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🔶《余談 その1》私の『137億年の物語』

 

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   やっと第1部「母なる自然」の投稿が終わりました。まだ、全体の4分の1ではありますが、4部構成のうちの一つを終えたので、一応一区切りで少しほっとした気分です。投稿する間はテーマ毎に内容をどう紹介するかを考え、テーマ毎にその都度勉強もしました。仕事とはほとんど関係のない一般教養について、改めて学び直すというプロセスは学生時代に戻ったような気分でした。この投稿をするに当たって、第1回目の投稿で私のこのシリーズの投稿の狙いを紹介しました。それは「私が関心のある歴史(先史を含む)について、改めて自分の頭の中を整理する」というものです。その狙いは狙い通りと言っていいでしょう。それと同時に私の中の問題意識の領域は確実に拡がり、より具体的なものになったと思います。

 

   さて、第1部が終わったところで本書から離れた内容になりますが、この本の原作者の国、そして最も気になる国〝イギリス(英国)〟について、「余談」として紹介したいと思います。イギリス(英国)の正式名はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandグレートブリテン及び北アイルランド連合王国)といいます。「えっ、そんな名前だったの?」と初めて知る人も多いでしょう。もちろん正式名はあまりに長いので、ここではイギリス、場合によっては日本語漢字表記の英国を使用します。 

 

    さて、なぜイギリスという国のことが気になるのか、皆さんに紹介したいと思ったのか、それはいろいろ理由がありますが、その理由を四つ上げてみます。 

   一つ目は、議論によって物事を決っしていくという、民主主義の根幹となる習慣が根付いているということです。更に政治やビジネス、あるいは日常的な場面での論理的な思考とその表現力、そして行動力などで優れている点です。二つ目は、イギリス人の思考の基本となると思われる教育制度についてです。特に12世紀にカレッジ制(学寮)として始まったオックスフォード大学ケンブリッジ大学(13世紀初頭)などで行われている特筆すべき教育についてです。三つ目は何故小国でありながら世界の覇者として君臨出来たのか、〝パクス・ブリタニカ〟を形成した力のゆえんです。そして、四つ目は私の個人的な関心でもありますが、イギリスの素晴らしい景観とそれを維持している景観行政についてです。イギリスにまだ行ったことがない私が、こうしたテーマで書くことは、説得力という点で限界があります。本などでかじったイギリスという国の一面の紹介ということになります。その点ご了解ください。もちろん、ぜひイギリスには行ってみたいと思っています。

 

    さて、話が全く変わります。私が歴史について心から〝おもしろい〟と思い、関心を持ち始めたのは大学時代です。大学時代に学生寮の先輩から借りて読んだ司馬遼太郎歴史小説です。その小説は、新選組副長の土方歳三を主人公とした『燃えよ剣』で、これで歴史小説のおもしろさに目覚めました。次に読んだのは、同じ司馬遼太郎の『竜馬がゆく』です。この本は読み始めたら止まらなくなり、単行本で全5巻(※文庫本は全8巻)を大学を1週間休んで一気に読みきりました。この本で坂本龍馬という人物に、ぞっこんに惚れ込んでしまいました。ちなみに同じこの本で坂本龍馬に惚れ込み、洗脳されてしまった人は多くいます。例えばソフトバンクグループの創業者で、代表取締役社長の孫正義さんです。孫さんは高校時代に『竜馬がゆく』読み、感動します。坂本龍馬が自分の志を遂げるため、そしてもっと広い視野を持って自分をステップ・アップさせるために脱藩したことに感銘し、高校の2年で中退してアメリカ留学を決意し実現します。海援隊武田鉄矢さんも高校時代『竜馬がゆく』を読んで、龍馬に惚れ込みます。そもそも〝海援隊〟の名前からして坂本龍馬が創設した海援隊からその名をそっくりとっています。もちろん私も洗脳された一人です。この本はもう10回ほどは読みました。日本の歴史上に坂本龍馬という人間的魅力にあふれる人物が存在したということ、そしてその人を発見した感動と喜びは何とも言いがたいものがありました。感動のあまり数日はただ茫然とするだけの状態でした。「自分も坂本龍馬のようになるぞ!」と、しばらくは真面目に考えました。

f:id:takeo1954:20170417170247j:image【⬆︎1975年文庫版第1刷版を購入。42年を経て垢と黄ばみで変色した私蔵本】

 

   それから40年以上経った今、もちろん坂本龍馬のようにはなれませんでしたが、今も最も尊敬する歴史上の人物として私の中に存在します。それから、坂本龍馬と同時にその小説の著者である司馬遼太郎という作家も、同じように尊敬の念を持つようになりました。「よくぞ坂本龍馬を取り上げて書いてくれた」という気持ちです。もちろん小説なのでフィクションなのですが、司馬さんはこの本を書くために膨大な資料を集め、読み込み、坂本龍馬という人物を構想して書いています。言わば十分な資料に基づいた仮説の人物像です。しかし、膨大な資料の裏づけを小説の中に感じるので、極めてリアリティがあります。この本は、昭和37年に自身がそこの新聞記者だったサンケイ新聞の新聞連載小説として書いたものです。そして、この小説を書くために集めた資料や取材で使ったお金は、当時の金でおよそ1000万円かけたと言われています。今でも小説を書くのに1000万円をかける人はいないでしょう。それが昭和37年(1962年)といえば今とは貨幣価値が違います。ちなみに昭和37年の大卒初任給の平均が17800円(厚生労働省資料)の時代です。その時代の1000万円です。今の貨幣価値に換算したらざっと1億年でしょうか。「えっ、司馬さんてそんな金持ちだったんだ」と当然思うでしょう。しかし、司馬さんが自腹を切った訳ではありません。『梟の城』で直木賞を昭和35年に受賞していますが、まだ昭和37年同時、後年のように印税収入はまだほとんどなく、とても自分の収入から支出できるはずもありません。実際は毎月100万円、原稿料という名目で産経新聞社で支払うことが、当時の名物社長の鶴の一声で決まったようです。その額に驚いた司馬さんは、「そんな大金はとても使いきれません」と社長に言ったら、社長は「余ったらドブにでも捨てろ」と言ったそうです。そんな訳で十分な元手を得て、古本屋街に軽トラックを乗りつけては必要な書籍、資料を端から集め、持ち帰ってそれを読み込んでいきます。ちなみに数年後に執筆を始めた『坂の上の雲』では、1500万円を費やしたと言われています。司馬さんが小説を書き始めると、古本屋街の古書の相場が上がっていったという、そんなエピソードを持っています。

    さて、そんな司馬さんが、小説の中で実際に日本に実在した人物を数多く取り上げていきます。司馬さんファンになった私は、司馬さんの小説を片っぱしから読むようになりました。司馬さんの小説は前述したように、十分な資料に裏打ちされているので、リアリティがあり、その人物の時代に自分もいるような気分にさせます。そして、司馬さんが小説で取り上げた人物は数多くいますが、例外なく取り上げた人物に尊敬の念を持ちます。こうして私は司馬さんが小説で取り上げた数多くの人物を尊敬すると同時に日本の歴史というものを見直すようになりました。司馬さん自身も「日本は世界の中で一級の歴史を持つ」と言っています。司馬さんがそういうなら説得力があります。そうして私はますます日本の歴史に関心を持つようになり、好きになり、日本という国に誇りを持つようになりました。

f:id:takeo1954:20170403102333j:image【⬆︎昔購入した司馬さん関連の本、雑誌】

   そうして日本の歴史に誇りを持つようになりましたが、一つ大きな例外があります。太平洋戦争(この言い方は戦後GHQからの指示による。当時の日本の表現は大東亜戦争)とそこに至る前史です。この戦争による犠牲者は、軍人、民間人合わせて約310万人(支那事変以降の犠牲者を含む。1963年日本政府発表)と言われています。その凄惨さはそんな簡単に表現できません。司馬さんもこの時代のことを小説にしようとして、ついに果たせませんでした。私もこの戦争についてまだ総括できるレベルにありません。ただ、いつかはこのブログで書きたいと思っています。もちろん、関心はあるので、関連の本を読んだりはしてきました。

   さて、その太平洋戦争の関連で、一つ本を紹介します。太平洋戦争後半期の体験と捕虜としての生活体験、そしてそこでの観察を通して考察を加えた故「小松真一」氏の日記、『虜人日記』です。1944年、醸造発酵の技術者だった小松真一氏がガソリンの代替燃料ブタノール生産のため、軍属としてフィリピンに派遣されます。フィリピンでの2年の戦争経験、そして日本敗戦後捕虜となり、捕虜として約1年の体験をすることになります。その期間の日記ですが、主に捕虜生活中の体験とその体験を通しての日米(日米兵士を通して)比較などの考察が加えられています。本人が1973年逝去後の1974年、残された家族によって私家版『虜人日記』(筑摩書房)が出版されました。この本(日記)は、その当時本人が生きて直接経験したこと、見聞きしたことを、日記という記録に残したもので、後世の人が手を加えていない歴史資料として1次資料とされる貴重な資料でもあります。

f:id:takeo1954:20170403110842j:image【⬆︎『虜人日記』原本と小松真一氏の日記が、戦地フィリピンの捕虜収容所で記されたことを証明する文書(虜人日記 博物館所蔵)】

   そして、この『虜人日記』の中に〝日本の敗因(21箇条)〟という気になる項目があります。その項目を全て原文から紹介します。

 

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ちくま学芸文庫『虜人日記』  P.334、335より)

 

■日本の敗因

   日本の敗因、それは初めから無理な戦いをしたからだといえばそれにつきるが、それでもその内に含まれる諸要素を分析してみようと思う。

(1)精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければでなない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。

(2)物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった。

3)日本の不合理性、米国の合理性。

(4)将兵の素質低下(精兵は満州支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)。

(5)精神的に弱かった(1枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)。

(6)日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する。

(7)基礎科学の研究をしなかった事

8)電波兵器の劣等(物理学貧弱)。

(9)克己心の欠如。

(10)反省力なき事。 

(11)個人としての修養をしていない事。

(12)陸海軍の不協力。

(13)一人よがりで同情心が無い事。

(14)兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事。

(15)バアーシー海峡の損害と、戦意喪失。

(16)思想的に徹底したものがなかった事。

(17)国民が戦いに厭きていた。

(18)日本文化の確立なき為。

(19)日本は人命を粗末にし、米国は大切にした。

(20)日本文化に普遍性なき為。

(21)指導者に生物学的常識がなかった事。

    順不同で重複している点もあるが、日本人には大東亜を治める力も文化もなかった事に結論する。 

 

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    以上です。特に最後の結論「日本人には大東亜(東南アジアから中国、フィリピン、台湾、南北朝鮮、日本を含む大東アジア)を治める力も文化もなかった」と言っています。では、果たして今なら治める力はあるのでしょうか。他国に伝えることのできる日本文化が 確立され、普遍性を持つているのでしょか。いずれも〝否〟でしょう。(10)の「反省力なき事」、(16)「思想的に徹底したものがなかった事」は、全く今も変わらないことは直ぐ想像できます。しかし、この21ヶ条の中に、私には意外と思う項目があります。それは、(13)の「一人よがりで同情心が無い事」です。日本人には、思いやる心、気配りする心、おもてなしの心があると思っていたので、単純に「えっ?」と驚きました。しかし、(16)の日本人に「思想的に徹底したものがなかった事」からすると、〝思いやりの心〟というのも思想的なものはなく、「人様から笑われないようにしよう」「人様から馬鹿にされないようにしよう」という〝恥の文化〟からきたものなのでしょう。日本人は、本当の意味で大人として自立していない、アドラーがいうところの〝承認欲求〟(人から認められることが常に思考の最重点にある)に他の民族以上にとらわれた民族なのかもしれません。

   (5)の「精神的に弱かった」に関連する内容で、〝なるほど〟と思わせる小松氏の文章があります。

   「独(ドイツ)系の米兵がいうのに、米国は徹底した個人主義なので、米国が戦争に負けたら個人の生活は不幸になるという一点において、全米人は鉄の如き団結を持っていた。日本は皇室中心主義ではあったが、個人の生活に対する信念がないので、案外思想的に弱いところがあったのだという」。

 

    それから日本人と米国人を比較した小松氏のコメントも大変参考になります。

    「永いストッケード生活を通じ、日本人の欠点ばかり目に付きだした。総力戦で負けても米人より何か優れている点はないかと考えてみた。面、体格、皆だめだ。ただ、計算能力、暗算能力、手先の器用さは優れていて彼等の遠く及ばないところだ。他には勘が良いこともあるが、これだけで戦争に勝つのは無理だろう。日本の技術が優れていると言われていたが、これを検討してみると、製品の歩留まりを上げるとか、物を精製する技術に優れたものもあったようだが、米国では資源が豊富なので製品の歩留まりなど悪くても大勢に影響なく、為に米国技術者はその面に精力を使わず、新しい研究に力を入れていた。ただ技術の一断面をみると日本が優れていると思う事があるが、総体的にみれば彼等の方が優れている。日本人は、ただ一部分の優秀に酔って日本の技術は世界一だと思い上がっていただけなのだ。小利口者は大局を見誤るの例そのままだ。」と書いています。

 

   こうして小松真一氏の『虜人日記』を読んでいくと、司馬さんの小説で日本人について、また日本の歴史に対して持った〝誇り〟 はぐらついでしまいます。支那事変から太平洋戦争までの時代の日本人だけが特別だったのでしょうか?そんなことは理屈に合いません。物事の結果には必ず原因があります。当時の社会情勢が日本国民として、やむにやまれぬ決断をせざるを得なかった点はあるでしょう。しかし、すべてをそれだけに求めたならば、それこそ小松氏の指摘した日本人の「反省力なき事」は、全く変わっていないということになってしまいます。また、その当時のことを「こんな酷いことがあって可愛いそう」で終わったのでは子供のレベルです。「当時の戦争のことはとても恐くて直視出来ません(原爆投下による当時の被曝者の写真を直視できない人は多い)」で終わってしまったら思考停止状態で、人として進歩がありません。確かに当時のことを事実として掴むことは困難です。終戦と同時に軍は主要な書類をすべて焼却してしまっています。司馬さんは、ノモンハン事件(日ソ国境紛争  1939年5月〜9月)を時代背景にした小説を書こうとして、ついに果たせませんでした。しかし、直接事件に関わった軍関係者に、戦後直接取材しています。が、「メモとして残すに値する内容は、1行もなかった」と司馬さんは言っています。結局人は、自分に都合の悪いことは一言も話さない。自分に都合よく捏造して話す。そういう人がほとんどです。そんな中では、支那事変から太平洋戦争をしっかり総括し、反省し、今後に生かしていくための最初の事実の把握が極めて難しいという問題はありますが、避けてはいけない日本人の課題だと思っています。

 

    もう一つ、日本を、日本人を知るためには世界を知ることが必要です。私自身は日本への、日本の歴史への誇り、そして関心から世界史にも関心を持つようになりました。日本の何が優れているのか、あるいは課題なのか、世界の今と歴史から相対的に見る必要があると思うからです。私が『137億年の物語』という本を手に取ったのもそんな関心からでした。今までも世界史に関連する本をいくつか読んできましたが、その中で最も印象に残った世界史がイギリス史でした。その印象に残った内容は、冒頭で紹介した通りです。前置きが長くなってしまいましたが、これでやっと本題に到達です。

 

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   今回は、このテーマでイギリスを紹介したいと思います。と言っても、イギリス史などを深く勉強した訳ではありません。ほんのかじった程度で恐縮です。ご了解下さい。ここではこのテーマにしようと思ったいくつかを紹介します。

 

1】スペイン無敵艦隊を迎え撃つ時(1580年代)のイギリスの政治

    20年近く前、中西輝政氏(現 京都大学名誉教授)の書いた『大英帝国衰亡史』を読んで、特に驚いた内容があります。それは、イギリスがスペイン無敵艦隊との戦いが避けられない情勢になりつつあった時代のイギリス(正確にはイングランド王国スコットランド王国と合同して国家となるのは1707年でここから「グレート・ブリテン王国」の国名になる)の政治です。そしてこのときのイングランド国王は初代エリザベス女王(この時代の日本は、本能寺の変織田信長が倒されて以降、天下統一を果たした豊臣秀吉が国を治めていた時代)です。このころのイングランドには、既に議会があり(1215年、諸侯が国王に諸侯の要求事項であるマグナ・カルタを認めさせ、1225年に諸侯大会議を開く。これが議会の原型となる)、初期議会は、主に三つの勢力で構成されていました。一つが国王自身の側近たち。二つ目が聖職諸侯(大司教・司教・大小修道院長)と世俗諸侯(貴族)、三つ目が各州からの騎士(ナイト)、各都市からの市民・下層聖職者で、50〜80人が議会に出席していました。

   それでは、エリザベス一世の時代のスペイン「無敵艦隊」を迎え撃つ前のイングランドの政治を知るために、中西輝政氏の『大英帝国衰亡史』の文章の一節をそのまま紹介します。

 

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 ◾️「無敵艦隊」を撃滅したもの

    (『大英帝国衰亡史』第ニ章  エリザベスと「無敵艦隊」p.64 〜67より抜粋)

 

(注1)国名をイギリス表記にしていますが、原文そのままです。
(注2)文中にある「低地」はオランダ。当時スペインが支配。

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    外交における情報の重視こそ、勢力均衡政策、そして後のパクス・ブリタニカの「外交による平和」を支える大きな(ときには最大の)柱の一つであった。そしてこの点でもエリザベス朝は「近代イギリスの始まり」として、その後のイギリス外交史に顕著な役割を果たしている。

   さまざまなエリザベスの機会主義的な手立てにも関わらず、オランダ人反徒へのスペインの鎮圧が成功しそうな形勢となった1584年7月、女王の臨席を仰いで開かれたイギリス閣議(枢密院)では、次のような審議項目について逐一徹底した議論がなされた。

   ①追いつめられたオランダ人の抵抗は、はたしてもつだろうか。  ②もしスペインが「低地」を完全支配したら、イギリスへの攻撃に出るか。  ③イギリス人の中のカソリック分子の、スペインへの協力の可能性はどうか。 ④具体的にスペインの対英攻撃の手段は何か。  ⑤「低地」の陥落をイギリスが阻止したら、スペインの対英攻撃は回避できるか。  ⑥もしできるとしたら、その阻止のための具体的手段はあるか。  ⑦オランダ人救援のための、フランスとの協力の是非と可能性はどうか。  ⑧イギリス単独でも介入に踏み切るべきか。  ⑨その場合、対スペイン戦争を惹起することになりはしないか。  ⑩もしそうなら、イギリスにとって対スペイン戦争を戦い抜く手段と資源は何か。  ⑪その場合の支出額見積りはどれくらいか。  ⑫戦争の際、スペインのとる戦略は如何。  ⑬その場合、戦争がイギリスの貿易に与える影響は……等々。

   延々23項目にわたる綿密をきわめた情勢判断のためのこの閣議文書は、エリザベスの逐一の指示に基づき、セシルのあとを継いで宰相となったフランシス・ウォルシンガムの作成したものであった。ここには状況の詳細な観察と、事実に基づく判断に徹しようとする、執拗なまでに冷静な分析の姿勢があり、一種の迫力さえ感じさせられる。

   実際、三百数十年後の1950年代にイギリスの外交次官を務めたストラング卿は、この文書をとり上げ、「1956年のスエズ出兵計画も、これほど綿密な情勢分析を行っておれば、あんなに惨めな結果にはなっていなかったろう」と述懐している(Lord, Strang, Briain  in  World  Affairs, London, 1961, p.36)。「真珠湾」を持ち出すまでもなく、20世紀よりも16世紀のほうが、この点での知恵と合理主義において、はるかに優れていたことを示すものであろう。

   当然こうした的確な情勢分析の前提として、第一級の情報の収集と評価が必要となる。そしてこの時期、ウォルシンガムの下に築かれたイギリス外交の生命線をなした情報活動こそ、のちの〝007〟ないしMI 6の伝説にまでつながる「イギリス情報部」の伝統の始まりともなった。

   その伝統の最大のポイントの一つは、必ず外交官組織とは別系統の情報組織をつくり、外交情報をダブル、トリプル・チェックできる体制をつねに確保しておくというものであった。それは現実に外交政策を立案すべき立場にあるパワー・エリートは自己の政策的立場に有利なように情報をねじ曲げる傾向がある、ということの重大さをよく知る知恵に発している。

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   1587年、いよいよ「無敵艦隊」のイギリス来襲が間近になりつつあったとき、ウォルシンガムが作成した『スペインからの情報収集の方策』と題された秘密文書は、全ヨーロッパ中に張りめぐらされ、各国の外交中枢に入り込んだイギリス情報網の「すごさ」を、あからさまに示している。スペイン国内や低地、フランスはいうに及ばず、北欧デンマーク一帯、さらにポーランドのクラコフ、バチカンからベニスへ、主要な国で網羅していない国はないほどであり、駐在国の権力機構においてしばしば信じられないほど高いレベルでの浸透を果し、無敵艦隊の動静をさぐる要所に通じていた。実際この文書を読めば、1年前のこの時点で「無敵艦隊」来襲の結果は、もはや明らかであった。

 

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   どうでしょうか。私はこの一節でイギリスの恐ろしさを改めて知る思いがしました。この中西氏の解説が、後の大英帝国パクス・ブリタニカの登場が、必然のように思えてしまいます。この1点だけでも日本はイギリスから学ぶ必要があります。ただ今の日本の国民が、あるいは政治家が、このイギリスの歴史を学んでも、実際に今の日本の政治の世界で実践することは難しいとは思います。それは情緒的に先に結論ありきで、物事を論理的に組み立てて戦略にすることが未だに不得手な国民性である気がするためです。

 

 

【2】マグナ・カルタ(大憲章)から700年以上続くイギリス議会の歴史

    【1】では、 イギリス人の論理的思考に基づく戦略作りの実例を見ました。それではイギリス人の論理的思考の習性はいつから、どうやって身についたのでしょうか。それはイギリスの長い議会政治の歴史の中にあると思います。イギリス議会の歴史は、1215年のマグナ・カルタ(大憲章)から始まると言っていいでしょう。その時代、時代の置かれたイギリス国内外の情勢の中で、イギリス議会〔諸侯(貴族)大会議から始まる〕議員は、国の政策、制度を議論し、決めていきます。論理的思考も戦略的思考も、長い議会の歴史のその積み重ねの上にあると思います。

   それでは、1215年のマグナ・カルタ以降のイギリスの主要な歴史を簡単に検証してみましょう。

f:id:takeo1954:20170411180349j:image【↑出典  ウィキペディア  フリー百科事典  「マグナ・カルタ」】

 

   1215年、イングランド王国のジョン国王によって制定されたマグナ・カルタ(大憲章)は、必ず世界史に登場するので、内容はともかくその言葉はだれもが知っていると思います。しかしそのマグナ・カルタが、今も現行法として残っていることをご存知でしょうか。 本当に驚きますが、現在もイギリスの憲法を構成する法典の一つとなっています。今からほぼ800年前に制定されたものが今も現行法としてあるです。正確にはジョン国王のマグナ・カルタは、教皇インノケンティウス3世の勅命により無効とされましたが、その後何度か改定され、1225年に作られたヘンリー3世のマグナ・カルタの一部が現行法として残っています。

    マグナ・カルタが制定された経過を簡単に説明しましょう。当時のイングランドのジョン国王は、フランス国王フィリップ2世との2度にわたる戦いで、どちらも敗れてフランス内にあった領地を全て失います。その領地を取り戻そうとさまざまな徴税を課して、再びフランス領地奪回のために戦おうとしますが、諸侯(貴族)と国民のの怒りが爆発し、国王の信用は失墜します。国王は退位するか処刑されるしかない状態に追い込まれます。そこでジョン国王は、王の権限を制限する文書に国王が承諾を与えることで事態の収拾を図ったことで制定された憲章です。

   そのマグナ・カルタの内容です。前文と、63ヶ条から構成されています。

   特に重要な項目は、

⚫︎教会は国王から自由であると述べた第1条
⚫︎王の決定だけでは戦争協力金などの名目で税金を集めることができないと定めた第12条
⚫︎ロンドンほかの自由市は交易の自由を持ち、関税を自ら決められるとした第13条
⚫︎国王が議会を召集しなければならない場合を定めた第14条
⚫︎自由なイングランドの民は国法か裁判によらなければ自由や生命、財産をおかされないとした第38条

などです。

   また、イギリスの現行法令集w:Halsbury's Statutesに載っている条文は、1225年のヘンリー3世の時代に作られた新しいマグナ・カルタを、1297年にエドワード1世が確認したもので、前文と4か条が廃止されずに残っています。

⚫︎前文 国王エドワードによるマグナ・カルタの確認
⚫︎第1条 教会の自由
⚫︎第9条(1215年の原マグナ・カルタの13条に相当) ロンドン市等の都市・港の自由
⚫︎第29条(原39条および40条) 国法によらなければ逮捕・拘禁されたり、財産を奪われない(デュー・プロセス、適正手続)
⚫︎第37条(1225年のマグナ・カルタの37条および38条に相当) 盾金、自由と慣習の確認、聖職者および貴族の署名

マグナ・カルタの説明=ウィキペディア参照

 

   それから今日まで、国王によって議会が招集されなかったり、逆に国王(チャールズ1世)を処刑(清教徒革命=ピューリタン革命時に)して共和制に移行した時期があり、1649年から約10年ほど国王不在の期間がありましたが、王政復古で直ぐに王政は復活(1660年)します。イギリスは、ヨーロッパ大陸の多くの国が18世紀までそうだったような絶対君主制の国ではありませんでした。清教徒革命が起きたころのイギリスは、中央・地方ともに無給の地主貴族階級によって司法・立法・行政が担われていました。国王・貴族院庶民院による三位一体の国政運営が伝統にあった国です。清教徒革命を指導し、国を共和制に変えたクロムウェルの強権的な政治への反動もあって、クロムウェルの死後は議員たちの多くが王政の復活を望むようになっていて、自然に王政復古へすすみます。

   王政復古後の1685年、ジェームズ2世が国王に即位しますが、直ぐに強権的な政治を行います。すると議会も密かに動き、国王の長女メアリの夫(オランダ総督ウォレム 後のウィリアム3世)と結託し、国王を追放ます(名誉革命)。その後は、長女がメアリ2世、夫ウォレムがウィリアム3世を名乗って、2人の君主が共同統治します。

   このように、この時代には国王といえども、これまでに制定された法典などを無視して政治を行うことは出来なくなっていました。この名誉革命の時に制定された「権力章典」では、議会の許可なく国王が徴税できなくなり、議会内の言論の自由も認められるようになりました。さらに、1698年からは、新たに「王室費」が議会の承認に基づく歳費として導入され、王室財政は完全に議会の監視下に置かれるようになります。また、時代が前後しますが、1630年頃からは、枢密院から切り離されて、「内閣評議会」が国王の諮問機関として定着していき、1680年頃には今日につながる2大政党制(と言っても当初は独立派と呼ばれるどちらにも属さない議員が約半数を占めていた)が始まっています。

   1760年代から世界に先駆け、イギリス中北部のマンチェスターバーミンガム、リーズなどの都市を中心に「産業革命」が始まります。そして、18世紀(1700年代)の終わりには、製造業と海運業だけで国民所得の約半分(48%)を占めるようになります。当然人口がそうした都市に集中するようになり、議会議員と選挙区の人口のアンバランスが生じてきます。そんな中で、後の「チャーティスト」につながる議会改革の運動が起きます。また、新興の巨大都市では、商工会議所や通商委員会などが立ち上げられ、それは全英商工会議所の設立(1785年)にまでつながり、「圧力団体」として成長していきます。同時期、国外ではフランス革命(1789年〜)と1799年ナポレオンの登場、19世紀初頭の全ヨーロッパを巻き込んだ対仏戦争へとすすみます。そして、1815年、イギリス陸軍のウェリントン将軍を司令官とする連合軍によりワーテルローの戦いでナポレオンのフランス軍を破り、勝利します。

 

   ここで、イギリスとフランスを比べると〝ある違い〟が明らかになってきます。歴史家のジョン・ブリュア(イギリス歴史学者、現在シカゴ大学教授)によれば、「イギリスの勝因はヒト(兵力)・モノ(武器弾薬・軍需物資)・カネ(軍資金)のうち、特にカネを大量に素早く集めることに成功した点にあった。とりわけ大切だったのが議会の存在であろう。議会の大半を構成する地主貴族階級こそがいざというときに戦費を土地税のかたちで調達し、長期国債の発行を裏付け、中央銀行たるイングランド銀行(1694年創設)と協力して国債を請け負ったからだ。おかげでイギリスは最後のフランスとの戦争(1793年〜1815年)に16億5790万ポンドもの巨額の資金を投入することが可能となったのである。

   対するフランスでは、身分制議会(全国三部会)はこの時期の大半開かれることもなく(絶対君主制が確立した後、1614から開かれていない)、国税を担ったのは富裕階級(教会や貴族)ではなく、政治に声の届かない平民たちだった。これでは革命が起きても仕方なかった。さらに中央銀行ができたのは1800年のことで、国債もあてにはならなかった」。

 

   ここに、フランス貴族とイギリス貴族の覚悟の違いが見て取れます。イギリス貴族の場合、自分や一族の保身だけでない、イギリス国家への献身の精神があります。これは、貴族がイギリス議会において、国政を議論し、議決するというプロセスに長く関わってきた歴史がそうさせたものと思います。時代が変わりますが、1914年からヨーロッパを主戦場として4年にわたり死闘を繰り広げた第一次世界大戦は、イギリスも初めて経験する総力戦で、社会構造をも大きく変えるものでした。これまでのイギリスの政治・経済・社会・文化を主導してきた地主貴族階級(ジェントルマン)は、この戦争で影響力を大きく減退させます。彼らは中世以来の騎士道精神に基づいた〝ノブレス・オブリージュ〟(高貴なる者の責務)に則り、戦争勃発とともにいち早く戦場に駆けつけます。そして、大半が機関銃の餌食になってしまいます。1914年だけで貴族とその子弟(50歳以下の男子)の19%近くが戦死したという記録が残っているのです。このようにイギリスの貴族とは、単に資産家で、優雅で、気取った人というイメージだけでないことが分かります。それは、〝祖国イギリスを守る〟という崇高なスピリットを持った人たちだったのてす。

マグナ・カルタ以降のイギリスの歴史は『物語  イギリスの歴史 上・下』(君塚直隆 著)を参照する。

   イギリス貴族の崇高なスピリットに関連した内容になりますが、会田雄次(1916〜1997年元京都大学名誉教授)著の『アーロン収容所』(中公新書)という本の内容です。この本は著者自身が終戦直後から1947年5月まで、ビルマでの英軍捕虜として経験したこと、そして自身が感じ、考えたことの記録です。その中にこんな一節がありました。

 

🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹

中公新書『アーロン収容所』P.68、69より抜粋)

 

   私たちが英軍とは士官はもちろん、兵隊とも一般的な話をすることはめったにない。会話が苦手のためこちらが話しかけないという事情によるかもしれない。しかし根本的には何度もふれたように、イギリス人自体が、日本人と話し合う、しかも兵卒と話をするというようなはしたない態度はとろうとしなかったからである。

   だが例外もある。なにかの機会に「日本人はこの敗戦をどう考えているか」とか「復讐をしないのか」(かれらはカタキウチという日本語を知っていて、かならずそれを使った)とか、「なぜ簡単に武装解除に応じたか」などと問いかけられることもあった。

   あるとき、私たちの作業指揮官の将校と英軍中尉と話がはじまった。この中尉はアメリカで働いていてハーバードを出たとかいう非常に人なつっこく感じのよい青年であった。かれは、ときおり私たちに何かと話しかけようとした稀なイギリス人の一人であった。それはアメリカにいたという経歴の生んだ気さくさだったかもしれない。私たちの将校は、

「日本が戦争をおこしたのは申しわけないことであった。これからは仲よくしたい」

という意味のことを言った。どのように通じたのだろうか。英軍中尉は非常にきっとした態度をとって答えた。

「君は奴隷(スレイブ)か。奴隷だったのか」

   楽天家らしいかれが、急にいずまいを正すような形をとったので、私はハッとした。この言葉はいまでもよく覚えている。もっともスレイブというのはそのときすぐには聞きわけにくかった。奴隷という言葉がわかったときも、「貴様らは奴隷だから人並に謝ったりするな」ということでおこったと思ったのだから、私の聞きとり能力も心細い話だ。しかし、つぎのような説明を聞いてやっと意味がわかった。

「われわれはわれわれの祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどその信念はたよりなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者のご機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。われわれは多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私はかれらが奴隷と戦って死んだとは思いたくない。私たちは日本のサムライたちと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」

🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹

 

   以上、原文のままです。ここでこの中に出てくる中尉がイギリス貴族かどうかはわかりません。ただイギリスから離れたハーバード大学を出ているこというので、多分相当な資産家で貴族だろうと推測されます。なぜそう推測するかといえば、その高い授業料です。現在の大学の授業料比較になってしまいますが、2012年のカレッジボードの調査によれば、まずアメリカの大学の平均年間授業料が270万と日本に比べ倍以上高くなっています。さらにハーバード大学スタンフォード、MITなどの名門大学は大体430万円程度と日本の大学の5倍から8倍(日本の国立で53万、私立で85万が平均)の高さです。これに生活費がプラスされます。常識的に考えてハーバードは、普通の中流家庭から入学させるのは経済的に極めて困難です。これは戦前も基本的に同じでしょう。次の余談のテーマになりますが、それはイギリスのケンブリッジ大学オックスフォード大学も同じです。さらにハーバード大学以上に入学条件が厳しくなるので、大学院ならともかく4年生の大学に日本から入るのはまず無理です。ではなぜそんな学費に差があるのかって?それは教育の質の違いでしょう。教員は学生7人に対して1人と多く、教員もノーベル賞受賞者が圧倒的に多く、研究環境も日本の大学とは比べようもない世界最先端レベルの高さを誇っています。〝戦前にそんな大学を卒業した〟という理由で多分〝貴族〟と推測したわけです。

   この会田氏の捕虜収容所での出来事も実に考えさせる内容を持っています。

 

   こうしたイギリス人の崇高なる精神というものや論理的思考の風土はどこから来ているのでしょうか。ここからは私の推測になりますが、それは欧米社会に共通する点としてギリシャ哲学の伝統と宗教=キリスト教があると思います。ギリシャ哲学にはアリストテレスのような論理的な思考法(三段論法)が当然含まれます。こうしたギリシャ哲学は、必ず聖職者になる人は神学校で学びます。事実16世紀に日本に来た宣教師たちの記録に、日本でのキリスト教の普及活動で、日本人からの質問に答えるのにギリシャ哲学の勉強が役立ったとあります。このように聖職者や中世の時代からあったオックスフォード大学ケンブリッジ大学を出た貴族たちは、ギリシャ哲学、論理的思考の素養を当然身につけていたはずです。それからキリスト教です。当然キリスト教はその聖書(新約聖書)によって普及をしています。聖書はさまざまな使徒による書簡で構成されていますが、パウロが中心的な存在です。パウロはキリストを直接知らないキリストの死後信者となった人ですが、自身の思想を書簡という形で残し、聖書の作成に大きな役割を果たします。キリスト教の聖書は言ってみれば、パウロの思想をベースにした哲学の書といっていいでしょう。その思想のベースには〝愛〟があります。パウロの書簡『ローマ人への手紙』にこんな一節があります。

 

    愛には偽りがあってはなりません。悪を忌みきらい、善から離れてはなりません。互いに兄弟愛をもって心から愛し、競って尊敬し合いなさい。熱心でたゆまず、心を燃やし、主に仕え、希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りに励みなさい。聖なる人々の貧しさを自分のものと考えて力を貸し、手厚くをもてなしなさい。あなたがたを迫害する者の上に祝福を願いなさい。祝福を願うのであって、のろいを求めてはなりません。喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々の仲間となりなさい。自分は賢い者だとうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべて人の前でよいことを行なうよう心がけなさい。できることなら、あなたがたの力の及ぶ限り、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する皆さん、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「主は言われる。『復讐はわたしのすること、わたしが仕返しをする』」と書かれているからです。しかし、次のようにも書かれています。「敵が飢えているなら食べさせよ、渇いているなら飲ませよ。そのようにすることで、あなたは敵の頭に燃える炭火を積むからである」。悪に負けてはいけません。むしろ善をもって悪に勝ちなさい。

新約聖書フランシスコ会聖書研究所訳)サンパウロ発行  改定16刷  P.562、563】

 

   こうした愛をベースとした哲学の書である聖書の一節を、牧師(カトリックの場合は神父)が毎週日曜日に教会に集まった信者に対して切々と話し、終わりに賛美歌を歌う習慣が中世の時代から今日まで続いてきました。週1回教会で話を聞くことは、少なくとも週1回〝今の自分を見つめ直し〟あるいは〝兄弟愛からの他の人々への貢献〟など、気持ちを崇高なものにさせたでしょう。それを幼い頃から年老いて死ぬまで続けるのです。そのことが人格形成に影響を与えないはずはありません。そういう風土がヨーロッパには共通してあったということです。そしてイギリスは議会が他の国よりしっかりと着実に根づいていったこと。そのこがイギリス人の論理的思考能力を高め、〝イギリスの国をどうするか〟という政治の世界に身をおくことで、祖国を愛する気持ちにもつながり、崇高なる精神をも高めていったのてはと思っています。

   それから、イギリスのジェントルマン・シップ、騎士道精神には、日本の武士道精神に共通する〝名誉を重んじる〟という点がもともとありました。イギリスで貴族になろうとしてなれなかった人物を主人公にした『バリー・リンドン』というスタンリー・キューブリックの映画の中に〝決闘〟のシーンが出てきますが、貴族と言えども名誉を傷つけられたら第三者を立ち会わせての決闘ということも時にあったのです。決闘は受けたら〝逃げられない〟という点で傭兵中心の戦争より遥かに恐怖です。日本の場合も関ヶ原の戦いで西軍、東軍それぞれ7、8万の軍勢がいても実際戦ったのは全体の半数以下です。大半は様子見で、形成不利となったらほとんど逃げています。そう、戦争、合戦は〝逃げる〟という手段があります。しかし決闘にそれはありません。決闘の結果は、(勝って)生きるか、死ぬか、カタワになるかの3つしかないのです。そうした決闘という形での貴族同士の戦いも、イギリスの歴史の中にはあったのです。

 

   今回のテーマは以上になります。今回の内容はどちらかといえばイギリスの〝光〟の部分になります。イギリスにも当然〝陰〟の部分もあります。それは〝略奪国家〟としての歴史です。それについては改めて別の場で触れたいと思います。

                                                                                 

 

   「余談」ということで書き始めましたが、1万5000字を超えてしまいました。自分でも分かっていながら、ついつい凝ってしまって長くなってしまいます。どうもこのパターンは簡単に変えられそうにないですね。

   さて、現在私のブログは二つのシリーズがあります。「♨️黒川温泉に学ぼう」と「私の『137億年の物語』」です。平行して投稿していくつもりでしたが、やっぱり私はそんな器用な人間ではありません。どっちかに絞って終わらせてからでないとダメですね。そんな訳で、「私の『137億年の物語』」はしばらくお休みして、今度はシリーズの最終回になっている「♨️黒川温泉に学ぼう」に着手します。こっちも話がどんどん広がってしまって「日本の観光業をどうするか」といったような内容にまで至って、話をまとめるのに手こずっています。こちらもまとめるのに1ヶ月位かかりそうですが頑張ります。

 

 

 

🔶《第10回》私の『137億年の物語』

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    いよいよこの章が第1部「母なる自然」の最終章になります。第2部「ホモ・サピエンス」が、先史でおよそ700万年前から紀元前5000千年前までの時代を扱っているので、この章はそれまでの霊長類を含む哺乳類の繁栄を紹介しています。今分かっている最古の哺乳類といわれるものが、「アデロバシレウス」で、今から2億2500万年前に登場します。下にあるのがその想像図です。ほとんど今のネズミです。この動物の登場した時代は、恐竜が全盛に向かう時代になります。その時代から6550万年前の恐竜絶滅まで、アデロバシレウス以降の哺乳類は、1億5000万年以上の長い間、恐竜から隠れるようにして生き延びてきました。例えば恐竜の活動しない夜に餌を求めて活動したり、木の上の活動を基本にする、などです。f:id:takeo1954:20170313070655j:image【⬆︎アデロバシレウス想像図】〈出典〉ウィキペディア フリー百科事典「アデロバシレウス」 更新日時  2016.12.18

 https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Adelobasileus_cromptoni.jpg#mw-jump-to-license

   そうした長い哺乳類の生きてきた時代がありますが、やはり哺乳類が本格的に繁栄していくのは、恐竜が絶滅した6550万年前以降になります。そこから進化によってさまざまな種の哺乳類が生まれ、今日に至っています。ここではそのひとつ、人を含む霊長類の進化の歩みについて紹介していきたいと思います。

    以前、このシリーズの第7回目の中で、NHKスペシャル「地球大進化」(2004年放送)第1回『生命の星』での巨大隕石の衝突のことを紹介しました。今回もこの章の解説を書くにあたって、同じNHKスペシャル「地球大進化」の第5回『大陸大分裂』の中で、詳しく霊長類の進化について紹介した内容が分かりやすく参考になったので、この章の解説もその多くをその内容から引用しています。

 

f:id:takeo1954:20170317212844j:image人は霊長類(霊長目またはサル目ともいう)に属します。そして、今から1億年〜7000万年前に、最初の霊長類が登場します。といっても、まだ霊長目(サル目)に属する最初の種とはいえ、今日知っているさまざまなサルとは印象がかなり異なります。 例えば下の写真です。これは、霊長類の先祖〝カルポレステス〟の想像図です。 f:id:takeo1954:20170314092512j:image【⬆︎カルポレステス(NHKスペシャル「地球大進化」No.5『大陸大分裂』より)】

    カルポレステスは、霊長類の親戚または祖先とされるプレシアダビス目(絶滅した哺乳類)に属する動物ですが、今分かっている中で初めて物をつかむことのできる手(前足)の構造を持った哺乳類でした。このカルポレステスの化石はアメリカで発見されています。その地層から5600万年ほど前に生息していた霊長類ということが分かっています。そのころすでに恐竜は絶滅していなかったのですが、アメリカやヨーロッパでは、巨鳥「ディアトリマ」が、生態系の頂点に君臨して餌として哺乳類を常に狙っていたので、引き続き夜間活動していました。 f:id:takeo1954:20170314104406p:image

【⬆︎馬の祖先ヒラコテリウムを襲うディアトリマ(同NHKスペシャルより)】

 f:id:takeo1954:20170317210612j:image

こうした初期霊長類が、長く樹上生活を続けていく中で、さまざまに進化していきます。引き続きNHKスペシャル「地球大進化」の第5回の内容から進化の過程を見てみましょう。このNHKスペシャル全体を通して〝荒ぶる父  地球〟という言葉が使われています。そうです。地球が誕生してから46億年、この時間軸で見れば、地球は荒れ狂う星なのです。決して生命大量絶滅のビッグファイブだけが荒れ狂った訳ではありません。この霊長類の祖先カルポレステスが登場して間もない5500万年前、地球に大変動が起こります。その要因は、マントルの移動に伴うマントルの上向きの力、スーパーホットプルームです。このマントルの移動で、陸続きだった北米大陸ヨーロッパ大陸が切り離されます。切り離された場所になる今のグリーンランド東部の海底で異変が起きます。スーパーホットプルームによるマグマの上昇が、海底の下にあったメタンハイドレートの大きな塊に当たり、メタンハイドレートは大爆発します。その爆発で海底下の地層を突き破り、さらに海上で自然発火して、高さ数Kmになる火柱を大量に発生させます。2003年の調査で、グリーンランド東部沖の海底には、深さ約3000mの巨大な穴がおよそ800個もあり、5500万年前に出来たことが分かっています。

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f:id:takeo1954:20170316050832p:image【⬆︎5500万年前グリーンランド東部で起こったメタンハイドレートの爆発  (同NHKスペシャルより)】

そしてこのメタンハイドレートの炎上によって、地球上の気温は10〜20℃も上昇し、上昇した気温は500万年以上続きます。この気温上昇によって、地球環境も激変します。ユーラシア大陸北アメリカ大陸は酷寒の氷河でつながっていましたが、この気温上昇によって氷河は溶け、緑でおおわれるようになります。その結果、ユーラシア大陸から北米大陸へ多くの哺乳類が移動します。また、樹木も広葉樹が大繁殖します。ご存知のように、広葉樹の多くは、木の実、果実をつけます。木の実を餌とする霊長類にとって最良の環境が現れ、さらに繁栄し、多くの霊長類の種が誕生するようになります。地球上の大陸のいたるとこで現在のアフリカの東にあるマダガスカル島のように、広葉樹と広葉樹が重なり合う〝樹冠〟といわれる森が出現します。地球で初めて起こった現象です。f:id:takeo1954:20170316052527p:imagef:id:takeo1954:20170316052550p:image【⬆︎写真2枚 現在のマダガスカル島の広葉樹の森  (同NHKスペシャルより)】

正に霊長類にとって楽園の時代が始まるのです。そんな樹冠と呼ばれる広葉樹の森が現われてから500万年後、霊長類は顔の形を変えた新たな種が登場します。ショショニアスです。目の位置が顔に並んであります。f:id:takeo1954:20170316053914p:image【⬆︎同NHKスペシャルより】

 このことによって視界は狭くなるものの、目に入るものを立体視することが可能となり、より正確な距離感をつかめるようになります。こうして霊長類の進化も進んでいきます。

 

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今から5500万年前、南極大陸は今の南アメリカ大陸、オーストラリア大陸とつながっていました(このころには、すでにインド亜大陸は、南極らか離れ北上し、ユーラシア大陸にぶつかろうとしていた)。そのため赤道で暖められた海流(暖流)は、大陸沿いに南極まで到達していました。このことで、当時の南極は、緑に覆われた温暖なところでした。その後南アメリカ大陸とオーストラリア大陸は、プレートの動きで北上をはじめ、3300万年前には完全に切り離されます。そのため暖流は南極まで到達しなくなり、南極大陸は数千mの氷河と周りを厚い氷で囲まれるようになります。このプレートの動きが地球の気候を激変させ、5500万年前と比べ平均気温で約30 ℃近く下がってしまいます。

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f:id:takeo1954:20170318051842p:image【⬆︎同NHKスペシャルより】

このことで5000万年前には地球全土に広がった広葉樹の森も激減して、赤道近辺の地域に限られるようになってしまいます。f:id:takeo1954:20170318052542p:image【⬆︎3000万年前の広葉樹の分布=緑の部分(同 NHKスペシャルより)】

霊長類にとって天国だった環境は一変し、北半球の大半で霊長類は存在しなくなります。北米大陸で、5500万年前の地層から初期の霊長類〝カルポレステス〟が発見されていることは、最初に紹介しました。しかし、北米大陸からは、広葉樹の森がなくなって以降、今日に至るまで霊長類(人は除く)は存在しなくなります(どういう訳か、南米大陸にも3000万年前の地層から霊長類の化石が発見されていないという)。霊長類はアフリカを中心に生き延び、進化していきます。1700万年前、アフリカ大陸とユーラシア大陸が陸続きになると、再び霊長類はアジアにも広がっていきます。

   更に、1000万年以降にアフリカ大陸を中心に、新たに気候変動が始まります。一つはヒマラヤ山脈の形成です。インド亜大陸ユーラシア大陸が陸続きになるのが約5000万年前。そして、ぶつかった境界線上で少しずつ隆起が始まり、今から700万年前には、5000m級の大山脈が形成されます。そのヒマラヤ山脈の影響で、アフリカ大陸に乾燥した風が流れるようになります。f:id:takeo1954:20170320105333p:image【⬆︎ヒマラヤ山脈の影響で乾燥した大気が流れこむ  (NHKスペシャル「地球大進化」No6『ヒト』より)】

   それから、もう一つはアフリカ大陸東部を走る〝大地溝帯〟です。大地溝帯はアフリカ大陸東部の真下にあるマントルの上昇の力、スーパープルームによって、1000万年前〜500万年前ころから隆起が始まり、幅35〜100Km、総延長7000Kmに及ぶ断層、2000m級の高地を形成します。このことによってインド洋からの湿った空気は、大陸の西側には乾燥した空気に変わるようになります。こうして広大なサハラ砂漠とサバンナ(草原地帯)が生まれます。f:id:takeo1954:20170320150607p:imagef:id:takeo1954:20170320150614p:image【⬆︎同「地球大進化」No6より】

 

   そうした大きな環境の変化の中で、絶滅した霊長類の種も多くあります。しかし、生き残った霊長類は、厳しい環境の中で進化を続け、猿人により近づいていきます。進化の特徴の大きな変化の一つが、〝眼〟です。今から3300万年ほど前、霊長類で最初の真猿類(人に近いサルらしいサル)カトピテクスが登場します。このカトピテクスは、霊長類ではじめて眼球を骨で包む〝眼窩後壁〟の頭蓋骨を持っていました。このことでカトピテクスの目は、前方の焦点が揺らぐことなくものを見ることができました。それともう一つフォベア(中心窩)です。フォベアは眼球奥に視細胞が集中してあり、前方の物体をきめ細かく見ることを可能にしました。 f:id:takeo1954:20170320113608p:imagef:id:takeo1954:20170320113714p:image【⬆︎カトピテクス   想像図  (NHKスペシャルNo5『大陸大分裂』より)】f:id:takeo1954:20170320083616j:imageこれと平行して真猿類は、表情筋を発達させていきます。f:id:takeo1954:20170320173541p:imagef:id:takeo1954:20170320173552p:image【⬆︎真猿類のさまざまな表情(NHKスペシャル「地球大進化」No6より)】

そして、真猿類は仲間のさまざまな表情を、優れた目で見て判断できるようになります。そうです。仲間の顔の表情を読み取って、仲間同士のコミュニケーションをとるようになります。それによって鳥などが群れて行動するのとは別次元のサル社会をつくります。例えば、子供を持つ母ザルが餌を探すために単独で活動する時、別の母ザルがその子供の面倒を見るなどです。

   こうした進化の先に、およそ700万年前の猿人の登場につながっていくのです。

 

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⚫︎6550万年前の巨大隕石の衝突する以前の地球では、哺乳類は恐竜が支配する世界で、細々と暮していた。ただ恐竜から身を守るためのさまざまな進化があった。子どもは胎内で十分育ててから産む。母乳を分泌し、巣穴から離れず子育てする。もともと温血だったが、体毛を増やして恐竜の出歩かない夜間にも狩りができた。そんな哺乳類の進化があった中で、巨大隕石の衝突があり、恐竜は絶滅した。その結果、哺乳類は草食性の小さなネズミのような動物から飛躍的に進化していく。


⚪️多様性の源
・小さなネズミほどの大きさの哺乳類は、300万年後にはイヌくらいの大きさになり、更に時間を下って、始新世( 5500万年前から3500万年前)と呼ばれる時代になると、驚くほど多様な哺乳類であふれるようになる。森には、シカ、イノシシ、クマ、パンダ、サル、そして類人猿が暮らし、草原では、ウマ、ウシ、バイソン、ヒツジ、ブタ、シマウマ、キリン、カンガルー、ロバが草を食み、地中では、ウサギ、アナグマ、ハリネズミ、ネズミ、キツネが穴を掘り、川や沼では、カバ、ゾウ、ビーバー、カワウソが水しぶきをあげる。また、砂漠ではラクダ、ラマが歩き、海をクジラ、イルカ、アザラシ、セイウチが泳ぎ、空をコウモリが飛びかった。
・多様な哺乳類の進化は、地球の地殻の移動と深い関係がある。このころ(始新世の時代)超大陸パンゲアは、二つの巨大大陸、ローラシア大陸ゴンドワナ大陸に分かれており、更に今日ある諸大陸へと分裂していった。大陸が離れていくにつれて、島が生まれ、その上にいた動物や植物は、新しい環境に適応していった。それらは世代を経るにしたがって、大陸ごと、島ごとに異なる種へと進化していった。
・哺乳類は大きく三つのグループに分かれた。単孔類、有袋類、有胎盤類だ。そのうち有胎盤類、有袋類が種としてはほとんどとなる。


⚪️単孔類
・カモノハシ科とハリモグラ科の二つのみ。哺乳類の中で唯一卵を産むグループ。また哺乳類で唯一電気センサーを備えていて、獲物が出す生体電流を感じることができる。


⚪️有袋類
・代表的な動物がカンガルーとコアラ。有袋類の子どもは、とても小さく生まれ、母親の腹をはい上がって袋に入り、その中で母乳を飲んで成長する。有袋類も多様に進化したが、4万年ほど前、人類がさまざまな動物を持ち込んでやってくると、その生態系はむしばまれていった。
・絶滅した有袋類の一つに、肉食性のタスマニア・タイガーがいた。最後の1頭が1937年にタスマニアホバート動物園で死んだ。


⚪️有胎盤

三つ目のグループは有胎盤類で、哺乳類最大のグループだ。人間もこの仲間で、子どもが十分に成長するまで体の中で育てる。胎児と母体は「胎盤」で結びついており、母親から胎児の血液へ栄養分が送られ、胎児から母親の血液へ老廃物が送られている。


⚪️霊長類
・哺乳類の一つでサル目ともいう。代表的なグループは、旧世界ザル(オナガザル科)、新世界ザル(広鼻猿)、類人猿。
・サルは、アフリカで進化する。そして2500万年ほど前、一つの集団が南米大陸に渡る(いかだのようなものに乗って偶然漂着したと思われる)。もう一つのグループは、陸伝いにインド、マレーシアなどアジアにたどり着く。
・アジアにたどり着いたサルは、オランウータンやテナガザルに進化する。そのどちらかが、またアフリカに戻る。そしてアフリカでゴルラ、チンパンジー、ボノボなどに進化する。
・人類とチンパンジーのDNAの配列は、96%以上が同じであることが分かっている。そのデータから、人類の系統はおよそ700万年前にある類人猿の系統から分岐したとされている。

 

   これでやっと第1部の終了です。次回は、本書のテーマから離れて、閑話休題(余談)として投稿したいと思います。外国の中で最も気になる国であり、また尊敬すべき国であり、かつ学ぶべき国である。そして、またこの本の原作者の生まれた国である英国。その英国のことについて少し紹介したいと思います。本書が4部作なので4回に分けての投稿を予定しています。

🔶《第9回》私の『137億年の物語』

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   前回のテーマが「恐竜戦争」で、私の解説・コメントでは、特にティラノサウルスを中心に紹介するという内容でした。そして、今回は上の表題がテーマです。恐竜とミツバチでは、あまりに話しの対象が違いすぎて拍子抜けかもしれません。しかし、小さな昆虫のミツバチやアリ、シロアリなど、それらが生きている世界は、特筆すべき驚きの社会生活を営んでいます。そのことを中心に少し私のコメントを書きます。それから、この章で鳥について「鳥と恐竜は親類か」という内容の記述がありますが、そのことは前回私の解説で紹介したので、この章の解説としては省きます(「本文要約」で紹介)。

 

   さて、シダ類などの維管束植物が登場したのが今からおよそ4億2000万年前。それから植物の〝花〟が登場するまで約3億年を要します。そう、花は今から約1億3000万年前、〝突如出現〟と言っていいほどで、突然地上に登場し、急速に広がります。この地上での花の登場直後の急速な広がりには、甲虫やハチなどの昆虫の働きがあります。そうです、〝花〟の急速な地上での広がりは、花と昆虫(一部鳥も同じ役割を果たす)とのお互いの共同作業があったからこそといえます。

   植物の約8割は、次の子孫を〝たね〟として残し、種をつないでいく種子植物です。この種子をつくるためには、花の雄しべの花粉を雌しべに届ける受粉が必要です。その受粉を担ったのが昆虫(他にもハチドリのような鳥やコウモリも同じ役割を果たす)です。そして花は昆虫に来てもらうために、花の奥の蜜腺から蜜を出します。ミツバチなどの昆虫は、その蜜を求めて花から花へ移動を繰り返えす。ミツバチに着いた花粉は、同じ種の他の花の雌しべにしっかり届けるのです。もちろん植物にはこうした昆虫の力を借りないで行う受粉もあります。稲や麦のように、風の力を借りて受粉を行う植物です。こうした植物は、蜜腺から蜜を出す機能が退化してしまっています。

 

    さて、本書で紹介されている驚きの内容です。その一つがミツバチ社会のコミュニケーションです。ミツバチは、仲間にダンスでどこに食料(蜜を出す花)があるかを教える。ダンスの「円形ダンス」は、食料が巣から50m以内にあることを示す。そして「8の字ダンス」は、食料がある場所とそこまでの距離について、より詳しく伝えることができる。また、毎年春になると、ひとつの巣のハチの半分は、女王バチとともに古巣を離れ、新しい場所に巣を築く。そしてその新しい巣の設営場所を、驚くべきことに古巣を離れるミツバチたちの〝多数決〟で決めているのです。まずはじめに、群れのおよそ5%にあたるハチが候補地を探しに出かけ、巣に戻るとダンスでその場所を仲間に伝える。他のハチたちはその候補地のチェックに出かけ、気に入った場合は巣に戻ってから長く活発なダンスをする。2週間ほどそうしたことを繰り返し、最も活発なダンスが行われた候補地が新しい巣として選ばれるということです。

    「えっ、ミツバチがそんな行動をしていることが本当に分かるのか」って?  そうなんです。最初私もそう思いました。でも事実のようです。このミツバチのダンスコミュニケーションを発見した人は、そのことでノーベル賞をもらっているのです。その人とは、オーストラリアの動物行動学者の〝カール・フォン・フラッシュ(1982年没)〟で、ミツバチのダンスコミュニケーションの研究によって、1973年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

f:id:takeo1954:20170306074845j:image〈出典〉ウィキペディアフリー百科事典 「ミツバチ」 更新日時 2004.8.14

 

   さて、次はアリの話しです。下にある写真をご覧下さい。なんか葉っぱの破片が不自然に立っているように見えます。実はこの葉っぱ、アリがくわえて巣に運んでいるのです。巣に運んで何をするのかって?  巣の中でキノコ(アリタケ)を栽培するための材料(栄養分=肥料)なのです。もちろんそのキノコはアリの餌=食料となります。 

f:id:takeo1954:20170306075552j:image〈出典〉ウィキペディア フリー百科事典「ハキリアリ」更新日時 2016.9.1

https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Leaf-cutter_Ants.jpg#mw-jump-to-license 

    今紹介したアリは、北アメリカ東南部から中南米熱帯雨林帯を中心とした地域で生息する〝ハキリアリ〟です。ハキリアリのやっていることは、正に農作業です。巣の中の畑に、せっせと森から集めた葉をキノコの肥料として敷きつめる。そしてキノコを育てて収穫し、食料として食べている。農作業など人間の専売特許かと思っていたら、そうではなかったのです。

 

   あるいはまた、アマゾンに住むサムライアリは、これも過去に存在した人間社会特有(と思っていた)の奴隷制度(現在の人間社会では、制度としての奴隷は存在しない。)を持っている。このアリは、自分たちで餌をとることも卵や幼虫の世話をしたり、女王の世話をすることもしない。全て拉致してきた他のアリに行なわせている。ふだんは外に出ることなく、巣の中で拉致してきたアリがとってきた食料を食べて生きているのです。外に出るのは「奴隷狩り」をするときと交尾のときだけです。サムライアリの働きアリは、奴隷狩りの戦闘に特殊化しているのです。それからサムライアリの新女王アリは別の巣を乗っ取ります。他のアリの女王アリを嚙み殺し、なんとその巣のアリに自分の世話をさせてしまうのです。これは、女王アリを嚙み殺すとき、皮膚表面の成分を舐め取ってその女王アリになりきってしまうからといわれています。

f:id:takeo1954:20170306161520j:image〈出典〉ウィキペディア  フリー百科事典「サムライアリ」更新日時2015.3.12   https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Polyergus_samurai_casent0173324_profile_1.jpg#mw-jump-to-license

 

   三つ目がシロアリの話しです。アリが「ハチ目」に属するのに対して、シロアリは「ゴキブリ目」に属していて、種の系統は異なります。しかし、このシロアリも驚異的な社会を形成しています。 先ずその巨大な巣です。その高さは2階建てバスほどのものがあります。ひとつの巣に数百万匹が棲んでいることもあり、その中はミクロ都市のようです。特殊なトンネルによって巣内の温度を調節する空調設備があり、雨水を貯めるシステム、さらにキノコの栽培室まであります。

   シロアリは、クロアリなどの敵に襲われたとき、優れた軍隊組織を組んで迎え討ちます。攻撃が始まると、前線を守る兵隊アリの後ろに予備隊が列をなし、前のアリが死ぬと後ろにいたものがすぐ前に出て欠員を埋める。敵が外壁に穴をあけると、兵隊アリがその穴の外に出て、小隊を組んで並んで毒液で敵を攻撃します。その間に他のシロアリが巣の内側から穴を埋めていく。そのため外に出た兵隊アリは退路を断たれて死ぬ。そうした多くの兵隊アリの尊い犠牲によって巣は全滅することなく、守られているのです。

写真⬇︎シロアリの巣=アリ塚(ソマリア

f:id:takeo1954:20170308054434j:image〈出典〉 ウィキペディア フリー百科事典「シロアリ」更新日時 2017.2.20

 

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 ⚫︎〝花〟の登場は意外に新しく、今から1億3000万年前ごろ出現する。それ以前の地層から花は発見されていない。


⚪️花と昆虫の共同作業
・花をつける草や木を「顕花植物」というが、人間が食べるものの75%以上は顕花植物に由来する。
・花は、草や木にとって繁殖を支える画期的な方法だったので、たちまち世界中に拡散した。その方法とは、おしべの花粉を花粉媒介者の助けを借りてめしべ(雌花)に届け、新たな遺伝子配列を持つ種子を作ることだ。花粉媒介者とは、甲虫、ハチ、ガやチヨウなど。花は花粉媒介者には蜜を与えた。
・花は、めしべの一部「子房」が「果実」となる。果実の中には頑丈な種子が隠れている。この果実をさまざまな動物に食べてもらう。そして消化されず、動物の糞と一緒にいたるところに排出される。
・その他にも種子を拡散する方法がある。風に飛ばされるもの(イネ科の植物や多くの木々)。水で運ばれるもの(ヤシもその一つで海を渡って他の島で繁殖する)。動物の毛について運ばれるものなど。


⚪️鳥と恐竜は親類か
※この章のテーマと少し離れるが、鳥が恐竜の子孫であることを紹介している。もちろん鳥も花粉媒介者の蜂鳥のような鳥もいるし、何より高い木々に成る果実の種子を広く拡散してくれるのが鳥だ。その鳥のルーツについての記述。
・1861年、ドイツ人の化石ハンター、ヘルマン・フォン・マイヤーは、1億4000万年ほど前の地層から「始祖鳥」と名付け、「最初の鳥(の化石)」を発見したと発表した。しかし、その始祖鳥は何から進化したか?という点は不明。
・1976年、アメリカの古生物学者、ジョン・オストロムは、始祖鳥と肉食恐竜であるデイノニクスの骨格が極めてよく似ていることから、「鳥類は恐竜の子孫である」と発表する。
・1990年代初頭、中国東北部遼寧省で、「恐竜版ポンペイ遺跡」が発見された。
1億3000万年ほど前の突然の噴火で、恐竜を含むさまざまな動物が、またたく間に火山灰で埋もれてしまう。そのため埋もれた動物(化石)の組織は、分解を免れた状態で発見される。1995年、中国の科学者たちは、羽毛の生えた恐竜がいたことを証明する化石を発掘した、と発表した。
・それらの恐竜は、保温のための羽毛だと見られている。


⚪️ミツバチの社会
・狩りバチ(スズメバチなどの肉食性のハチ)は、ジュラ紀(およそ2億年前から1億4500万年前まで)に、最初の恐竜とともに登場したが、白亜紀の初期、地球に花が咲くようになってから急速に進化する。狩りバチの多くは1匹だけで暮していたが、中には単純な社会生活を営むものもいた。一方、その狩りバチの子孫として花バチ(花粉や蜜を食べるミツバチ、マルハナバチなど)が現れた。
・ミツバチは高度に社会的な昆虫だ。ミツバチは、ダンスで互いにコミュニケーションをとることができる。円形ダンスは食料が巣から50m以内にあることを示す。「8の字ダンス」は、食料がある場所と距離についてよりくわしく伝えることができる。
・ミツバチは、毎年春になると一つの巣の半分は、女王バチとともに古巣を離れ、新しい場所に巣を築く。どこに巣を設営するるかを多数決で決めている。その方法とは、はじめに群れの5%にあたるハチが、いくつかの候補地を探しに出かけ、巣に戻るとダンスで仲間にその場所を伝える。他のハチたちはその候補地のチェックに出かけ、気に入った場合は、巣に戻ってから長く活発なダンスをする。2週間ほどそうしたことを繰り返し、最も活発なダンスが行われた候補地が新しい巣に選ばれる。


⚪️アリのチームワーク
・アリはハチ目に属する昆虫だ(1億2500万年ほど前に、ハチから進化したと推定されている)。アリの社会には、学校や奴隷制度のような仕組みがある。また、農作業をするアリもいる。
・アリは「フェロモン」と呼ばれる化学物質でコミュニケーションをとる。食料を見つけると、地面にフェロモンの匂いを残しながら巣に戻り、仲間に知らせる。危険な状況になったときにもフェロモンで仲間に知らせる。また、匂いで巣の中のグループを見分けることができる。
・若いアリがはじめて巣から出ていくときにには、年配のアリが食料の探し方と運び方を教えている。
・ハキリアリは農作業をするアリで、葉を集めて巣に運び、巣の中の畑で育てているキノコに肥料として与え、育ったキノコを収穫して食べている。
・アリの中には、他のアリの巣を襲撃し、奴隷として連行するものもいる。壮絶な戦いに勝つと、戦利品として卵や幼虫を持ち帰り、自分たちに使える奴隷に育て上げる。アマゾンに棲むサムライアリは、食料集めも卵や幼虫の世話も自分たちは一切やらず、拉致してきた奴隷アリに押しつけている。
・シロアリは、アリがハチ目に属するのに対し、ゴキブリ目に属するが、やはり社会性昆虫だ。ジュラ紀(およそ2億年前から1億4500万年前)に、最初の恐竜とともに進化し、白亜紀以降その数を増やしていく。シロアリが作る巣の壁は非常に頑丈で、2階建バスぐらいの高さになることもある。空調設備、雨水を貯めるシステム、さらにはキノコの栽培室まである。
・シロアリの兵隊アリは、天敵であるクロアリから巣を守っている。アリの攻撃がはじまると、前線を守る兵隊アリの後ろに予備隊が列をなし、前の兵隊アリが死ぬと、後ろの兵隊アリがすぐ前に出て欠員を埋める。多くの兵隊アリが戦いで死ぬ。その犠牲によって巣は守られている。

 

 

🔶《第8回》私の『137億年の物語』

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   恐竜の中で最強といわれているのは、ご存知のティラノサウルスです。恐竜の中だけでなく、地上に生きる動物の中で史上最強といわれています。体長は最大13m、体重は最大6t、噛む力=咬合力は最大8tにもなったといわれています。f:id:takeo1954:20170228053322p:image(2016.9.18 NHKスペシャル「完全解剖 ティラノサウルス…」より)

ちなみに現在生きる咬合力の強い動物と比較すると、ライオン0.4t、サメ0.6t、カバ1t、ナイルワニ2.2tなどとなっています。過去に存在した動物で、このシリーズの第5回で紹介した怪魚ダンクルオステウスが5.5tといわれています(ティラノサウルスの咬合力の数値など、本文のものと異なる。ウィキペディアティラノサウルス」など参照)。なので恐竜ティラノサウルスの噛む力は、過去の動物を含めて圧倒的な力を持っていて、正に史上最強です。また、視力や嗅覚に優れ、知能の点でも大変優れていたといわれています。

 

   昨年9月18日(日)にNHKで、NHKスペシャル「完全解剖 ティラノサウルス〜最強恐竜 進化の謎」が放映されました。ナビゲーター役で、ディーン・フジオカさんが出演した番組です。特に男性には興味をそそられるテーマだったので、ご覧になった方も多いと思います。その内容は、「ティラノサウルスの祖先は、今の中国辺りから当時陸続きだったアラスカを経由して、北米大陸に移動する。移動したときのティラノサウルスの祖先は、小型の恐竜だった。そして、行き着いた北米大陸f:id:takeo1954:20170228044407p:imagef:id:takeo1954:20170228044444p:imageで、動物界の頂点に君臨していたのは写真にある〝シアッツ〟で、体長は11mほどあり、ティラノサウルスの祖先が闘える相手ではなかった。それが数百万年の進化の中で、立場は逆転するようになる。頭部が大きく(1.5m)、横にも広がり、目の位置が変化したことで、視覚の遠近感を把握する能力が高まり、獲物を捕らえる能力が向上した。知能も高く、今のライオンのようにチームで獲物を捕らえる能力もあった。数頭が獲物を追う。他の数頭は逃げ道で待ち伏せして獲物を捕らえることが出来た。また、鳥とティラノサウルス(恐竜)の祖先は、共通のDNAの配列を持つ。それと中国でティラノサウルスの祖先(コエルロサウルス)の化石から羽毛のついた化石が発見さた。このことからティラノサウルスも羽毛で覆われていた(写真)」。と、このNHKスぺシャルでは説明している。f:id:takeo1954:20170228053143p:imagef:id:takeo1954:20170228053207p:imageこのシュミレーションによってグラフィック映像にされた写真を見ると、スティーヴン・スピルバーグ監督のジュラシック・パークで登場したティラノサウルスレックスの印象とまったく違っています。これからティラノサウルスなど、大半の恐竜の再現図は上の写真のようになるかもしれません。

   ただし、ティラノサウルスなどの恐竜が、成長して大人になってからも羽毛で覆われていたかどうかは諸説あって異論も多いようです。そんな訳で、ティラノサウルスの想像図は羽毛のあるもの、それから従来通りの羽毛のないものとの二つのパターンが存在し、しばらく使用するところによって異なる併用が続くのではと思います。

 

   ところで、このシリーズの前回第7回の投稿でも説明しましたが、ご存知ように今から6550万年前、メキシコ ユカタン半島沖に、直径10Kmの巨大隕石が衝突したことで、恐竜は絶滅してしまいます。ティラノサウルスのように、生態系の頂点に君臨していても、地球環境の激変が起こったときは、最も対応力の乏しい動物といえます。そういう点から見れば、バクテリアなどの微生物や菌類などの小さな生物が最も対応する力があるのかもしれません。それららは全地球上のいたるところに隈なく存在します。存在する場所も地中深くだったり、空中を漂ったりしています。巨大隕石の衝突で、相当数が死滅しても生き残るものははそれ以上で、確実に生命をつないでいます。爬虫類や哺乳類も、小型で環境に対応する能力のあるもののみが、命をつなぐことができたということになるのでしょう。

 

 

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ペルム紀の大量絶滅によって、地球上の生物の90%以上が消えた。その絶滅後の地球上で繁栄したのは菌類だった。この時代の地層の化石として残っているのは、ほとんどが菌類だ。哺乳類の祖先である単弓類で生き残ったのは、リストロサウルス一種だけだった。もしこの種も生き残らなかったなら、人類はこの世にいなかっただろう。
・リストロサウルスの系統のみが繁栄していたころ、まったく新しい爬虫類が登場した(単弓類からの進化ではなく、双弓類から進化)。それは恐竜だ。それまでの四肢動物のように、地上を這うように歩くのではなく、四肢が胴体の真下にあつたので、長い距離を早く移動することができた。それが恐竜の繁栄の大きな要因となる。恐竜の繁栄は他の陸上動物の衰退を招くことになる。


⚪️さまざまな恐竜たち
・ディプロドクスなど、最大級の恐竜の多くは竜脚類に属していた。それらは草食性で、四足歩行し、大きなものは体長が30m、体重が11トンにもなった。
・鳥脚類に属するヒプシロフォドンは、人間の腰に届くかという小さな恐竜だが、シカのように速く走ることができた。9000万年にわたつて繁栄したが、それを可能にしたのは逃げ足の速さだったのだろう。
・イグアノドンは、二足歩行と四足歩行のどちらも可能な恐竜だ。草食性で体長は成長すると10mほどになった。前あしの爪が鋭利な短剣のようで、防御する際はこの爪で撃退した。
・地球の陸地を歩いた最強の生物は、ティラノサウルス・レックス(Tレックス)だろう。2本足で歩き肉食。体長は12m、体重は現在のゾウほどもあった。アゴの力はライオンのアゴの8倍強かったと推定され、そのアゴで獲物の骨を噛み砕き、栄養豊かな骨髄まで食べていた。


⚪️社会生活を営んだ恐竜
・恐竜の大半は穏やかな草食動物で、地球上で初めて社会的集団を形成した。米国モンタナ州では、ある草食恐竜の1万頭に及ぶ群れの化石が発見されている。火山の有毒ガスを吸って倒れ、火山灰に埋もれて化石になったが、その化石は1.5Km以上にわたって連なっていた。
・現在恐竜の営巣地は世界で200ヵ所以上で見つかっている。恐竜の多くは、毎年同じ繁殖地に戻って卵を産み、子どもが成長するまで群れの中で育てた。


⚪️恐竜の大量絶滅
・6550万年前、白亜紀は終焉を迎え、新生代第三紀が始まっていた。そのころ恐竜には住みにくくなっていた。大気中の二酸化炭素濃度が上昇して温暖化が進み、加えて超大陸パンゲアが分裂していき、気候が変化していく。恐竜の生息地も分断、細分化されて、恐竜どうしが生息地を奪い合うようになった。その結果、恐竜全体が減少していった。
・そんなときに巨大隕石の衝突が起こる。直径10Kmの巨大隕石が、時速11万Kmの速度で地球に向かい、メキシコ、ユカタン半島の先端に衝突する。隕石は直径160Km超のクレーターを形成し、半径1000Km以内のすべてを破壊しつくした。衝突地点周辺では、激しい地震が起こり、高さ数十mを超える津波が、地球上の海岸線全域を襲った。また衝突地点の真下にあった有毒の硫黄の塵を、地球上に大量に撒き散らし、1年近く濃い刺激性のガスに覆われた。
・インドにある溶岩台地「デカン・トラップ」は、このときの巨大隕石の破片が衝突したことで巨大火山が連続して噴火し、溶岩が数百万平方Kmに広がったものといわれている。
・2億5200万年前のペルム紀の大量絶滅後、地球上で繁栄したのは菌類だったが、今回最初に繁栄したのはシダ類だった。
 

   次回第9回は、内容がガラッと変わって「花と鳥とミツバチ」です。

🔶《第7回》私の『137億年の物語』

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   この章は、石炭紀(3億5900万年前〜2億9900万年前)から、爬虫類が支配するペルム紀、そして2億5200万年前(2億5100万年前とする説などがある)の「ペルム紀の大量絶滅」までのことが内容です。とにかく「ペルム紀の大量絶滅」がすごい。想像を絶する事態が起こったのです。生命誕生から今日まで、地球上で大量絶滅といわれるものが5回起きています。それをビッグファイブとも呼んでいます。そして、その中でも最大級の大量絶滅がこの「ペルム紀の大量絶滅」でしょう。このシリーズの投稿で、第3回の「地球と生命体のチームワーク」の中でも、プレートの移動の説明の中で既に「ペルム紀の大量絶滅」のことについて触れました。生命がどのくらいの率で絶滅したかは、はるか昔のことなのでその推定は難しいでしょう。当然諸説あります。この本では全生物の96%が絶滅したと書かれています。ウィキペディア フリー百科事典では、海洋生物の96%、全生物の90%〜95%が絶滅した(ウィキペディア :「ペルム紀」2017年2月1日5:06更新)とあります。全生物のほとんどが絶滅するという驚きの数字です。しかし、このペルム紀後期の大量絶滅に至った凄まじい正に地獄の世界を知れば、「よくぞ数%の生物が残ってくれた」とも思ってしまいます。

 

   それでは改めてペルム紀末の地獄の世界を見てみましょう。シベリアン・トラップ(シベリア・トラップ)についてもシリーズ第3回目で紹介しましたが、改めてその規模や場所など、シベリアン・トラップの概要を見ていきましょう。

 f:id:takeo1954:20170210051406j:image〈出典〉ウィキペディア  フリー百科事典 「シベリア・トラップ」 更新日時  2016年 11月26日 7:30

 https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Extent_of_Siberian_traps-ru.svg#mw-jump-to-license

     上の地図で、黒い線で囲ったところがシベリアントラップといわれている場所になります。広大なのが分かります。ドイツ以西の西ヨーロッパに匹敵する面積です。この広大な土地に遥か昔に爆発的な噴火あり、その証拠となる溶岩が残っているのです。その大量の溶岩が噴出した場所は、シベリア大陸としておよそ5億年前から存在し、安定した基盤の大陸だったところです。なのでプレートの移動によって大陸が引き裂かれた場所に大量の溶岩が噴出したのではなく、もともとあった大陸を突き破って溶岩が噴出しているのです。その大陸を突き破ったもとになったのは、このシリーズ第3回で紹介したマントルのスーパープルーム(プリューム)だといわれています。もちろんこのスーパープルームの発生は、プレートの移動に伴う大陸同士の衝突が関係していると推測されます。

 

   プルームには、マントルが上向きに移動するホットプルームと下向きに移動するコールドプルームがあります。こちらもウィキペディアからの引用になりますが、「現在南太平洋の下は、スーパーホットプルームが存在し、大地溝帯グレート・リフト・バレー)が形成された原因であり、南太平洋に点在する火山の源であると考えられている。また、ホットプルームは外部マントルと内部マントルの境目の深さ670Kmの部分でいったん滞留した後に上昇するため、通常では地上へ激甚な影響を与えることはない。」。一方現在もユーラシア大陸の東、シベリア東部にあたる場所の地中深くのマントルには、下向きのスーパーコールドプルームがあります。「スーパーコールドプルームは周辺のプレートを吸い寄せるため、陸地を1か所に集めて超大陸を形成する原動力にもなる。」といいます。そのためその上にある陸地、シベリア大陸はプレートに比べて比重が軽いので、沈み込むプルームに対して浮いた状態になります。従って安定した陸塊、大陸になるといわれています。

 f:id:takeo1954:20170215052336j:image〈出典〉 ウィキペディア  フリー百科事典 「プルームテクトニクス」更新日時 2016年12月24日 13:49

https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Lower_Mantle_Superplume.PNG#mw-jump-to-license

    しかし、スーパーコールドプルームによってプレートが吸いよせられて超大陸ができる。そして今度はスーパーホットプルームの甚大な力が強まり、超大陸が引き裂かれるプレートの動きが生まれる。シベリアントラップにつながったのはこの時だといわれています。通常ホットプルームマントルの上昇対流)は、一旦内部マントルと外部マントルの間に滞留しますが、この時は滞留することなくマントルの溶融したマグマが、マントル上部に到達し、本来安定した大陸塊であるシベリア大陸の地殻をも突き破って超巨大噴火が始まった。そんなプロセスをたどったと思われます。改めてその時のシベリアントラップが形成された噴火の規模です。第3回目の投稿で、「富士山の噴火の規模とは比較のしようがない」と書きましたが、その比較がこれもウィキペディアになりますが、その「ペルム紀」に「噴火した溶岩の量は、富士山の過去1万年間で噴火した溶岩の量の10万倍である」とあります。とにかく桁違いの超巨大噴火でした。そしてそれは地球環境を激変させました。

 

   大噴火は、先ず溶岩とともに有毒のガスと灰を噴出させます。そして噴煙(火山灰)は地球全体を覆い、昼も夜も区別出来ない暗黒の酷寒の世界が50年前後続く。やっと噴煙が収まると今度は噴火によって大量に放出された二酸化炭素温室効果のために気温と海水温を急上昇させます。海水温上昇は海底のメタンハイドレートを不安定にさせ、メタンガスを放出させ、更に二酸化炭素濃度を上げます。こうして地上も海中もほとんど無酸素状態になります。海中の無酸素状態は1000万年〜2000万年続いたといわれています。こんな状態では生物が生き残ることは絶望的だったことが分かります。「よくぞ数%の生物が生き残ってくれた」という気がします。この中の一つが私たちの祖先になるからです。

 

   ところで、この章の中に驚くべきことが書かれています。「2006年6月に、南極大陸東部の氷床の下に、直径約480Kmのクレーターが発見され(2億5100万年ほど前の衝突とされる)、巨大隕石の衝突も大量絶滅に関与したのではないかと考えられるようになった。」とあります。この次の章で登場する恐竜の大量絶滅につながった6550万年前にメキシコ、ユカタン半島先に残っている巨大隕石によって出来たクレーターの直径は160Km超とされています。だから南極大陸東部のクレーターの方が面積で数倍大きい。衝突した隕石の大きさを比較すると、6550万年前のものが直径10Km、ペルム紀のものは直径50Kmと推定されています。この直径で両方の体積を比較すると、ペルム紀に衝突した隕石は、恐竜絶滅の要因とされる隕石のざっと125倍です。当然破壊力も体積比と同じということになります。

 

    話しがまた変わりますが、今から13年前の2004年の4月から11月にかけ、NHKでNHKスペシャル「地球大進化〜46億年・人類への旅」という番組が、全6回で放映されました。俳優の山崎努さんがナビゲーターとして出演した番組で、視聴した方も多いと思います。その番組の第1回目で、40億年前に地球に直径約400Kmの巨大隕石が衝突したという科学者の説に基づいて、同じ規模の巨大隕石が「もし現在の地球に衝突したら」という内容で、衝突の場面を科学の専門家のシュミレーションで映像化し放映されました。衝突の場所は日本の南方1500Kmの太平洋の上です。その衝突のシーンの一部を写真ですが紹介します。

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【巨大隕石(直径400km)衝突の瞬間。衝突する直前の速度は時速7万2000Km】

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【このクラスの隕石の衝突では、津波ではなく、地球の地殻を巻き上げながら押し寄せてくる「地殻津波」となる。日本が呑み込まれる瞬間】

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【衝突の爆風で、地殻の破片(約1Km大)を地上数千Kmの宇宙に放出し、その後地球の引力で隕石となって落ちてくる。】

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【衝突地点(数千Km)の温度は太陽の表面温度とほぼ同じ4000〜6000度。この温度は地球の岩石を一気に気体(岩石蒸気)にして、地球全体に広がる。】

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【巨大隕石の衝突でできたクレーターの直径はおよそ4000Km。クレーター周辺は高さ7000mの山脈のようになる。】

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【高温の岩石蒸気が全て地球を覆い、海水は全て蒸発し、更に海底の岩石も溶けだすほどの高温で覆われる。】

 

    ペルム紀末、南極大陸東部に衝突した巨大隕石は、上で見た直径400Kmの隕石より小さいものの、6550万年前の恐竜を絶滅に至らせた巨大隕石の125倍の超巨大隕石です。同じように巨大な地殻津波を引き起こし、全地球を高温の岩石蒸気で覆ったでしょう。当然地球内部のマントルの奥深く到達し、甚大な衝突による衝撃圧力を与えます。同じ時期に丁度反対側のシベリアシベリアントラップとなる巨大噴火が起きています。ということは「シベリアントラップの巨大噴火は、この巨大隕石の衝突が引き起こした」。そんな気がします。詳しく分かりませんが、もうそんな仮説が発表されているかもしれません。

 

 

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⚫︎この章は、魚から陸上動物への途中形態の動物から爬虫類が支配するペルム紀、そして〝ペルム紀の大量絶滅〟までの内容。


⚪️陸に上がった魚
デボン紀後期の3億7500万年前、肉質のヒレを持つ魚と四肢動物の特徴を併せ持ったテイクターリクと呼ばれる動物(成長すると3メートルにもなった)が現れ生息した。
・さらに数百万年後イクチオステガという最初の真の四肢動物が登場した。もはや魚ではなくわれわれの遠い祖先になる。
・約3億4000万年前、イクチオステガから進化し、現両生類の祖先と見られる分椎目(ぶんついもく)が登場する。おとなのワニほどの大きさのものからイモリくらいの小さいものまでいて地上で繁栄する。生まれるとしかし、大陸が集まって巨大な超大陸が生まれると、産卵が水辺に限られた両生類にはさらなる繁栄は難しくなった。


⚪️人類の遠縁あらわる
・3億1500万年前ごろ両生類と違い、陸上で産卵できる爬虫類が登場する。最古の爬虫類はヒロノムスだ。その後哺乳類の祖先で人類の遠縁にあたる単弓類が出現する。頭部の左右に側頭窓という穴があり、その下にあるアゴを大きく開け、力強く咬むことができるようになった。
※側頭窓は耳にもつながっていく。
・単弓類で最も繁栄した種の一つは、ディメトロドンで、背中に大きな帆を持っていた。この帆は熱交換器の役割を果たし、他のどの動物より早く体温を上げることができた。ディメトロドンは、哺乳類の温血性を先取りしていたのだ。


⚪️ペルム紀末の大量絶滅
・今から2億5200万年前、地球上のあらゆる生物は劇的な終焉を迎える。〝ペルム紀の大量絶滅〟である。
・そのころには、すべての大陸は1カ所に集まって、超大陸パンゲア〟を形成していた。その他は〝パンサラッサ〟と呼ばれる広大な海洋が広がっていた。これによって海流は劇的に変化し、激しい季節風が襲い、暑く乾燥した時代が訪れた。
・巨大な大陸が衝突すると、火山の噴火が増え、超火山が出現する。その当時の超火山の証拠が今も残っている。シベリアン・トラップだ。この超火山は100万年以上にわたつて噴火し続けた。
・2006年に南極大陸東部の氷床の下に、直径約480Kmの巨大クレーターが発見された。パンゲア出現の時期に巨大隕石の衝突があったと考えられるようになった。そのため巨大隕石衝突と超火山の噴火の二つが生物の大量絶滅に影響したとされるようになっている。
・超火山の大噴火は、噴火当初猛毒の灰が吹き上げられ、スモッグとなり、全地球を暗黒の世界に陥れた。昼も夜もない酷寒の世界が50年続く。その後火山灰が収まると、今度は噴火により放出された大量の二酸化炭素によって、気温と海水温を上昇させ、海からは大量のメタンガスが噴き出し、更に地上の気温を上昇させた。その結果、地球上の生物の96%が絶滅したと見られている。

 

    次回第8回のテーマは「恐竜戦争」です。

 

🔶《第6回》私の『137億年の物語』

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   今回のテーマの年代は、前章とほとんど重複する4億年前から2億5200万年前の話しで、地球上の陸地で起こった出来事になります。

 

   この章でもいろいろな驚きがあります。その中から私が最も印象に残った驚きの出来事を三つほど紹介したいと思います。

 

   前回の章で、海や川で生きる動物のいくつかが、地上に進出するきっかけとなったのは、地上の酸素濃度の上昇であると書きました。実は、そのことが最も印象に残った中の一つです。現在私たちが生きている地球上の酸素濃度は21%です。それが3億5000万年前には、地球上の酸素濃度は35%まで上昇したといわれています。なぜ、そこまで地球上の酸素が上昇し、その後酸素濃度は現在の21%まで下がってしまったのか。

   酸素濃度は、海の中にいるシアノバクテリアなどの微生物や藻などの光合成によって、少しずつ大気の酸素濃度を増やしていきましたが、劇的に酸素濃度を増やしたのはやはり樹木の登場と繁殖範囲を地上の大半に広げていったからです。このころは地質時代区分で、石炭紀(3億5920万年前〜2億9900万年前)といわれているように、その地層から石炭が発掘される層です。そうです。その時代の木が化石化したものです。この化石の元になったのがリンボク(現在ある植物のリンボクと違い、高木になり、木の高さ40m、幹の太さ直径2m位になる)です。このリンボクは、いたるところにかなり密集して繁殖したといわれています。それと地上で極めてよく繁殖したのが、ヒカゲノカズラなどのシダ類です。これらの植物を中心に地上の広範囲に及ぶ繁殖が、一斉に光合成を行うことによって大気中の二酸化炭素を取り込み、水を分解して酸素をつくる。その結果酸素濃度もどんどん上昇していったのです。ちなみに、酸素濃度の上昇は、酸素と紫外線が反応してオゾン層も形成していく。これによって地上に届く紫外線の量が減少し、動物が生きていく条件が整えられていく訳です。また、酸素濃度の上昇は、巨大とんぼ(カモメほどの大きさがあった)などを出現させることにもなります。

   さて、35%まで(これ以上増えると風による木の枝どうしのこすれなど、自然現象で発火してしまうような状態になる)上昇した酸素濃度が、今度は何故減少に転じたのか。これもおもしろいですね。この世で進化しているのは、動物や植物だけでなく、微生物や菌類も同じで常に進化しています。この石炭紀の時代まで、地球上には木を腐食させる菌類=木材腐朽菌(白色腐朽菌、褐色腐朽菌など)が存在しなかった。石炭紀の後半の3億年ほど前から木材腐朽菌が登場して、樹木の細胞壁を強くしているリグニンを分解するようになる。そして、菌がリグニンを分解するときに、今度は酸素を多く必要とするようになります。腐らずに寿命を終えたリンボクなどが大量に地上に横たわっていたので、急速に木材腐朽菌が繁殖して木を腐らせる。それと同時に急速に今度は地球上の酸素濃度が減っていったというわけです。この木材腐朽菌の大半を占める白色腐朽菌、実は皆さんがよく知っているキノコ類で、椎茸、舞茸、えのき茸もその仲間です。

f:id:takeo1954:20170207052423j:image 〈出典〉ウィキペディア  フリー百科事典 「地球の大気」  更新日時   2017年1月23日  19:50

https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Sauerstoffgehalt-1000mj2.png#mw-jump-to-license

 

    二つ目の驚きです。先ほどの一つ目のことと大いに関係することです。「ああ、そういうことだったのか」と納得したことでもあります。現在も石炭は、私たちの生きる社会の中で重要なエネルギー源、燃料として広く利用されています(現在は中国が世界の消費量のほぼ半分を占める)。石炭の埋蔵量は、今の消費量を続けても100年以上使えると試算されています。無煙炭などの高品位の石炭(炭素比率が高い)は、埋蔵量が少なくなっているようですが、褐炭などの低品位の石炭を含めると年々埋蔵量は増えているようです。これまで不思議に思っていたのは、人類がどうしてこんなに膨大な量の石炭を100年以上に渡って採掘し続けられ、これからもさらに長期に渡って採掘できるのか、という点でした。謎が解けました。高さ40m、幹の太さ直径2mもあるようなリンボクが寿命が尽きて地上に倒れる。石炭紀の時代には、まだ木材腐朽菌が存在しないので、1万年、10万年経ってもリンボクは腐らず、昨日倒れたばかりのような状態でうず高く積み重なっていった。そして数千万年、数億年の長い時間の経過の中で、堆積物で覆われ、プレートの移動で地殻がマントル内に入り込む影響で地中深くに押し込められていく。そして、長期に渡る地熱と地下深くにとどまることによる甚大な圧力がかかる。そんな状態が数億年続くことで、膨大な量の石炭が作られた、ということになります。逆に、現在大量の樹木を切り倒して積み上げ、そのままの状態で数億年置いたままにしていたら石炭に変化するか、といったらもうお分かりと思います。木材を切り倒してそのまま野ざらしの状態で、数十年、数百年、野外に置いておいたら木材腐朽菌が木のリグニンを分解し、その後をバクテリアが無機化してしまう。ほとんど腐葉土のように土化してしまうのです。

 

   そして三つ目の驚きです。この世の中で最も巨大な生物は何か知っていますか? もちろん動物ならシロナガスクジラでしょう。でも動物だけではなくて、植物などこの世に生きている生物すべてが対象です。アメリカ合衆国西海岸の高さ80mを超す巨木=ジャイアント・セコイアか?  違います。答えは菌類、きのこです。きのこは、単独で生きているのではなく、白い菌床でつながっています。目に見えるきのこは、植物でいえば花や果実にあたります。きのこときのこをつなぐ菌床は、植物、樹木でいえば幹や根にあたります。この本で紹介されているように、1998年にアメリカオレゴン州で総面積9平方Kmにおよぶオニナラタケの菌床が発見されました。推定重量600トン、およそ2400歳とみなされています。おそらく生物の寿命でも最長ではないでしょうか。

 

 

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⚪️最初に地上に現れた植物は、海藻やコケに似たどろどろしたものだった。それらはシアノバクテリアの子孫で、海や河や小川のすぐそばにへばりついて生きていた。その後ほぼ同じ場所でスギゴケ、ゼニゴケ、ツノゴケなどしっかりした根や葉がなく、水辺の近くでのみ繁殖する植物の時代をへて、4億2000万年ほど前に内部に菅をもつ「維管束植物」が現れた。

 

⚪️木と葉という発明
・樹木の祖先である維管束植物は、イギリスのライニーで完璧な形の化石が見つかる。化石の調査から、維管束植物はリグニンという細胞壁を強くする物質を持っていた。そのため雑草と違い干ばつのときも直立したまま生きのびることができた。
石炭紀(3億5900万年前)になると、維管束植物の子孫ヒカゲノカズラ類が大繁殖する。その仲間レピドデンドロンは幹の太さ直径2メートル、12階建のビルに相当する高さを誇った。これらの樹木のおかげで、それから数億年の時を経て、人類は石炭という化石燃料を使って産業革命を起こし、今も不可欠なエネルギー源として使われている。
・2億7000万年前からから、樹木は主役が入れ替わっていく。新たな主役は〝真葉植物〟だ。大きな葉を持つことで、光合成がより効率的に行われるように進化していった。


⚪️菌類との共生関係
・木と菌類は密接な共生関係にある。枯れ葉や死んだ生物を発酵によって分解し、木が栄養として吸収できる物質に転換している。また菌類は木が光合成によって作られた糖分をもらっている。
・菌類のほとんどは地下に暮らしている。それらは菌糸とよばれる糸でつながって、菌糸体という塊を形成している。菌糸体は超巨大になることがある。1998年に、アメリカのオレゴン州で発見されたオニナラタケの菌床は、総面積が9平方Kmにおよび、推定重量600トン、およそ2400歳と見なされている。現在、顕花植物の80%が地中の菌類と共生関係にあるといわれている。


⚪️蒸散作用と種子の登場
・木は、高いところまで水を届けなければならない。気圧の力では10メートルが限界だ。それを解決したのが浸透圧差を利用した蒸散作用。木の葉の気孔は環境条件によって開閉し、必要に応じて水分を蒸発させる。水分が失われると樹液の濃度が高くなるので浸透圧差が生じて幹から水分が吸い上げられるのだ。
・木も最初は菌類と同様に子孫を残すため、胞子を風で飛ばしていた。これだと胞子が湿気のあるところに落ちないと発芽できない。これを解決したのが種子だ。最初に種子を作り出したのはソテツで、その起源は2億7000万年前にさかのぼる。更に木は有性生殖という方法を身につけるようになる。


⚪️昆虫の登場
・3億5000万年ほど前の石炭紀には、豊かな森林によって、地球上の酸素濃度35%にまで上昇したとみられている(現在は21%)。この高い酸素濃度が海から地上に生きる生物を増やしていき、生物の体を大きくしていくことにもつながった。昆虫の出現もそのころだ。その一つトンボは現在のカモメほどの大きさがのものもあり、空を支配した。さらにトンボとは別の甲虫は、ソテツの雄花の花粉を身にまとい、雌花まで運んで受粉させる有性生殖に関わることになった。

 

⚪️生物が土をつくる
・ミミズや菌類、そして甲虫をはじめとする昆虫は、地上の生物を支える貴重な資源である土壌を整えてくれる。落ちた葉や腐った木などをリサイクルして養分に変える。生物の存在が畑で野菜を育ててくれる柔らかい黒褐色の土をつくる。また土は風、水、氷、プレートの移動によって数百万年単位で作り変えられている。

 

   次回は、陸上に上がって繁栄し始めた動物たちと突如襲ったペルム紀の大量絶滅が主な内容となります。タイトルは「進化の実験場」です。

🔶《第5回》私の『137億年の物語』

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   しばらくブログ投稿を休んでいましたが、再開します。『137億年の物語』の5回目からまた続けます。

 

  この章は、今から約5億年前のカンブリア紀から約3億6000万年前のデボン紀の間に栄えた代表的な海の中に生きた生物の紹介になります。

 

   この時期の地球は、陸上では本格的な動物は現れていません。今から4億2000万年ほど前に最初期の植物やコケ類が登場し、ミミズのような小さな生き物が海から移り住みます。それから数千万年ほど経てから甲虫のような昆虫が登場するようになる。そんな時代です。陸上の本格的な動物、イクチオステガが登場するのは、デボン紀後期の3億6000万年ほど前のこと。そうです、この時代の生き物は、海の中の動物が全盛で主役です。今も海の中で生きているサンゴやクラゲ、サメは、この時代に登場します。また、アンモナイトや板皮類、ウミサソリなど絶滅した動物も多くいます。この時代、動物は海の中で多様に進化していきます。

 

   さて、この時代の海の中、かなり危険がいっぱいのところになっていたと思います。さまざまな種類のサメが登場します。そしてそのサメをも一噛みにして捕食してしまう板皮類がいました。その中のダンクルオステウスは、体長が最大10mもあったといい、正に海の生態系ピラミッドの頂点に君臨していました。また、体長は2mを超え、尾の先に毒針を持つウミサソリも海の中を回遊したり、海底を歩いたりしている。多くの海に生きる動物が身を潜め、細心の注意を払って生きてる。そんな世界がこの時代の海の中の世界だった。おそらく今の時代より海の中や川の中は、はるかに危険な場所だったと想像します。

 

    この海や川の水中の危険から逃れようとしたことが、もともと海の動物だったものが陸上に上がろうとした要因のような気がします。もちろん、別の大きな要因もありました。シアノバクテリアなど、数十億年に渡る微生物による光合成や、陸上にシダ類などの植物が登場し、さらにその後は高木のリンボクなどが繁殖していく。その結果地上の酸素濃度をどんどん高めていくことになります。そのことが海の動物のいくつかが、地上に上陸する大きなきっかけとなりました。そのあたりの地上の変化、様子については次回紹介します。

 

                    ダンクルオステウスの頭骨⬇︎

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〈出典〉ウィキペディア  フリー百科事典

               更新日時   2016年11月29日 01:02

https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Dunkleosteus.jpg#mw-jump-to-license 

 

 

 

 

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 ※今から約5億年前のカンブリア紀から約3億6000万年前のデボン紀の間に栄えた代表的な海の中に生きた生物の紹介。生物が地上にあらわれる以前、生物は海の中でさまざまに進化が進み、多様で大量の生物が繁栄する。その進化とは殻、骨、歯の発達、脊椎動物、四肢動物の登場などだ。そうした進化こそが生物の地上への登場を可能にした。


⚪️海綿動物
カンブリア紀の海洋生物の中でも最も単純な動物のひとつで、今日でも約5000種類が確認されている。この生物は海の底の岩にくっついて暮らす。


⚪️サンゴ類
サンゴ礁は、小さな海洋生物(サンゴ虫)が祖先の死骸の上に住まいを築きながら何十万年もかけて作ったもの。現在世界最大のサンゴ礁はオーストラリア北東沖のグレート・バリア・リーフで南北2000キロ以上におよぶ。今日海洋生物のおよそ30%がこのサンゴ礁に生きている。そしてカンブリア紀の海もサンゴ礁が豊富にあり、グレート・バリア・リーフ同様多くの生命で満ちあふれていた。


⚪️クラゲ
クラゲはサンゴ虫と同じ刺胞動物門に属し、海綿同様原始的な生物だ。カンブリア紀にはどこにでもいた一般的な生物で、中にはライオンに匹敵する攻撃力を持つものもいた。クラゲは集団で狩りをする。クラゲは史上はじめて組織の分化が生じた生物のひとつだ。


⚪️アンモナイト
アンモナイトは約4億年前のデボン紀に登場した。巻貝に似ているが、最も近い仲間は頭足類のタコやイカである。堅い殻は、鋭い歯を持つ捕食者から身を守る防具の役目を果たした。ドイツで発見された大きなものは、直径が2m近くもある。6550万年前恐竜が絶滅したときに絶滅した。

 

⚪️ホヤ類
大きな袋のようなホヤは、海底に体を固定し、大量の海水を吸い込んで、食料を濾し取っている。ホヤの赤ちゃんはオタマジャクシのように水中を泳ぎまわる。推力をもたらすその特殊な尾には、脊索と呼ばれる原始的な背骨がある。ホヤの子孫は、この脊索を脊椎に進化させた。神経索や脊椎を持つあらゆる動物は、脊索動物門と呼ばれるグループに属し、魚、両性類、爬虫類、鳥類、哺乳類が含まれる。ホヤの赤ちゃんは、人類の最も古い祖先である。


⚪️板皮類
先史時代の海にいた恐ろしい生物の代表格でアゴと歯を持つ最初の魚。史上最強の噛む力を持つ種がいたことがわかっている。大きなものは体長10メートル、体重が4トン以上にもなり、まさに重戦車のようだった。ペルム紀後期(2億5200万年まえ)の大量絶滅で姿を消した。


⚪️ウミサソリ
毒針が仕込まれた尾を持つウミサソリは、体長2メートル以上になることもあり、先史時代の海に生息する最も危険な生物のひとつだった。節足動物門に属す。昆虫、クモ、甲殻類は皆この門に属し、三葉虫もこの門に含まれる。ウミサソリペルム紀末の大量絶滅で姿を消した。


⚪️カマス
カマスの先祖は、二つの優れた特徴を発達させて繁栄した。一つは浮袋を進化させ、水中で静止できる仕組みを持つ。もう一つは浮袋を使って聴覚を発達ささせたことだ。


⚪️肺魚
肺魚の祖先は、エラを原始的なな呼吸器官に改造して、海から陸へ逃れる道を築いた。2億年前の肺魚の化石も見つかっていて生きた化石と言われている。地上での空気呼吸とエラを進化させて地上を歩くこともできて海から陸へ上がる道を開いた。