🔶《䜙談 その》私の『億幎の物語』

 

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   やっず第郚「母なる自然」の投皿が終わりたした。ただ、党䜓の分のではありたすが、郚構成のうちの䞀぀を終えたので、䞀応䞀区切りで少しほっずした気分です。投皿する間はテヌマ毎に内容をどう玹介するかを考え、テヌマ毎にその郜床勉匷もしたした。仕事ずはほずんど関係のない䞀般教逊に぀いお、改めお孊び盎すずいうプロセスは孊生時代に戻ったような気分でした。この投皿をするに圓たっお、第回目の投皿で私のこのシリヌズの投皿の狙いを玹介したした。それは「私が関心のある歎史先史を含むに぀いお、改めお自分の頭の䞭を敎理する」ずいうものです。その狙いは狙い通りず蚀っおいいでしょう。それず同時に私の䞭の問題意識の領域は確実に拡がり、より具䜓的なものになったず思いたす。

 

   さお、第郚が終わったずころで本曞から離れた内容になりたすが、この本の原䜜者の囜、そしお最も気になる囜〝むギリス英囜〟に぀いお、「䜙談」ずしお玹介したいず思いたす。むギリス英囜の正匏名はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandグレヌトブリテン及び北アむルランド連合王囜ずいいたす。「えっ、そんな名前だったの」ず初めお知る人も倚いでしょう。もちろん正匏名はあたりに長いので、ここではむギリス、堎合によっおは日本語挢字衚蚘の英囜を䜿甚したす。 

 

    さお、なぜむギリスずいう囜のこずが気になるのか、皆さんに玹介したいず思ったのか、それはいろいろ理由がありたすが、その理由を四぀䞊げおみたす。 

   䞀぀目は、議論によっお物事を決っしおいくずいう、民䞻䞻矩の根幹ずなる習慣が根付いおいるずいうこずです。曎に政治やビゞネス、あるいは日垞的な堎面での論理的な思考ずその衚珟力、そしお行動力などで優れおいる点です。二぀目は、むギリス人の思考の基本ずなるず思われる教育制床に぀いおです。特に䞖玀にカレッゞ制孊寮ずしお始たったオックスフォヌド倧孊、ケンブリッゞ倧孊䞖玀初頭などで行われおいる特筆すべき教育に぀いおです。䞉぀目は䜕故小囜でありながら䞖界の芇者ずしお君臚出来たのか、〝パクス・ブリタニカ〟を圢成した力のゆえんです。そしお、四぀目は私の個人的な関心でもありたすが、むギリスの玠晎らしい景芳ずそれを維持しおいる景芳行政に぀いおです。むギリスにただ行ったこずがない私が、こうしたテヌマで曞くこずは、説埗力ずいう点で限界がありたす。本などでかじったむギリスずいう囜の䞀面の玹介ずいうこずになりたす。その点ご了解ください。もちろん、ぜひむギリスには行っおみたいず思っおいたす。

 

    さお、話が党く倉わりたす。私が歎史に぀いお心から〝おもしろい〟ず思い、関心を持ち始めたのは倧孊時代です。倧孊時代に孊生寮の先茩から借りお読んだ叞銬遌倪郎の歎史小説です。その小説は、新遞組副長の土方歳䞉を䞻人公ずした『燃えよ剣』で、これで歎史小説のおもしろさに目芚めたした。次に読んだのは、同じ叞銬遌倪郎の『竜銬がゆく』です。この本は読み始めたら止たらなくなり、単行本で党巻※文庫本は党巻を倧孊を週間䌑んで䞀気に読みきりたした。この本で坂本韍銬ずいう人物に、ぞっこんに惚れ蟌んでしたいたした。ちなみに同じこの本で坂本韍銬に惚れ蟌み、掗脳されおしたった人は倚くいたす。䟋えば゜フトバンクグルヌプの創業者で、代衚取締圹瀟長の孫正矩さんです。孫さんは高校時代に『竜銬がゆく』読み、感動したす。坂本韍銬が自分の志を遂げるため、そしおもっず広い芖野を持っお自分をステップ・アップさせるために脱藩したこずに感銘し、高校の幎で䞭退しおアメリカ留孊を決意し実珟したす。海揎隊の歊田鉄矢さんも高校時代『竜銬がゆく』を読んで、韍銬に惚れ蟌みたす。そもそも〝海揎隊〟の名前からしお坂本韍銬が創蚭した海揎隊からその名をそっくりずっおいたす。もちろん私も掗脳された䞀人です。この本はもう回ほどは読みたした。日本の歎史䞊に坂本韍銬ずいう人間的魅力にあふれる人物が存圚したずいうこず、そしおその人を発芋した感動ず喜びは䜕ずも蚀いがたいものがありたした。感動のあたり数日はただ茫然ずするだけの状態でした。「自分も坂本韍銬のようになるぞ」ず、しばらくは真面目に考えたした。

f:id:takeo1954:20170417170247j:image【⬆1975幎文庫版第刷版を賌入。幎を経お垢ず黄ばみで倉色した私蔵本】

 

   それから幎以䞊経った今、もちろん坂本韍銬のようにはなれたせんでしたが、今も最も尊敬する歎史䞊の人物ずしお私の䞭に存圚したす。それから、坂本韍銬ず同時にその小説の著者である叞銬遌倪郎ずいう䜜家も、同じように尊敬の念を持぀ようになりたした。「よくぞ坂本韍銬を取り䞊げお曞いおくれた」ずいう気持ちです。もちろん小説なのでフィクションなのですが、叞銬さんはこの本を曞くために膚倧な資料を集め、読み蟌み、坂本韍銬ずいう人物を構想しお曞いおいたす。蚀わば十分な資料に基づいた仮説の人物像です。しかし、膚倧な資料の裏づけを小説の䞭に感じるので、極めおリアリティがありたす。この本は、昭和幎に自身がそこの新聞蚘者だったサンケむ新聞の新聞連茉小説ずしお曞いたものです。そしお、この小説を曞くために集めた資料や取材で䜿ったお金は、圓時の金でおよそ䞇円かけたず蚀われおいたす。今でも小説を曞くのに䞇円をかける人はいないでしょう。それが昭和幎幎ずいえば今ずは貚幣䟡倀が違いたす。ちなみに昭和幎の倧卒初任絊の平均が円厚生劎働省資料の時代です。その時代の䞇円です。今の貚幣䟡倀に換算したらざっず億幎でしょうか。「えっ、叞銬さんおそんな金持ちだったんだ」ず圓然思うでしょう。しかし、叞銬さんが自腹を切った蚳ではありたせん。『梟の城』で盎朚賞を昭和幎に受賞しおいたすが、ただ昭和幎同時、埌幎のように印皎収入はただほずんどなく、ずおも自分の収入から支出できるはずもありたせん。実際は毎月䞇円、原皿料ずいう名目で産経新聞瀟で支払うこずが、圓時の名物瀟長の鶎の䞀声で決たったようです。その額に驚いた叞銬さんは、「そんな倧金はずおも䜿いきれたせん」ず瀟長に蚀ったら、瀟長は「䜙ったらドブにでも捚おろ」ず蚀ったそうです。そんな蚳で十分な元手を埗お、叀本屋街に軜トラックを乗り぀けおは必芁な曞籍、資料を端から集め、持ち垰っおそれを読み蟌んでいきたす。ちなみに数幎埌に執筆を始めた『坂の䞊の雲』では、䞇円を費やしたず蚀われおいたす。叞銬さんが小説を曞き始めるず、叀本屋街の叀曞の盞堎が䞊がっおいったずいう、そんな゚ピ゜ヌドを持っおいたす。

    さお、そんな叞銬さんが、小説の䞭で実際に日本に実圚した人物を数倚く取り䞊げおいきたす。叞銬さんファンになった私は、叞銬さんの小説を片っぱしから読むようになりたした。叞銬さんの小説は前述したように、十分な資料に裏打ちされおいるので、リアリティがあり、その人物の時代に自分もいるような気分にさせたす。そしお、叞銬さんが小説で取り䞊げた人物は数倚くいたすが、䟋倖なく取り䞊げた人物に尊敬の念を持ちたす。こうしお私は叞銬さんが小説で取り䞊げた数倚くの人物を尊敬するず同時に日本の歎史ずいうものを芋盎すようになりたした。叞銬さん自身も「日本は䞖界の䞭で䞀玚の歎史を持぀」ず蚀っおいたす。叞銬さんがそういうなら説埗力がありたす。そうしお私はたすたす日本の歎史に関心を持぀ようになり、奜きになり、日本ずいう囜に誇りを持぀ようになりたした。

f:id:takeo1954:20170403102333j:image【⬆昔賌入した叞銬さん関連の本、雑誌】

   そうしお日本の歎史に誇りを持぀ようになりたしたが、䞀぀倧きな䟋倖がありたす。倪平掋戊争この蚀い方は戊埌からの指瀺による。圓時の日本の衚珟は倧東亜戊争ずそこに至る前史です。この戊争による犠牲者は、軍人、民間人合わせお玄䞇人支那事倉以降の犠牲者を含む。幎日本政府発衚ず蚀われおいたす。その凄惚さはそんな簡単に衚珟できたせん。叞銬さんもこの時代のこずを小説にしようずしお、぀いに果たせたせんでした。私もこの戊争に぀いおただ総括できるレベルにありたせん。ただ、い぀かはこのブログで曞きたいず思っおいたす。もちろん、関心はあるので、関連の本を読んだりはしおきたした。

   さお、その倪平掋戊争の関連で、䞀぀本を玹介したす。倪平掋戊争埌半期の䜓隓ず捕虜ずしおの生掻䜓隓、そしおそこでの芳察を通しお考察を加えた故「小束真䞀」氏の日蚘、『虜人日蚘』です。幎、醞造発酵の技術者だった小束真䞀氏がガ゜リンの代替燃料ブタノヌル生産のため、軍属ずしおフィリピンに掟遣されたす。フィリピンでの幎の戊争経隓、そしお日本敗戊埌捕虜ずなり、捕虜ずしお玄幎の䜓隓をするこずになりたす。その期間の日蚘ですが、䞻に捕虜生掻䞭の䜓隓ずその䜓隓を通しおの日米日米兵士を通しお比范などの考察が加えられおいたす。本人が幎逝去埌の幎、残された家族によっお私家版『虜人日蚘』筑摩曞房が出版されたした。この本日蚘は、その圓時本人が生きお盎接経隓したこず、芋聞きしたこずを、日蚘ずいう蚘録に残したもので、埌䞖の人が手を加えおいない歎史資料ずしお次資料ずされる貎重な資料でもありたす。

f:id:takeo1954:20170403110842j:image【⬆『虜人日蚘』原本ず小束真䞀氏の日蚘が、戊地フィリピンの捕虜収容所で蚘されたこずを蚌明する文曞虜人日蚘 博物通所蔵】

   そしお、この『虜人日蚘』の䞭に〝日本の敗因箇条〟ずいう気になる項目がありたす。その項目を党お原文から玹介したす。

 

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ちくた孊芞文庫『虜人日蚘』  、より

 

■日本の敗因

   日本の敗因、それは初めから無理な戊いをしたからだずいえばそれに぀きるが、それでもその内に含たれる諞芁玠を分析しおみようず思う。

粟兵䞻矩の軍隊に粟兵がいなかった事。然るに䜜戊その他で兵に芁求される事は、総お粟兵でなければでなない仕事ばかりだった。歊噚も䞎えずに。米囜は物量に物蚀わせ、未蚓緎兵でもできる䜜戊をやっおきた。

物量、物資、資源、総お米囜に比べ問題にならなかった。

日本の䞍合理性、米囜の合理性。

将兵の玠質䜎䞋粟兵は満州、支那事倉ず緒戊で倧郚分は死んでしたった。

粟神的に匱かった枚看板の倧和魂も戊い䞍利ずなるずさっぱり嚁力なし。

日本の孊問は実甚化せず、米囜の孊問は実甚化する。

基瀎科孊の研究をしなかった事。

電波兵噚の劣等物理孊貧匱。

克己心の欠劂。

10反省力なき事。 

11個人ずしおの修逊をしおいない事。

12陞海軍の䞍協力。

13䞀人よがりで同情心が無い事。

14兵噚の劣悪を自芚し、負け癖が぀いた事。

15バアヌシヌ海峡の損害ず、戊意喪倱。

16思想的に培底したものがなかった事。

17囜民が戊いに厭きおいた。

18日本文化の確立なき為。

19日本は人呜を粗末にし、米囜は倧切にした。

20日本文化に普遍性なき為。

21指導者に生物孊的垞識がなかった事。

    順䞍同で重耇しおいる点もあるが、日本人には倧東亜を治める力も文化もなかった事に結論する。 

 

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    以䞊です。特に最埌の結論「日本人には倧東亜東南アゞアから䞭囜、フィリピン、台湟、南北朝鮮、日本を含む倧東アゞアを治める力も文化もなかった」ず蚀っおいたす。では、果たしお今なら治める力はあるのでしょうか。他囜に䌝えるこずのできる日本文化が 確立され、普遍性を持぀おいるのでしょか。いずれも〝吊〟でしょう。10の「反省力なき事」、16「思想的に培底したものがなかった事」は、党く今も倉わらないこずは盎ぐ想像できたす。しかし、このヶ条の䞭に、私には意倖ず思う項目がありたす。それは、13の「䞀人よがりで同情心が無い事」です。日本人には、思いやる心、気配りする心、おもおなしの心があるず思っおいたので、単玔に「えっ」ず驚きたした。しかし、16の日本人に「思想的に培底したものがなかった事」からするず、〝思いやりの心〟ずいうのも思想的なものはなく、「人様から笑われないようにしよう」「人様から銬鹿にされないようにしよう」ずいう〝恥の文化〟からきたものなのでしょう。日本人は、本圓の意味で倧人ずしお自立しおいない、アドラヌがいうずころの〝承認欲求〟人から認められるこずが垞に思考の最重点にあるに他の民族以䞊にずらわれた民族なのかもしれたせん。

   の「粟神的に匱かった」に関連する内容で、〝なるほど〟ず思わせる小束氏の文章がありたす。

   「独ドむツ系の米兵がいうのに、米囜は培底した個人䞻矩なので、米囜が戊争に負けたら個人の生掻は䞍幞になるずいう䞀点においお、党米人は鉄の劂き団結を持っおいた。日本は皇宀䞭心䞻矩ではあったが、個人の生掻に察する信念がないので、案倖思想的に匱いずころがあったのだずいう」。

 

    それから日本人ず米囜人を比范した小束氏のコメントも倧倉参考になりたす。

    「氞いストッケヌド生掻を通じ、日本人の欠点ばかり目に付きだした。総力戊で負けおも米人より䜕か優れおいる点はないかず考えおみた。面、䜓栌、皆だめだ。ただ、蚈算胜力、暗算胜力、手先の噚甚さは優れおいお圌等の遠く及ばないずころだ。他には勘が良いこずもあるが、これだけで戊争に勝぀のは無理だろう。日本の技術が優れおいるず蚀われおいたが、これを怜蚎しおみるず、補品の歩留たりを䞊げるずか、物を粟補する技術に優れたものもあったようだが、米囜では資源が豊富なので補品の歩留たりなど悪くおも倧勢に圱響なく、為に米囜技術者はその面に粟力を䜿わず、新しい研究に力を入れおいた。ただ技術の䞀断面をみるず日本が優れおいるず思う事があるが、総䜓的にみれば圌等の方が優れおいる。日本人は、ただ䞀郚分の優秀に酔っお日本の技術は䞖界䞀だず思い䞊がっおいただけなのだ。小利口者は倧局を芋誀るの䟋そのたただ。」ず曞いおいたす。

 

   こうしお小束真䞀氏の『虜人日蚘』を読んでいくず、叞銬さんの小説で日本人に぀いお、たた日本の歎史に察しお持った〝誇り〟 はぐら぀いでしたいたす。支那事倉から倪平掋戊争たでの時代の日本人だけが特別だったのでしょうかそんなこずは理屈に合いたせん。物事の結果には必ず原因がありたす。圓時の瀟䌚情勢が日本囜民ずしお、やむにやたれぬ決断をせざるを埗なかった点はあるでしょう。しかし、すべおをそれだけに求めたならば、それこそ小束氏の指摘した日本人の「反省力なき事」は、党く倉わっおいないずいうこずになっおしたいたす。たた、その圓時のこずを「こんな酷いこずがあっお可愛いそう」で終わったのでは子䟛のレベルです。「圓時の戊争のこずはずおも恐くお盎芖出来たせん原爆投䞋による圓時の被曝者の写真を盎芖できない人は倚い」で終わっおしたったら思考停止状態で、人ずしお進歩がありたせん。確かに圓時のこずを事実ずしお掎むこずは困難です。終戊ず同時に軍は䞻芁な曞類をすべお焌华しおしたっおいたす。叞銬さんは、ノモンハン事件日゜囜境玛争  1939幎月〜月を時代背景にした小説を曞こうずしお、぀いに果たせたせんでした。しかし、盎接事件に関わった軍関係者に、戊埌盎接取材しおいたす。が、「メモずしお残すに倀する内容は、行もなかった」ず叞銬さんは蚀っおいたす。結局人は、自分に郜合の悪いこずは䞀蚀も話さない。自分に郜合よく捏造しお話す。そういう人がほずんどです。そんな䞭では、支那事倉から倪平掋戊争をしっかり総括し、反省し、今埌に生かしおいくための最初の事実の把握が極めお難しいずいう問題はありたすが、避けおはいけない日本人の課題だず思っおいたす。

 

    もう䞀぀、日本を、日本人を知るためには䞖界を知るこずが必芁です。私自身は日本ぞの、日本の歎史ぞの誇り、そしお関心から䞖界史にも関心を持぀ようになりたした。日本の䜕が優れおいるのか、あるいは課題なのか、䞖界の今ず歎史から盞察的に芋る必芁があるず思うからです。私が『億幎の物語』ずいう本を手に取ったのもそんな関心からでした。今たでも䞖界史に関連する本をいく぀か読んできたしたが、その䞭で最も印象に残った䞖界史がむギリス史でした。その印象に残った内容は、冒頭で玹介した通りです。前眮きが長くなっおしたいたしたが、これでやっず本題に到達です。

 

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   今回は、このテヌマでむギリスを玹介したいず思いたす。ず蚀っおも、むギリス史などを深く勉匷した蚳ではありたせん。ほんのかじった皋床で恐瞮です。ご了解䞋さい。ここではこのテヌマにしようず思ったいく぀かを玹介したす。

 

【】スペむン無敵艊隊を迎え撃぀時1580幎代のむギリスの政治

    幎近く前、䞭西茝政氏珟 京郜倧孊名誉教授の曞いた『倧英垝囜衰亡史』を読んで、特に驚いた内容がありたす。それは、むギリスがスペむン無敵艊隊ずの戊いが避けられない情勢になり぀぀あった時代のむギリス正確にはむングランド王囜。スコットランド王囜ず合同しお囜家ずなるのは幎でここから「グレヌト・ブリテン王囜」の囜名になるの政治です。そしおこのずきのむングランド囜王は初代゚リザベス女王この時代の日本は、本胜寺の倉で織田信長が倒されお以降、倩䞋統䞀を果たした豊臣秀吉が囜を治めおいた時代です。このころのむングランドには、既に議䌚があり幎、諞䟯が囜王に諞䟯の芁求事項であるマグナ・カルタを認めさせ、幎に諞䟯倧䌚議を開く。これが議䌚の原型ずなる、初期議䌚は、䞻に䞉぀の勢力で構成されおいたした。䞀぀が囜王自身の偎近たち。二぀目が聖職諞䟯倧叞教・叞教・倧小修道院長ず䞖俗諞䟯貎族、䞉぀目が各州からの階士ナむト、各郜垂からの垂民・䞋局聖職者で、〜人が議䌚に出垭しおいたした。

   それでは、゚リザベス䞀䞖の時代のスペむン「無敵艊隊」を迎え撃぀前のむングランドの政治を知るために、䞭西茝政氏の『倧英垝囜衰亡史』の文章の䞀節をそのたた玹介したす。

 

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 ◟「無敵艊隊」を撃滅したもの

    『倧英垝囜衰亡史』第ニ章  ゚リザベスず「無敵艊隊」.64 〜67より抜粋

 

泚1囜名をむギリス衚蚘にしおいたすが、原文そのたたです。
泚2文䞭にある「䜎地」はオランダ。圓時スペむンが支配。

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    倖亀における情報の重芖こそ、勢力均衡政策、そしお埌のパクス・ブリタニカの「倖亀による平和」を支える倧きなずきには最倧の柱の䞀぀であった。そしおこの点でも゚リザベス朝は「近代むギリスの始たり」ずしお、その埌のむギリス倖亀史に顕著な圹割を果たしおいる。

   さたざたな゚リザベスの機䌚䞻矩的な手立おにも関わらず、オランダ人反埒ぞのスペむンの鎮圧が成功しそうな圢勢ずなった幎月、女王の臚垭を仰いで開かれたむギリス閣議枢密院では、次のような審議項目に぀いお逐䞀培底した議論がなされた。

   ①远い぀められたオランダ人の抵抗は、はたしおも぀だろうか。  ②もしスペむンが「䜎地」を完党支配したら、むギリスぞの攻撃に出るか。  ③むギリス人の䞭のカ゜リック分子の、スペむンぞの協力の可胜性はどうか。 ④具䜓的にスペむンの察英攻撃の手段は䜕か。  ⑀「䜎地」の陥萜をむギリスが阻止したら、スペむンの察英攻撃は回避できるか。  ⑥もしできるずしたら、その阻止のための具䜓的手段はあるか。  ⑊オランダ人救揎のための、フランスずの協力の是非ず可胜性はどうか。  ⑧むギリス単独でも介入に螏み切るべきか。  ⑚その堎合、察スペむン戊争を惹起するこずになりはしないか。  ⑩もしそうなら、むギリスにずっお察スペむン戊争を戊い抜く手段ず資源は䜕か。  ⑪その堎合の支出額芋積りはどれくらいか。  ⑫戊争の際、スペむンのずる戊略は劂䜕。  ⑬その堎合、戊争がむギリスの貿易に䞎える圱響は  等々。

   延々項目にわたる綿密をきわめた情勢刀断のためのこの閣議文曞は、゚リザベスの逐䞀の指瀺に基づき、セシルのあずを継いで宰盞ずなったフランシス・りォルシンガムの䜜成したものであった。ここには状況の詳现な芳察ず、事実に基づく刀断に培しようずする、執拗なたでに冷静な分析の姿勢があり、䞀皮の迫力さえ感じさせられる。

   実際、䞉癟数十幎埌の幎代にむギリスの倖亀次官を務めたストラング卿は、この文曞をずり䞊げ、「幎のス゚ズ出兵蚈画も、これほど綿密な情勢分析を行っおおれば、あんなに惚めな結果にはなっおいなかったろう」ず述懐しおいるLord, Strang, Briain  in  World  Affairs, London, 1961, p.36。「真珠湟」を持ち出すたでもなく、䞖玀よりも䞖玀のほうが、この点での知恵ず合理䞻矩においお、はるかに優れおいたこずを瀺すものであろう。

   圓然こうした的確な情勢分析の前提ずしお、第䞀玚の情報の収集ず評䟡が必芁ずなる。そしおこの時期、りォルシンガムの䞋に築かれたむギリス倖亀の生呜線をなした情報掻動こそ、のちの〝〟ないし 6の䌝説にたで぀ながる「むギリス情報郚」の䌝統の始たりずもなった。

   その䌝統の最倧のポむントの䞀぀は、必ず倖亀官組織ずは別系統の情報組織を぀くり、倖亀情報をダブル、トリプル・チェックできる䜓制を぀ねに確保しおおくずいうものであった。それは珟実に倖亀政策を立案すべき立堎にあるパワヌ・゚リヌトは自己の政策的立堎に有利なように情報をねじ曲げる傟向がある、ずいうこずの重倧さをよく知る知恵に発しおいる。

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   幎、いよいよ「無敵艊隊」のむギリス来襲が間近になり぀぀あったずき、りォルシンガムが䜜成した『スペむンからの情報収集の方策』ず題された秘密文曞は、党ペヌロッパ䞭に匵りめぐらされ、各囜の倖亀䞭枢に入り蟌んだむギリス情報網の「すごさ」を、あからさたに瀺しおいる。スペむン囜内や䜎地、フランスはいうに及ばず、北欧デンマヌク䞀垯、さらにポヌランドのクラコフ、バチカンからベニスぞ、䞻芁な囜で網矅しおいない囜はないほどであり、駐圚囜の暩力機構においおしばしば信じられないほど高いレベルでの浞透を果し、無敵艊隊の動静をさぐる芁所に通じおいた。実際この文曞を読めば、幎前のこの時点で「無敵艊隊」来襲の結果は、もはや明らかであった。

 

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   どうでしょうか。私はこの䞀節でむギリスの恐ろしさを改めお知る思いがしたした。この䞭西氏の解説が、埌の倧英垝囜、パクス・ブリタニカの登堎が、必然のように思えおしたいたす。この点だけでも日本はむギリスから孊ぶ必芁がありたす。ただ今の日本の囜民が、あるいは政治家が、このむギリスの歎史を孊んでも、実際に今の日本の政治の䞖界で実践するこずは難しいずは思いたす。それは情緒的に先に結論ありきで、物事を論理的に組み立おお戊略にするこずが未だに䞍埗手な囜民性である気がするためです。

 

 

【】マグナ・カルタ倧憲章から幎以䞊続くむギリス議䌚の歎史

    【】では、 むギリス人の論理的思考に基づく戊略䜜りの実䟋を芋たした。それではむギリス人の論理的思考の習性はい぀から、どうやっお身に぀いたのでしょうか。それはむギリスの長い議䌚政治の歎史の䞭にあるず思いたす。むギリス議䌚の歎史は、幎のマグナ・カルタ倧憲章から始たるず蚀っおいいでしょう。その時代、時代の眮かれたむギリス囜内倖の情勢の䞭で、むギリス議䌚〔諞䟯貎族倧䌚議から始たる〕議員は、囜の政策、制床を議論し、決めおいきたす。論理的思考も戊略的思考も、長い議䌚の歎史のその積み重ねの䞊にあるず思いたす。

   それでは、幎のマグナ・カルタ以降のむギリスの䞻芁な歎史を簡単に怜蚌しおみたしょう。

f:id:takeo1954:20170411180349j:image【↑出兞  りィキペディア  フリヌ癟科事兞  「マグナ・カルタ」】

 

   幎、むングランド王囜のゞョン囜王によっお制定されたマグナ・カルタ倧憲章は、必ず䞖界史に登堎するので、内容はずもかくその蚀葉はだれもが知っおいるず思いたす。しかしそのマグナ・カルタが、今も珟行法ずしお残っおいるこずをご存知でしょうか。 本圓に驚きたすが、珟圚もむギリスの憲法を構成する法兞の䞀぀ずなっおいたす。今からほが幎前に制定されたものが今も珟行法ずしおあるです。正確にはゞョン囜王のマグナ・カルタは、教皇むンノケンティりス䞖の勅呜により無効ずされたしたが、その埌䜕床か改定され、幎に䜜られたヘンリヌ䞖のマグナ・カルタの䞀郚が珟行法ずしお残っおいたす。

    マグナ・カルタが制定された経過を簡単に説明したしょう。圓時のむングランドのゞョン囜王は、フランス囜王フィリップ䞖ずの床にわたる戊いで、どちらも敗れおフランス内にあった領地を党お倱いたす。その領地を取り戻そうずさたざたな城皎を課しお、再びフランス領地奪回のために戊おうずしたすが、諞䟯貎族ず囜民のの怒りが爆発し、囜王の信甚は倱墜したす。囜王は退䜍するか凊刑されるしかない状態に远い蟌たれたす。そこでゞョン囜王は、王の暩限を制限する文曞に囜王が承諟を䞎えるこずで事態の収拟を図ったこずで制定された憲章です。

   そのマグナ・カルタの内容です。前文ず、63ヶ条から構成されおいたす。

   特に重芁な項目は、

⚫教䌚は囜王から自由であるず述べた第1条
⚫王の決定だけでは戊争協力金などの名目で皎金を集めるこずができないず定めた第12条
⚫ロンドンほかの自由垂は亀易の自由を持ち、関皎を自ら決められるずした第13条
⚫囜王が議䌚を召集しなければならない堎合を定めた第14条
⚫自由なむングランドの民は囜法か裁刀によらなければ自由や生呜、財産をおかされないずした第38条

などです。

   たた、むギリスの珟行法什集w:Halsbury's Statutesに茉っおいる条文は、1225幎のヘンリヌ3䞖の時代に䜜られた新しいマグナ・カルタを、1297幎に゚ドワヌド1䞖が確認したもので、前文ず4か条が廃止されずに残っおいたす。

⚫前文 囜王゚ドワヌドによるマグナ・カルタの確認
⚫第1条 教䌚の自由
⚫第9条1215幎の原マグナ・カルタの13条に盞圓 ロンドン垂等の郜垂・枯の自由
⚫第29条原39条および40条 囜法によらなければ逮捕・拘犁されたり、財産を奪われないデュヌ・プロセス、適正手続
⚫第37条1225幎のマグナ・カルタの37条および38条に盞圓 盟金、自由ず慣習の確認、聖職者および貎族の眲名

※マグナ・カルタの説明りィキペディア参照

 

   それから今日たで、囜王によっお議䌚が招集されなかったり、逆に囜王チャヌルズ䞖を凊刑枅教埒革呜ピュヌリタン革呜時にしお共和制に移行した時期があり、幎から玄幎ほど囜王䞍圚の期間がありたしたが、王政埩叀で盎ぐに王政は埩掻幎したす。むギリスは、ペヌロッパ倧陞の倚くの囜が䞖玀たでそうだったような絶察君䞻制の囜ではありたせんでした。枅教埒革呜が起きたころのむギリスは、䞭倮・地方ずもに無絊の地䞻貎族階玚によっお叞法・立法・行政が担われおいたした。囜王・貎族院・庶民院による䞉䜍䞀䜓の囜政運営が䌝統にあった囜です。枅教埒革呜を指導し、囜を共和制に倉えたクロムりェルの匷暩的な政治ぞの反動もあっお、クロムりェルの死埌は議員たちの倚くが王政の埩掻を望むようになっおいお、自然に王政埩叀ぞすすみたす。

   王政埩叀埌の幎、ゞェヌムズ䞖が囜王に即䜍したすが、盎ぐに匷暩的な政治を行いたす。するず議䌚も密かに動き、囜王の長女メアリの倫オランダ総督りォレム 埌のりィリアム䞖ず結蚗し、囜王を远攟たす名誉革呜。その埌は、長女がメアリ䞖、倫りォレムがりィリアム䞖を名乗っお、人の君䞻が共同統治したす。

   このように、この時代には囜王ずいえども、これたでに制定された法兞などを無芖しお政治を行うこずは出来なくなっおいたした。この名誉革呜の時に制定された「暩力章兞」では、議䌚の蚱可なく囜王が城皎できなくなり、議䌚内の蚀論の自由も認められるようになりたした。さらに、幎からは、新たに「王宀費」が議䌚の承認に基づく歳費ずしお導入され、王宀財政は完党に議䌚の監芖䞋に眮かれるようになりたす。たた、時代が前埌したすが、幎頃からは、枢密院から切り離されお、「内閣評議䌚」が囜王の諮問機関ずしお定着しおいき、幎頃には今日に぀ながる倧政党制ず蚀っおも圓初は独立掟ず呌ばれるどちらにも属さない議員が玄半数を占めおいたが始たっおいたす。

   幎代から䞖界に先駆け、むギリス䞭北郚のマンチェスタヌ、バヌミンガム、リヌズなどの郜垂を䞭心に「産業革呜」が始たりたす。そしお、䞖玀幎代の終わりには、補造業ず海運業だけで囜民所埗の玄半分%を占めるようになりたす。圓然人口がそうした郜垂に集䞭するようになり、議䌚議員ず遞挙区の人口のアンバランスが生じおきたす。そんな䞭で、埌の「チャヌティスト」に぀ながる議䌚改革の運動が起きたす。たた、新興の巚倧郜垂では、商工䌚議所や通商委員䌚などが立ち䞊げられ、それは党英商工䌚議所の蚭立幎にたで぀ながり、「圧力団䜓」ずしお成長しおいきたす。同時期、囜倖ではフランス革呜幎〜ず幎ナポレオンの登堎、䞖玀初頭の党ペヌロッパを巻き蟌んだ察仏戊争ぞずすすみたす。そしお、幎、むギリス陞軍のりェリントン将軍を叞什官ずする連合軍によりワヌテルロヌの戊いでナポレオンのフランス軍を砎り、勝利したす。

 

   ここで、むギリスずフランスを比べるず〝ある違い〟が明らかになっおきたす。歎史家のゞョン・ブリュアむギリス歎史孊者、珟圚シカゎ倧孊教授によれば、「むギリスの勝因はヒト兵力・モノ歊噚匟薬・軍需物資・カネ軍資金のうち、特にカネを倧量に玠早く集めるこずに成功した点にあった。ずりわけ倧切だったのが議䌚の存圚であろう。議䌚の倧半を構成する地䞻貎族階玚こそがいざずいうずきに戊費を土地皎のかたちで調達し、長期囜債の発行を裏付け、䞭倮銀行たるむングランド銀行幎創蚭ず協力しお囜債を請け負ったからだ。おかげでむギリスは最埌のフランスずの戊争幎〜幎に億䞇ポンドもの巚額の資金を投入するこずが可胜ずなったのである。

   察するフランスでは、身分制議䌚党囜䞉郚䌚はこの時期の倧半開かれるこずもなく絶察君䞻制が確立した埌、から開かれおいない、囜皎を担ったのは富裕階玚教䌚や貎族ではなく、政治に声の届かない平民たちだった。これでは革呜が起きおも仕方なかった。さらに䞭倮銀行ができたのは幎のこずで、囜債もあおにはならなかった」。

 

   ここに、フランス貎族ずむギリス貎族の芚悟の違いが芋お取れたす。むギリス貎族の堎合、自分や䞀族の保身だけでない、むギリス囜家ぞの献身の粟神がありたす。これは、貎族がむギリス議䌚においお、囜政を議論し、議決するずいうプロセスに長く関わっおきた歎史がそうさせたものず思いたす。時代が倉わりたすが、幎からペヌロッパを䞻戊堎ずしお幎にわたり死闘を繰り広げた第䞀次䞖界倧戊は、むギリスも初めお経隓する総力戊で、瀟䌚構造をも倧きく倉えるものでした。これたでのむギリスの政治・経枈・瀟䌚・文化を䞻導しおきた地䞻貎族階玚ゞェントルマンは、この戊争で圱響力を倧きく枛退させたす。圌らは䞭䞖以来の階士道粟神に基づいた〝ノブレス・オブリヌゞュ〟高貎なる者の責務に則り、戊争勃発ずずもにいち早く戊堎に駆け぀けたす。そしお、倧半が機関銃の逌食になっおしたいたす。幎だけで貎族ずその子匟歳以䞋の男子の近くが戊死したずいう蚘録が残っおいるのです。このようにむギリスの貎族ずは、単に資産家で、優雅で、気取った人ずいうむメヌゞだけでないこずが分かりたす。それは、〝祖囜むギリスを守る〟ずいう厇高なスピリットを持った人たちだったのおす。

※マグナ・カルタ以降のむギリスの歎史は『物語  むギリスの歎史 䞊・䞋』君塚盎隆 著を参照する。

   むギリス貎族の厇高なスピリットに関連した内容になりたすが、䌚田雄次1916〜1997幎元京郜倧孊名誉教授著の『アヌロン収容所』䞭公新曞ずいう本の内容です。この本は著者自身が終戊盎埌から幎月たで、ビルマでの英軍捕虜ずしお経隓したこず、そしお自身が感じ、考えたこずの蚘録です。その䞭にこんな䞀節がありたした。

 

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䞭公新曞『アヌロン収容所』、より抜粋

 

   私たちが英軍ずは士官はもちろん、兵隊ずも䞀般的な話をするこずはめったにない。䌚話が苊手のためこちらが話しかけないずいう事情によるかもしれない。しかし根本的には䜕床もふれたように、むギリス人自䜓が、日本人ず話し合う、しかも兵卒ず話をするずいうようなはしたない態床はずろうずしなかったからである。

   だが䟋倖もある。なにかの機䌚に「日本人はこの敗戊をどう考えおいるか」ずか「埩讐をしないのか」かれらはカタキりチずいう日本語を知っおいお、かならずそれを䜿ったずか、「なぜ簡単に歊装解陀に応じたか」などず問いかけられるこずもあった。

   あるずき、私たちの䜜業指揮官の将校ず英軍䞭尉ず話がはじたった。この䞭尉はアメリカで働いおいおハヌバヌドを出たずかいう非垞に人な぀っこく感じのよい青幎であった。かれは、ずきおり私たちに䜕かず話しかけようずした皀なむギリス人の䞀人であった。それはアメリカにいたずいう経歎の生んだ気さくさだったかもしれない。私たちの将校は、

「日本が戊争をおこしたのは申しわけないこずであった。これからは仲よくしたい」

ずいう意味のこずを蚀った。どのように通じたのだろうか。英軍䞭尉は非垞にきっずした態床をずっお答えた。

「君は奎隷スレむブか。奎隷だったのか」

   楜倩家らしいかれが、急にいずたいを正すような圢をずったので、私はハッずした。この蚀葉はいたでもよく芚えおいる。もっずもスレむブずいうのはそのずきすぐには聞きわけにくかった。奎隷ずいう蚀葉がわかったずきも、「貎様らは奎隷だから人䞊に謝ったりするな」ずいうこずでおこったず思ったのだから、私の聞きずり胜力も心现い話だ。しかし、぀ぎのような説明を聞いおやっず意味がわかった。

「われわれはわれわれの祖囜の行動を正しいず思っお戊った。君たちも自分の囜を正しいず思っお戊ったのだろう。負けたらすぐ悪かったず本圓に思うほどその信念はたよりなかったのか。それずもただ䞻人の呜什だったから悪いず知り぀぀戊ったのか。負けたらすぐ勝者のご機嫌をずるのか。そういう人は奎隷であっおサムラむではない。われわれは倚くの戊友をこのビルマ戊線で倱った。私はかれらが奎隷ず戊っお死んだずは思いたくない。私たちは日本のサムラむたちず戊っお勝ったこずを誇りずしおいるのだ。そういう情けないこずは蚀っおくれるな」

🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹

 

   以䞊、原文のたたです。ここでこの䞭に出おくる䞭尉がむギリス貎族かどうかはわかりたせん。ただむギリスから離れたハヌバヌド倧孊を出おいるこずいうので、倚分盞圓な資産家で貎族だろうず掚枬されたす。なぜそう掚枬するかずいえば、その高い授業料です。珟圚の倧孊の授業料比范になっおしたいたすが、幎のカレッゞボヌドの調査によれば、たずアメリカの倧孊の平均幎間授業料が䞇ず日本に比べ倍以䞊高くなっおいたす。さらにハヌバヌド倧孊やスタンフォヌド、MITなどの名門倧孊は倧䜓䞇円皋床ず日本の倧孊の倍から倍日本の囜立で䞇、私立で䞇が平均の高さです。これに生掻費がプラスされたす。垞識的に考えおハヌバヌドは、普通の䞭流家庭から入孊させるのは経枈的に極めお困難です。これは戊前も基本的に同じでしょう。次の䜙談のテヌマになりたすが、それはむギリスのケンブリッゞ倧孊やオックスフォヌド倧孊も同じです。さらにハヌバヌド倧孊以䞊に入孊条件が厳しくなるので、倧孊院ならずもかく幎生の倧孊に日本から入るのはたず無理です。ではなぜそんな孊費に差があるのかっおそれは教育の質の違いでしょう。教員は孊生人に察しお人ず倚く、教員もノヌベル賞受賞者が圧倒的に倚く、研究環境も日本の倧孊ずは比べようもない䞖界最先端レベルの高さを誇っおいたす。〝戊前にそんな倧孊を卒業した〟ずいう理由で倚分〝貎族〟ず掚枬したわけです。

   この䌚田氏の捕虜収容所での出来事も実に考えさせる内容を持っおいたす。

 

   こうしたむギリス人の厇高なる粟神ずいうものや論理的思考の颚土はどこから来おいるのでしょうか。ここからは私の掚枬になりたすが、それは欧米瀟䌚に共通する点ずしおギリシャ哲孊の䌝統ず宗教キリスト教があるず思いたす。ギリシャ哲孊にはアリストテレスのような論理的な思考法䞉段論法が圓然含たれたす。こうしたギリシャ哲孊は、必ず聖職者になる人は神孊校で孊びたす。事実䞖玀に日本に来た宣教垫たちの蚘録に、日本でのキリスト教の普及掻動で、日本人からの質問に答えるのにギリシャ哲孊の勉匷が圹立ったずありたす。このように聖職者や䞭䞖の時代からあったオックスフォヌド倧孊やケンブリッゞ倧孊を出た貎族たちは、ギリシャ哲孊、論理的思考の玠逊を圓然身に぀けおいたはずです。それからキリスト教です。圓然キリスト教はその聖曞新玄聖曞によっお普及をしおいたす。聖曞はさたざたな䜿埒による曞簡で構成されおいたすが、パりロが䞭心的な存圚です。パりロはキリストを盎接知らないキリストの死埌信者ずなった人ですが、自身の思想を曞簡ずいう圢で残し、聖曞の䜜成に倧きな圹割を果たしたす。キリスト教の聖曞は蚀っおみれば、パりロの思想をベヌスにした哲孊の曞ずいっおいいでしょう。その思想のベヌスには〝愛〟がありたす。パりロの曞簡『ロヌマ人ぞの手玙』にこんな䞀節がありたす。

 

    愛には停りがあっおはなりたせん。悪を忌みきらい、善から離れおはなりたせん。互いに兄匟愛をもっお心から愛し、競っお尊敬し合いなさい。熱心でたゆたず、心を燃やし、䞻に仕え、垌望をもっお喜び、苊難を耐え忍び、たゆたず祈りに励みなさい。聖なる人々の貧しさを自分のものず考えお力を貞し、手厚くをもおなしなさい。あなたがたを迫害する者の䞊に祝犏を願いなさい。祝犏を願うのであっお、のろいを求めおはなりたせん。喜ぶ者ずずもに喜び、泣く者ずずもに泣きなさい。互いに思いを䞀぀にし、高ぶらず、身分の䜎い人々の仲間ずなりなさい。自分は賢い者だずうぬがれおはなりたせん。だれに察しおも悪に悪を返さず、すべお人の前でよいこずを行なうよう心がけなさい。できるこずなら、あなたがたの力の及ぶ限り、すべおの人ず平和に暮らしなさい。愛する皆さん、自分で埩讐せず、神の怒りに任せなさい。「䞻は蚀われる。『埩讐はわたしのするこず、わたしが仕返しをする』」ず曞かれおいるからです。しかし、次のようにも曞かれおいたす。「敵が飢えおいるなら食べさせよ、枇いおいるなら飲たせよ。そのようにするこずで、あなたは敵の頭に燃える炭火を積むからである」。悪に負けおはいけたせん。むしろ善をもっお悪に勝ちなさい。

【新玄聖曞フランシスコ䌚聖曞研究所蚳サンパりロ発行  改定16刷  、】

 

   こうした愛をベヌスずした哲孊の曞である聖曞の䞀節を、牧垫カトリックの堎合は神父が毎週日曜日に教䌚に集たった信者に察しお切々ず話し、終わりに賛矎歌を歌う習慣が䞭䞖の時代から今日たで続いおきたした。週回教䌚で話を聞くこずは、少なくずも週回〝今の自分を芋぀め盎し〟あるいは〝兄匟愛からの他の人々ぞの貢献〟など、気持ちを厇高なものにさせたでしょう。それを幌い頃から幎老いお死ぬたで続けるのです。そのこずが人栌圢成に圱響を䞎えないはずはありたせん。そういう颚土がペヌロッパには共通しおあったずいうこずです。そしおむギリスは議䌚が他の囜よりしっかりず着実に根づいおいったこず。そのこがむギリス人の論理的思考胜力を高め、〝むギリスの囜をどうするか〟ずいう政治の䞖界に身をおくこずで、祖囜を愛する気持ちにも぀ながり、厇高なる粟神をも高めおいったのおはず思っおいたす。

   それから、むギリスのゞェントルマン・シップ、階士道粟神には、日本の歊士道粟神に共通する〝名誉を重んじる〟ずいう点がもずもずありたした。むギリスで貎族になろうずしおなれなかった人物を䞻人公にした『バリヌ・リンドン』ずいうスタンリヌ・キュヌブリックの映画の䞭に〝決闘〟のシヌンが出おきたすが、貎族ず蚀えども名誉を傷぀けられたら第䞉者を立ち䌚わせおの決闘ずいうこずも時にあったのです。決闘は受けたら〝逃げられない〟ずいう点で傭兵䞭心の戊争より遥かに恐怖です。日本の堎合も関ヶ原の戊いで西軍、東軍それぞれ、䞇の軍勢がいおも実際戊ったのは党䜓の半数以䞋です。倧半は様子芋で、圢成䞍利ずなったらほずんど逃げおいたす。そう、戊争、合戊は〝逃げる〟ずいう手段がありたす。しかし決闘にそれはありたせん。決闘の結果は、勝っお生きるか、死ぬか、カタワになるかの぀しかないのです。そうした決闘ずいう圢での貎族同士の戊いも、むギリスの歎史の䞭にはあったのです。

 

   今回のテヌマは以䞊になりたす。今回の内容はどちらかずいえばむギリスの〝光〟の郚分になりたす。むギリスにも圓然〝陰〟の郚分もありたす。それは〝略奪囜家〟ずしおの歎史です。それに぀いおは改めお別の堎で觊れたいず思いたす。

                                                                                 

 

   「䜙談」ずいうこずで曞き始めたしたが、䞇字を超えおしたいたした。自分でも分かっおいながら、぀い぀い凝っおしたっお長くなっおしたいたす。どうもこのパタヌンは簡単に倉えられそうにないですね。

   さお、珟圚私のブログは二぀のシリヌズがありたす。「♚黒川枩泉に孊がう」ず「私の『億幎の物語』」です。平行しお投皿しおいく぀もりでしたが、やっぱり私はそんな噚甚な人間ではありたせん。どっちかに絞っお終わらせおからでないずダメですね。そんな蚳で、「私の『億幎の物語』」はしばらくお䌑みしお、今床はシリヌズの最終回になっおいる「♚黒川枩泉に孊がう」に着手したす。こっちも話がどんどん広がっおしたっお「日本の芳光業をどうするか」ずいったような内容にたで至っお、話をたずめるのに手こずっおいたす。こちらもたずめるのにヶ月䜍かかりそうですが頑匵りたす。

 

 

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