶えず新陳代謝をくり返し、時代の変化の中で考え直され、つくり直されていかなければならない。
                  〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《37日目》

◇ 街へ出よう


   雑踏の中へ入れ。人の輪の中へ行け。みんながいる場所へ向かえ。
   みんなの中で、大勢の人の中で、きみはもっとなめらかな人間になり、きっちりとした新しい人間になれるだろう。
   孤独でいるのはよくない。孤独はきみをだらしなくしてしまう。孤独は人間を腐らせてだめにしてしまう。さあ、部屋を出て、街へ出かけよう。
                         〈デォオ二ュソスの歌〉

 

 

🔶 VIII. 愛について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《38日目》

◇ そのままの相手を愛する


    愛するとは、若く美しい者を好んで手に入れたがったり、すぐれた者をなんとか自分のものにしようとしたり、自分の影響下に置こうとすることではない。

   愛することはまた、自分と似たような者を探したり、嗅ぎ分けたりすることでもないし、自分を好む者を好んで受け入れることでもない。
   愛するとは、自分とはまったく正反対に生きている者を、その状態のままに喜ぶことだ。自分とは逆の感性を持っている人をも、その感性のままに喜ぶことだ。
   愛を使って二人の違いを埋めたり、どちらかを引っ込めさせるのではなく、両者のちがいのままに喜ぶのが愛することなのだ。
                               〈漂泊者とその影〉

 

 

《39日目》

◇ 愛の病には


    愛をめぐるさまざまな問題で悩んでいるのなら、たった一つの確実な治療法がある。

   それは、自分からもっと多くもっと広く、もっと暖かく、そしていっそう強く愛してあげることだ。
   愛には愛が最もよく効くのだから。
                                    〈曙光〉

 

 

《40日目》

◇ 愛の成長に体を合わせる


   性欲に身をまかせてしまうのはすこぶる危険だ。というのは性欲だけが二人の絆となってしまい、本来の本当の絆であるべき愛が忘れ去られてしまうからだ。
   愛というのは、ちょっとずつ成長していくものだ。それより先に性欲を追い越させてはならない。愛の発達に少しだけ遅れて性欲がともなうくらいがちょうどいい。
   そうすると、相手も自分も深い愛を体とともに感じることができるのだから。それは心も体も同時に幸せになるということでもある。
                               〈善悪の彼岸〉

 

 

《41日目》

◇ より多くの愛を欲しがるうぬぼれ


   男と女がどちらも、もっと愛されなくてはならないのは自分のほうだと思っていると、二人の間で滑稽な喧嘩や面倒な問題が生まれてくる。
   つまり二人とも、自分のほうがすぐれているからより多く愛される価値があるといううぬぼれにひたっているのだ。
                  〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《42日目》

◇ 愛は喜びの橋


   愛とは、自分とは異なる仕方で生き、感じている人を理解して喜ぶことだ。
   自分と似た者を愛するのではなく、自分とは対立して生きている人へと喜びの橋を渡すことが愛だ。ちがいがあっても否定するのではなく、そのちがいを愛するのだ。
   自分自身の中でも同じことだ。自分の中にも絶対に交わらない対立や矛盾がある。愛はそれらに対して反撥することなく、むしろ対立や矛盾ゆえにそれを喜ぶのだ。
                      〈さまざまな意見と箴言〉

 

 

《43日目》

◇ずっと愛せるか


    行為は約束できるものだ。しかし、感覚は約束できない。なぜなら、感覚は意思の力では動かないものだからだ。
   よって、永遠に愛するということは約束できないように見える。しかし、愛は感覚だけではない。愛の本質は、愛するという行為そのものであるからだ。
                   〈人間的な、あまりに人間的な〉 

 

 

《44日目》

◇ 最大のうぬぼれ


   最大のうぬぼれとは何か。

   愛されたいという要求だ。

   そこには、自分は愛される価値があるのだという声高な主張がある。そういう人は、自分を他の人々よりも高い場所にいる特別な存在だと思っている。自分だけは特別に評価される資格があると思っている差別主義者だ。
                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《45日目》

◇ 愛することを忘れると


   人を愛することを忘れる。そうすると次には、自分の中にも愛する価値があることすら忘れてしまい、自分すら愛さなくなる。
   こうして、人間であることを終えてしまう。
                                     〈曙光〉

 

 

《46日目》

◇ 愛する人は成長する


   誰かを愛するようになると、自分の欠点やいやな部分を相手に気づかれないようにとはからう。これは虚栄心からではない。愛する人を傷つけまいとしているのだ。
   そして、相手がいつかそれに気づいて嫌悪感を抱く前に、なんとか自分で欠点を直そうとする。こうして人は、よい人間へと、あたかも神にも似た完全性に近づきつつある人間へと成長していくことができるのだ。
                             〈悦ばしき知識〉

 

 

🔶9.知について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《47日目》

◇本能という知性が命を救う


   食事をしないと、体が弱り、やがて死ぬ。睡眠が足りないないと、四日程度で体が糖尿病と変わらない状態になる。まったく眠らないでいると、三日目から幻覚を見るようになり、やがて死を迎える。
   知性はわたしたちが生きていくのを助けてくれるが、わたしたちは知性を悪用することもできる。知性はその意味で便利な道具と同じだ。
   そしてわたしたちは、本能を動物的なもの、野蛮なものとみなしがちだが、本能は確実にわたしたちの生命を救う働きだけをする。本能は大いなる救済の知性であり、誰にでも備わっているものだ。
   だから、本能こそ知性の頂点に立ち、最も知性的なものだと言えるだろう。
                                〈善悪の彼岸〉

 

 

 《48日目》

◇力を入れすぎない


   自分の力の四分の三ほどの力で、作品なり仕事なりを完成させるくらいがちょうどいいものが出来上がる。
   全力量を用い精魂を傾けて仕上げたものは、なんとも重苦しい印象があり、緊張を強いるものだからだ。それは一種の不快さと濁った興奮を与えることをまぬかれない。しかも、それにたずさわった人間の臭みというものがどこかついてまわる。
   しかし、四分の三程度の力で仕上げたものは、どこか大らかな余裕といったものを感じさせる、ゆったりとした作品になるそれは、一種の安心と健やかさを与える快適な印象を与える作品だ。つまり、多くの人に受け入れられやすいものが出来上がるのだ。
                    〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《49日目》

◇自分の哲学を持つな


「哲学を持つ」と一般的に言う場合、ある固まった態度や見解を持つことを意味している。しかし、それは、自分を画一化するようなものだ。
  そんな哲学を持つよりも、そのつどの人生が語りかけてくるささやかな声に耳を傾けるほうがましだ。そのほうが物事や生活の本質がよく見えてくるからだ。
   それこそ、哲学するということにほかならない。
                     〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《50日目》

◇徹底的に体験しよう


   勉強して本を読むだけで賢くなれはしない。さまざまな体験をすることによって人は賢くなる。もちろん、すべての体験が安全だというわけではない。体験することは、危険でもある。ひどい場合には、その体験の中毒や依存症になってしまうからだ。
   そして、体験しているときはその事柄に没頭することが肝心だ。途中で自分の体験について冷静に観察するのはよくない。そうでないと、しっかりと全体を体験したことにはならないからだ。
   反省だの観察だのといったことは、体験のあとでなされるべきだ。そこからようやく智慧というものが生まれてくるのだから。
                              〈漂泊者とその影〉

 

 

《51日目》

◇よく考えるために


   きちんと考える人になりたいのであれば、最低でも次の三条件が必要になる。
   人づきあいをすること。書物を読むこと。情熱を持つこと。
   これらのうちどの一つを欠いても、まともに考えることなどできないのだから。
                              〈漂泊者とその影〉

 

 

🔶10.美について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《52日目》

◇理想や夢を捨てない


   理想を捨てるな。自分の魂の中にいる英雄を捨てるな。
   誰でも高みを目指している。理想や夢を持っている。それが過去のことだったと、青春の頃だったと、なつかしむようになってはいけない。今でも自分を高くすることをあきらめてはならない。

   いつのまにか理想や夢を捨ててしまったりすると、理想や夢を口にする他人や若者を嘲笑する心根を持つようになってしまう。心がそねみや嫉妬だけに染まり、濁ってしまう。向上する力や克己心もまた、一緒に捨て去られてしまう。
   よく生きるために、自分を侮蔑しないためにも、理想や夢を決して捨ててはならない。
                〈ツァラトゥストラはかく語りき〉

 

 

《53日目》

◇絶えず進んでいく


「どこから来たか」ではなく「どこへ行くか」が最も重要で価値あることだ。栄誉は、その点から与えられる。
   どんな将来を目指しているのか。今を越えて、どこまで高く行こうとするのか。どの道を切り開き、何を創造していこうとするのか。
   過去にしがみついたり、下にいる人間と見比べて自分をほめたりするな。夢を楽しそうに語るだけで何もしなかったり、そこそこの現状に満足してとどまったりするな。
   絶えず進め。より遠くへ。より高みを目指せ。
                〈ツァラトゥストラはかく語りき〉

 

 

《54日目》

◇自分しか証人のいない試練


   自分を試練にかけよう。人知れず、自分しか証人のいない試練に。
   たとえば、誰の目のないところでも正直に生きる。たとえば、独りの場合でも行儀よくふるまう。たとえば、自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない。
   そして多くの試練に打ち勝ったとき、自身で自分を見直し、自分が気高い存在であることがわかったとき、人は本物の自尊心を持つことができる。
   このことは、強力な自信を与えてくれる。それが自分への褒美となるのだ。
                                〈善悪の彼岸〉

 

 

                                  おわりに

   たいへん長くなってしまいました。最後まで読んでくれた皆さん、本当にお疲れさまでした。

   さて、これからですがやっぱり本が好きなので次のブログも本の紹介をしていきたい。最近読んだ本では、〝アドラー〟についての本で「嫌われる勇気」そして「幸せになる勇気」です。どちらも打ちのめされるような衝撃を受けました。それからイギリス人でクリストファー・ロイド氏の書いた「137億年の物語」です。これは地学、生物学、世界史を合体し、宇宙誕生のビッグバンから日本で起こった東日本大震災と福島第一原子力発電所の大事故まで、全編物語的に書かれた圧倒される本です。いずれも紹介するのは難しく時間がかかりそうですがチャレンジします。