♨️黒川温泉に学ぼう 第3回(黒川温泉シリーズ第4回目)


 〝黒川温泉に学ぼう〟の3回目、〝黒川温泉にご案内します〟を含めると黒川温泉関連で4回目ということになります。タイトルは〝黒川温泉に学ぼう〟ですが、今回の実際の内容は、〝世界の観光地と黒川温泉に学ぼう〟ということになります。
私が日本の観光や日本の景観に関心をを持ち始めたのはもう10年以上前からになります。〝漠然とした疑問を持ち始めた〟という点ではもう何十年も前からということになるでしょうか。これは私だけでなく誰もが感じる問題意識だと思います。テレビや雑誌などで見る日本とは違う欧米などの海外の街並みの光景。「その光景にどうしてもあこがれを感じてしまう」という思いは多くの人が経験していることでしょう。でも一方で飛騨高山や白川郷のように「ああ、日本にも欧米とは違う日本的な佇まいを残す素敵なところがあるんだ。」と気がつくでしょう。そんな経過は私も全く一緒です。しかし、日本の場合その素敵なところというのは、総じて規模が小さく数も少ないと思ったりしないでしょうか。あるいはまた日本国内のいろんな場所に行ってみて、日本の風景、街並みの景観がどこに行っても同じようでつまらないと感じたことはないでしょうか。私はだんだんそんな思いを強く持つようになっていきました。そう、絵になる風景、写真のグッドショットになる風景があまりに少ないのです。強いて言えば都会より田舎の方が昔ながらの家が少し残っているのでまだマシかな、というレベルです。そして10年ほど前から一つの数字が大変気になってきました。日本へ来る外国人旅行者が他の国と比べると少ないということです。これは前回の投稿の時も紹介しました。「日本の国土面積、経済規模に比べて低すぎるのではないか」という疑問を強く持つようになりました。そんな疑問、問題意識の中から日本の〝観光〟についても当然同じように問題意識を持つようになりました。先ずはそんなところから始めます。



改めて日本に来る外国人旅行者、インバウンド数と他国のインバウンド数の状況について紹介します。私が伊勢に来る前に購入した国土交通省発行の観光白書が手元にあります。平成19年度版ですが、白書の中のデータは各国の数字は平成17年度(2005年)のものになります。それではそのときの数字を見てみましょう。


上のグラフが2007年度版観光白書に掲載された2005年度実績の各国の外国人旅行者受入数です。この時の日本の実績は、672万人です。フランス、スペイン、アメリカ、中国、イタリア、イギリスなどには遠く及びません。そうした観光大国だけでなく、国土面積や経済規模で日本より小さい国にもけっこう負けているのが分かります。例えばトルコ2027万人、マレーシア1643万人、香港1477万人、タイ1157万人といった国には大幅に負けています。更に小国シンガポールも708万人で日本を上回っています。隣の韓国と比較してみてもその差は70万人日本が上回るだけでほとんど拮抗しています。この数字に私はとうてい納得出来ませんでした。「日本は何という〝ていたらく〟なんだ。国は何をやっているんだ。日本の観光地は何を寝ぼけているんだ」と怒りすら感じました。しかし、ここは怒りだけでは何も解決しません。冷静にその数字の中味について考察することが必要です。原因を推定し、その要因を整理・分析しないと次のステップの今後の対応策が明らかになりません。ちなみに平成28年度版観光白書に掲載された2014年度の各国の外国人旅行者受入数のグラフを掲載します。

このグラフを見ると、9年前と比べ確かに国別で32位から22位と順位を上げています。しかし、アジアの中の順位は8位から7位と一つ上げただけでほとんど変わりません。逆に韓国に順位で負けてしまっています。このことは前回の投稿でも紹介しました。タイについては既に2500万人近い外国人旅行者(2015年度速報値では2988万人)が訪れていること、遠方からの旅行者でヨーロッパ各国からタイと日本にそれぞれどれだけ訪れているかも紹介しました。そして残念ながらヨーロッパ各国の人にとって、海外旅行をするならタイの方が日本より圧倒的に行ってみたい国、支持されている国ということに数字上はなってしまっています。


バンコクの景観と観光スポット 写真 RETRIP他〉

4回目となるアメリカのMastar Cardが行っている世界主要都市(132)渡航先ランキングで、2014年度の渡航数実績がランキングされています。それによるとバンコクは、1642万人でロンドンに次ぐ堂々の2位(前回調査は1位)でした。ちなみに日本の東京は538万人で19位、大阪は319万人でバンコクに大きな差をつけられてしまっています。この他にもアジアの主要都市で東京の順位を上回る都市は多数あります。シンガポール4位、ドバイアラブ首長国連邦)5位、イスタンブール(トルコ)7位、香港9位、ソウル(韓国)10位、台北(台湾)15位、上海(中国)16位などとなっています。日本は国全体だけでなく、代表的都市との比較で大きく負けてしまっています。バンコクは写真で見る通り都市の景観として優れていますし、近郊には有名な寺院などが数多くあります。しかもその寺院は日本のものと違い、エキゾチックでいかにも〝南国の異国に来たんだな〟という印象をもつでしょう。日本の寺院は今から1500年近く前の仏教伝来とともに建築技術が大陸から入ってきます。具体的には今の韓国(当時の百済など)から職人(造仏工や宮大工)に来てもらって寺院建築が始まります。ちなみにその渡来人の1人が金剛組という578年から続く世界最古といわれる会社を創っています(2005年から別の会社の子会社になる)。そんな訳で中国、韓国の寺院とどうしても建築様式は似ています。中国には年間5000万人ほどの外国人旅行者が訪れていますが、欧米人から見ると東アジアでは、万里の長城などもあってスケールの大きな中国に先ず注目がいってしまうのかもしれません。話しを戻しますが、東南アジアにはタイだけでなくアンコール遺跡(カンボジア)、プランバナン寺院群(インドネシア)、バガン遺跡群(ミャンマー)など旅行者を惹きつける寺院や遺跡がかなり残っていて多くの外国人旅行者を集めています。



こうした魅力的な観光地を持つ東南アジアの国々は、近年海外からの外国人旅行者の受入に力を入れており、確実に外国人旅行者数を増やしています。ここでは写真での紹介はありませんでしたが、ベトナムなどは1990年の外国人旅行者の受入数は、年間わずか25万人程度でしたが、今では国の観光を強化する政策もあって800万人近くの外国人がベトナムを訪れています。このように多くの国々で外国人旅行者の受入に競って力を入れてきています。ここでぼやぼやしていたら確実に他の国に外国人旅行者の受入数で負けてしまいます。今、国も本格的に観光業の強化に動き出しましたが、改めて私なりに外国人旅行者が少ない要因とその対策を整理してみたいと思います。その要因の一つは「日本の伝統的建築様式が消滅しつつあることと日本人の景観に対する意識の低さ」、二つ目は「日本には欧米のような一人で、または家族で楽しむレクレーションの文化の歴史が浅く、発想がまだ貧困であること」、三つ目が「戦略的な思考が弱いこと、また情緒的で論理的な思考の組み立てに弱いこと」です。この三つについて以下に順番に説明します。



タイトルに「……日本人の景観に対する意識の低さ」などと表現してしまいました。しかし、幕末から明治初期に日本にやってきた西欧の外交官や商人が、また織田信長豊臣秀吉のいた安土桃山時代に西欧の宣教師たちが日本に来て日本の風景を初めて目にしたとき、大変感動したことが彼らの日記や手紙などの書簡に残っていることがさまざまな文献で紹介されています。その内容について、少し古いレポートですが、2005年に旭化成グループの㍿旭リサーチセンターが「日本は美しい景観を取り戻せるか」というテーマでまとめた中の一節でその一部を紹介します。



上記のレポートに書かれている内容は、明治維新から間もなく150年近く経ちますが、いま日本の街並みの景観を見ればとても信じることができません。でも間違いなく日本には欧米人を感動させた街並みや農村の風景があったのです。明治初期の日本にあった風景の写真になりますが、長崎大学付属図書館のデータベースから何枚かを紹介します。







明治時代の日本には上の写真のような風景が当たり前にあったのです。当時の日本人が景観のことを意識したからというより結果的に写真のような風景ができたのだと思います。それが何故ほとんど消えしまったのでしょうか。それを私なりに考察したいと思います。最初に日本の伝統的建築様式が消滅しつつある現状についてです。いま日本の住宅事情は、伝統的な和の建築様式と西洋風(西洋的だが非なるもの)の建築様式に二分されてしまっています。そして新築住宅は西洋風建物が全体の大勢を占めてしまった感じです。この動きはもう止められないレベルまで来ているのではと私自身思っています。でも本当にそれでいいのでしょうか。そんな現状でもあえて〝日本の現状への疑問〟と日本の建築様式の大勢に対する〝アンチテーゼ〟を述べたみたいと思います。そこで今の日本の建築様式について、現状を考察して見ましょう。先ず私が最も身近な地元の伊勢市内に実在する住宅の例から見て見ましょう。




上が伊勢にある一般的な洋風住宅で、おそらく日本全国どこにでもある光景でしょう。確かに一つ一つの住宅を見るとそれなりにオシャレな感じで、住んでみたいと思わせるものがあります。それから首都圏にある住宅地の一部も見てみましょう。以前の私の職場は神奈川県横浜市青葉区にある店舗だったので近くの高級住宅地と言われている美しが丘、あざみ野地域の一部の写真をグーグルマップから探して以下に掲載します。



こちらも住宅地の建物の90%以上が洋風建物になってしまっており、和風住宅が残っているのは元々その地域に住んでいる地主さん位で全体の比率からしたら1〜2%といった印象です。これを今さら「一般住宅も和風建築に切り替えていこう」といったところで大勢は決してしまっています。むしろ現在の住宅地に和風建築の住宅を建てても全体の街の景観に合わなくなってしまっています。こういった地域では私も「和風建築に切り替えるべき」とは言いません。逆に「もっと西欧の良い点を学び、真似なさい」と言います。日本の洋風住宅と西欧にある実際の住宅とを比較すると、その違いの最大のものは家の形、街並みの色の統一感です。日本の中では、先ほど紹介した横浜市青葉区の美しが丘、あざみ野などは街並みに色の統一感がある方です。ところが西欧では更にそれが徹底しています。たとえばイギリスロンドン近郊の街ギルフォードとハイ・ウィカム(いずれもロンドン中心部から直線で約50kmにある街)の住宅街を写真で見てみましょう。ちなみにこの二つの街は私も初めて知る街の名前ですが、グーグルマップでロンドン中心部から約50kmのところをたまたま無作為に選んだ街です。






日本では信じられないくらい住宅の形と色が統一されています。逆に「統一され過ぎて自由がない感じ」と思うかもしれません。まず日本で見られる電線がなくすっきりしています(ギルフォードの街の写真に一部残っていますが)。イギリスでは市街地だけでなく(市街地はほぼ100%電線が地中化)郊外の住宅地でも電線の地中化が進んでいます。日本では写真で紹介したように、高級住宅地と言われるところですら電線は地上を這いまわっています。それからイギリスではそれぞれの都市で地区ごと、街路ごとに外壁の色と材質まで細かく指導されます。エアコンの室外機やパラボラアンテナを外に設置するなど出来ません。自宅であってもテラスを設けるなど、勝手な改装も出来ません。日本とは比較にならないほど住宅の景観に関して厳しい規制があります。そういう点では確かに不自由さを感じるでしょう。ヨーロッパでは、景観に対して細かく指導され、例外を許さない厳しさがあります。そしてその必要性を住民も理解し協力しています。そしてその結果としてその地域の景観を守り、地域の付加価値(資産価値)を高めるのです。例えば日本でも黒川温泉は、後藤哲也さんが中心になって地域の景観に力を入れてきた結果、黒川温泉の土地は坪数万から何十倍にまで上がり、地域の付加価値を一気に高めました。一つ一つ例外を認めていたら地域の景観力は高まりません。確かに欧米でも国や州によって規制のレベルは違います。もちろんどの国でも観光地での規制は例外なく厳しいものがあります。ただ写真で見る限り意外ですがイギリスに比べフランスの方が規制が緩やかな感じがします。パリ郊外でパリ中心部から50〜60kmくらいのところにある住宅地は「あれ、日本に似ているな」という印象があります。住宅の形、外壁の色がイギリスに比べ統一感に欠ける印象があります。アメリカも宅地はほとんど方形に区画されていますが、斬新なデザインの住宅もそれなりにあります。それでも欧米の方が日本に比べ景観に対する意識が高く、街並みの景観という点で質と量(面積)の両方で日本を上回っているように思います。日本の住宅は木造住宅が主体です。一方欧米はレンガなど石造建築です。第二次世界大戦でドイツもかなりの空襲を受けましたが、日本は木造住宅であることがアメリカから狙われ、住宅を燃やし尽くすために焼夷弾を大量にばら撒かれて、それこそ全国の主要都市のほとんどが根こそぎ焼き尽くされてしまいました。生きていくために住むところはとりあえずバラック小屋で、とにかく食べ物の確保で精一杯だった。この〝とりあえずバラック小屋でいい〟というレベルの建物が、町工場などなまだ全国のあちらこちらに残っています。それから定職を見つけ、サラリーマンとして働くようになるととにかく小さくてもいいからとマイホーム(のちにうさぎ小屋と欧米から称される)を競って持つようになります。この時期(昭和30年代後半以降)に日本人に大きく影響を与えたのがテレビの普及に合わせて放映されたアメリカのホームドラマです。広い居間にソファーでくつろぎ、楽しく団欒するシーンは将来のあこがれの世界、夢の世界と日本人みんなを思わせ、洗脳させてしまいます。私ももちろん洗脳されてしまいました。「とにかくこれからは家はアメリカのような家でないとダメだ」と思うようになりました。そう、日本人のほとんどが完全に洗脳されてしまった状態で洋風のマイホームを目指すようになったのです。その子供世代もいま正にマイホームを求める世代になっていますが、何の違和感もなく洋風住宅を求めています。そんな経過の中で今の日本の住宅があるので、今あるすべての洋風住宅を伝統的な和風住宅に変えるべき、とは言いません。それは無理です。それならそれならもう少し欧米に倣って街全体の統一感を持たせた方がその街の付加価値は上がります。

それから人口10万人以上の都市になると、どうしてもマンションなど高層住宅が必要になります。しかし、日本で多く見られる例は、戸建て住宅の中にぽつんぽつんと建っていて、しかも地形の制約からくる区画整理の遅れからか建物の向きもバラバラです。更に単純な箱物の建物が多く重厚感を全く感じさせません。せっかく各都市ごとに〝都市計画(図)を持っているわけですから、多少不自由になったとしても景観を考慮して、都市計画の用途地域を見直して建設できるエリアをより徹底して区分すべきです。それから大型の建物を建てる場合は、今より多少コスト高になったとしてももう少し重厚感を持たせてほしい。明治から昭和の初期にかけて建てられたいわゆる〝洋館〟と言われる西洋風建築物です。洋館で重要文化財に指定されている建物も数多くありますが、世界遺産に指定されているもので有名な富岡製糸工場(明治5年=1872年竣工)があります。また、日本の首都を代表する洋館に〝東京駅〟があります(大正3年=1914年竣工 戦争による空襲で半壊したため戦後規模を小さくして建て、2012年に元の建物に復元させる。写真↓)。

こうした洋館は、重厚さを持つがゆえに日本の地に異国情緒をもたらし、しっかりと根づいています。規模は違いますが私の住む伊勢市内にも昭和6年(1931年)に造られた近鉄の宇治山田駅があります。

こうした西洋の建築様式は、建物のメンテナンスを適切に行うことで、年月を経れば経るほど重厚感を増していきます。一方単純に箱物として造った高層住宅は、年月を経れば経るほどその地域の景観を悪くしていく気がします。大都市に人口が集中している現在、もっと景観を重視した都市計画づくりが必要だと思います。
大都市にある超高層ビルの場合はビルの向きなど統一感を保ちながらモダンなデザインの建物もありでしょう。ただ日本の場合、東京などの大都市の景観でも欧米だけでなく、アジアの他の都市に比べて見劣りするのではと思います。都心部の港区あたりでも高層ビルと低層の建物が混在していて統一感がなく、美しさに欠ける感じがします。東京と上海、香港を写真で比較します。



このように現在の日本の街並みの風景は大都市でも地方においても、江戸時代幕末から明治初期の風景が欧米人を感動させたというその名残りは、ほんの一部の地域に限られてしまっています。例えば、仮に私が外国の方を東京から大阪まで新幹線で案内したとしましょう。東京を出発し、神奈川から静岡県に入って間もなくすると富士山が見えてきます。そこで当然右手で富士山の方を指して日本一高く世界遺産の山を紹介します。と同時に製紙会社のエントツ群が見えてきます。私は意識してエントツのある下の景色を見せないようしばらく目線を富士山の頂上に合わせたままにします。まあ、それは無駄な努力と思いますが。それから途中で止まる主要な駅の名古屋や京都のことは紹介しますが、途中車窓から見える風景は特に紹介するところがありません。自信を持って見せたいと思う風景がないのです。仕方ないので外国の方とは社内で雑談をずっと続けることになるでしょう。もっとも英語での会話はできませんが。

日本の場合、肝心な観光地の景観ですら課題が山積です。例えば日本を代表する国際的に有名な京都です。とにかく1000年の都で、世界遺産の神社仏閣始め見どころが数多くあります。特に清水寺のある東山地区は一体に見どころ、散策に相応わしいところが多くあり大好きです。それから東山地区とは京都の市街地を挟んで反対側の西側になる嵐山も人気の場所で、私ももちろん好きな場所で東山➡︎嵐山のコースで、伊勢からの日帰りで車で何回か行きました。しかし、ここで問題があります。東山、嵐山それぞれはいいのですが、東山から嵐山まで車で移動する時の京都市街地の景観でる。だいたいそのコースで京都に行く場所、祇園近くの駐車場に車を止めて鴨川沿いの道路を北に走り、京都御所の前を通る府道187号線(丸太町通)を西に向かいます。この途中の車から見る風景、時間にしたら30〜40分ですが、その間全く京都を感じさせません。どこにでもある風景で、「世界の観光地=京都でこの景色か(写真下 グーグルマップ)」とがっかりします。


同じ古都である奈良の場合も状況は変わりません。広い奈良公園に隣接してある東大寺南大門の仁王像と金堂の大仏の威容に感動しつつ東大寺をあとに唐招提寺薬師寺に行くため、奈良市の市街地を通って西に向かうときも市街地に古都の雰囲気は全く感じません。これが今の日本の現状です。


改めて日本の景観はどうして現在のようになってしまったのでしょうか。既にその理由の一つについてこのブログの中で述べました。そう、第二次大戦後のアメリカの影響です。それについてはまた後で少し触れるとして、最大の要因は明治以後、とりわけ戦後の人口増加です。そのことを少し古いですが、2004年の景観緑三法が施行された年に、前国交省事務次官の増田優一さん(当時 大臣官房審議官)が、土地総合研究所主催の講演会(100回記念)で講演しています。その講演の中で近年の日本の急激な人口増加の弊害が、日本の景観を悪くしてしまった、と言っています。

戦後の日本は集団就職など大都市に集中する傾向が更に強まり、それにベビーブームで日本全体人口増加が加わる。首都圏4都県(東京・神奈川・埼玉・千葉)の人口変化を見ると、戦後まもない1950年の首都圏4都県の人口が1302万人。それが30年後の1980年には2868万人と30年で1566万人も増えてしまいます。1年間で52万人以上、毎年毎年増え続けます。日本の持ち家比率というのは1950年代から現在までほぼ60%前後で変わりません。そうすると首都圏4都県だけで毎年30万戸(マンションも含む)以上の持ち家需要が継続したということになります。この時期日本は高度経済成長しましたが、急激な人口増加は、当然旺盛な需要をつくり、黙っていても高度経済成長せざるをえなかったとも言えます。もちろん、戦後の食料難を何とか乗り越え、〝もっと豊かになりたい〟というハングリー精神があったことも見逃せません。人口増加と豊かさを求める日本人の需要に応えるため、モーレツに働きます。そして当時の世の中全体のムード、空気が〝とにかくマイホームを持つことが一人前の証(あかし)〟であり、周りの景観のことなどひとかけらも眼中になかった、というのが正直なところでしょう。

それから二つ目の理由については、既にこのブログの中で紹介しました。そう、前後のGHQによる占領政策とその後のマスコミのアメリカ一辺倒と言っていい情報の流れが戦後の日本全体の空気を根こそぎ変えてしまったことです。1979年に文芸評論家の江藤淳 氏がアメリカ主体の連合国軍総司令部GHQの占領政策の中にウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program)があったとレポートしています。これを直訳すれば〝戦争責任周知徹底計画〟ということになります。確かにGHQの占領(占領化の基で政治的には日本国政府が統治権を持つ)は、1945年9月2日の日本の降伏文書調印から1952年4月のサンフランシスコ講和条約の発効までの6年半の長きに渡り、日本の伝統的な神道や武道などの規制や禁止、歴史の全面的な見直しを学校教育と一般国民向けにラジオや新聞などのマスコミを使って「真相はこうだ」などで「いかに日本が間違っていたか」を継続して徹底して放送などで伝えます。1949年までの4年間は検閲制度もあって、その間約2億通の郵便物が開封され、相当数の書物が没収され、新聞に問題となる記事があれば発行停止となってしまいました。これだけ長きに渡ってGHQの思惑通りにインフォメーションされたら完全にその思惑通りの空気ができます。占領時代の後半から日本で始まったテレビ放送も当然その流れ、空気の中での放送になります。その後は比較的手に入りやすかったことも想定されますが、アメリカの西部劇、ホームドラマが連日放送されます。とりわけホームドラマはアメリカの豊かさを見せつけられ、強いあこがれを多くの人(たぶんほとんどの人)が持つようになります。そうです。日本はアメリカの文化に完全に洗脳されてしまいました。私もです。私の実家は山梨県にある農家で母屋は日本の農家の代表的な入母屋造りの家です。他から移築して建てた家ですが、移築してもう80年ほどになります。今でこそこういう日本の伝統的な家を残さなければならないと思うようになりましたが、若い頃は全く良さを感じませんでした。「なんか古いだけでダサいな」という感覚で、むしろその頃数少なかった洋風の家に強いあこがれを持っていました。まあ、それが周りの同世代の人のことを考えてもみんな同じように思います。当然それからの日本の住宅の需要、ニーズというものは〝洋風〟〝モダン〟を求めるようになる。そして供給側も当然与えられた条件の中でそれに応えようとする。それが自然な流れと言えるでしょう。


さて、 三つ目の問題です。新たな問題が急激に生まれ、日本の伝統的な家屋を維持出来なくなっているという問題です。新たな問題とは、これまで述べてきた二つの理由が大きく関係しています。一つは急激な人口の都市集中により地方、とりわけ農山村の住宅の維持が困難になっていることです。農村部の家というのはその必要から大きい所が多いと思う。例えばまた私の実家の話しになりますが、農業、林業の他に養蚕(農業の一つとも言えますが)もやっていました。周りも大半の家でやっていました。この養蚕というのが〝かいこ〟を飼うスペースがかなり必要になります。私の実家も母屋は屋根裏に3階部分を設けた構造で2階、3階は養蚕用でした。当然家は大きくなります。現在住んでいる伊勢でもそうですし、全国でも総じて田舎の農家の家は大きい。私の実家で建坪でざっと80坪位でしょうか。私の家は小規模ながら地主の家だったのでやや大きかったかもしれませんが、それでも周りの農家も建坪で60坪程度はみんなあったと思います。いま新築住宅の平均建坪が43坪ということですから、やはり昔からある田舎の住宅は相当大きかったのです。なんでそんな大きな住宅がその集落全体で出来たのか、今建てれば莫大な資金がかかります。普通に考えると不思議です。それは日本の伝統的な仕組み、制度がそれを可能にしたのです。みなさんは、昔の「結(ゆい)」という制度をご存知でしょうか。おそらく戦前まで農村人口が約8割近かった日本において、全国にあった仕組みと思います。今でも残っているもので有名なのが白川郷の屋根葺きです。白川郷の屋根葺きがあると必ずテレビで放映されるのでご存知の方は多いでしょう。屋根葺きはは3年前から茅の確保の準備が始まります。確保した茅は家の空きスペースにストックし、そこで乾燥せます。そして屋根葺きは2日がかりで、それぞれ100人の要員が必要となります。この要員は親戚の人とほとんどが地元の人たちが無償で労力を提供します(現在はこれにボランティアが加わっています)。地元の人はいつか自分の家の屋根葺きをするときは同じように地元の人に無償で労力を提供してもらうわけです。いわば困った時の労力の助け合い、組合ということができます。この屋根葺きは一度に片面だけです。屋根葺きは30〜40年に1回を行いますが、もう一方の片面の屋根葺きをその間に行うことになります。この片面だけの屋根葺きを今外注で行ったとしたら1000万円以上がかかると言われています。そしてその屋根葺き当日の100人分の食事とお茶の準備、2日目で屋根葺き作業が終了したら慰労を兼ねた宴会を行います。その準備はもちろん地元の女性たちが担います。こちらも戦争状態の忙しさです。

規模は違いますが、昔の田植えや稲刈りは田植え機もトラクターも何もなく、鎌などの最低限の道具とあとは全て人の労力になります。しかも何日もかけて家族だけでコツコツと行うというわけには行きません。そこで地元の人、地元の組の人たちに労力を提供してもらうのです。そして組の人たちそれぞれの田圃の田植えを順番でやっていくのです。これは昔は全国全ての農村で行われていたと思います。

そして家の新築、普請についても基本的には同じ考え方で行われていました。この昔の家の普請についてインターネットで調べていたら、良く調べてまとめた参考になる資料があったので紹介します。URLも掲載しておくので興味のある方はどうぞ。





www.geocities.jp/kounit/nitijyou-jyuukyo/honbun3s.html

昔は本当にこんな感じで家を普請したんでしょうね。親戚や地元の村落の人からの労力を借りることができた変わりに普請する人の側の心労は大変なものがあったと思います。それから労力の助け合いの〝結〟とは別にお金の面の助け合い制度〝無尽〟があり、家の普請などを支援する制度として助けあってきました。私の実家のある山梨では、今も無尽の制度が残っています。日本には農協、生協、漁協、森林組合信用組合などの他各業界ごとに必ず組合があります。日本にはもともと組合と同じ考え方の〝結〟や〝無尽〟などの制度があったので、現在世界でも断トツに協同組合の多い国です。


説明が大変長くなってしまいましが、そういう制度に助けられてこれまでの日本の農村では大家族であったことや農作業上の必要もあって大きな家が建てられてきました。それが戦後の若い世代の急激な人口移動により農村世帯は高齢の老人だけとなり、今迄の結や無尽などの助け合いの制度が成り立たなくなり、大きな家に老夫婦二人だけ、あるいは一人だけ、そして誰も住まない空き家といった状態になってしまっています。そうです。日本の農村では、今迄のような入母屋造りの家は必要がなくなってしまいました。仮に家の普請が必要となっても入母屋造りの大きな家を建てることはないでしょう。まず昔からあった結の制度がないため莫大なの建築資金が必要となってしまいます。それから入母屋造りの家を建てようにも今の大工、工務店の人はそんな家を手掛けたことがほとんどありません。そのため数少ない宮大工の人にお願いするしかないでしょう。だから今ある農村の昔ながらの家も例外(世界遺産に指定された白川郷など)を除いて少しずつなくなっていく運命にあります。今から57年前、私が小学校に上がる前の年です。私の実家のすぐ隣の家が、昔ながらの結の制度を使って家を普請しました。そのことをおぼろげに覚えています。顔を知っている組の人が家づくりを手伝っているのです。記憶にあるのが壁土を作っているシーンです。組の人3人位で赤土に麦藁、水を入れてスコップを使って3方向から練り上げているのです。もちろんそのあと作った壁土を壁に塗る左官の仕事もやります。大きくなってから話しを聞くと大工棟梁とその配下の人が1人か2人、後は棟梁の指示のもとに地元の人が手足となって動きます。それから建舞(上棟式)の夜のことを覚えています。まだ壁もなく柱と屋根葺き前の状態の中で仮の電気をつけて慰労会をやっているのです。50人以上はいたと思います。自分の家の父と歳の離れた長兄が慰労会に参加しています。母はその慰労会の酒の肴づくりなどの手伝いで同じ新築の家にいます。夜私の実家の家は姉と二人だけで寂しかったのでその隣の家に覗きに行ったのです。そんな50年以上前の姿はこの日本から完全になくなってしまいました。そんな時代の変化の中で、日本の伝統的な家屋は消滅の一途をたどっています。


今回の投稿で江戸時代末期から明治初期の日本の風景が欧米の人を感動させたことを紹介しました。町中でも家の前の道は必ず毎日清掃するとか、昔はどこの家でも普通にあった縁側は近所の人とお茶を飲んだりする社交の場でもあったので毎日雑巾がけ(昔の私の実家がそうでした)をするとか、人様に恥ずかしくないよう庭の手入れをするとか、昔の人たちの良い習慣が当時の清潔感のある町並みや農村の風景を維持していたと思います。しかし、自然の中には、調和した町中や農村の風景は、意識してそうなったというより結果的にそうなったということだと思います。先ずほとんどの住まいは木造建築だったので、ほぼ2階建てまでなので町中の家の景観は結果的に高さの統一感があります。家の屋根は瓦屋根か檜皮葺(ひわだぶき=ヒノキの樹皮を屋根葺きに使う)か板葺き、農村なら藁葺きが主流だったので色と材質に統一感があります。取り分け江戸の町は、武家屋敷が多かったことと何回か大火に見舞わられたため、幕府から瓦屋根を推奨されます。その結果江戸時代後期の町はほとんどが瓦屋根だったと思われます。家の壁面は、木造建築なので木の柱と板壁、または赤土を使った土壁か漆喰の壁。こちらもその種類に限られていたので色と材質の統一感があります。全てが特別意識することなく、自然な流れの中で昔の景観は出来上がったのだと思います。明治以降、特に第二次大戦後の日本の激変が昔からの自然な流れを断ち切ってしまいました。そして、これからは意識して日本の景観をより良くしていく努力、日本の町並みや農村の風景を再生していく努力が必要となっています。


戦後でもう70年以上になります。日本人はもう今の土地法制の中で長年家を建てたり、借りたりしてきているので、これを突然ヨーロッパと同じように規制すると言っても容易なことではありません。2004年に景観緑三法が施行されて10年以上になります。新しい法制に基づいて全国で30ヶ所以上の景観地区が指定され景観を改善する動きにつながりましたが、最近は新たに指定されるというような動きもありません。この10年で「日本全体の景観が良くなりつつある」という印象はありません。ただ景観緑三法ができても、今人が住んで存在している家を〝景観に合わない〟と言って強制撤去させることも出来ないので、部分的に変えられても町全体を変えるのは確かに簡単ではありません。私は日本が本当に景観を変える動きを作っていくためには、本気になって取り組んでも30年とか40年とかという年月がかかってしまうと思います。そう、実際に具体的に景観規制をする段になって、行政と住民との凄まじい軋轢を乗り越える必要があると思うからです。それでも莫大な資金が必要となりますが、いま地上にある電線の8割を地中化したなら日本の風景は一変するでしょう。それに合わせて黒川温泉のような絵になる伝統的な和を基調とした景観を一つ一つ増やしていくこと、そして戦後の占領政策でGHQがやったようなマスコミを総動員したインフォメーション宣伝を継続的に徹底して行うのです。いまマスコミは、どちらかと言えば耳触りが良く、おそらく視聴率が取れるであろう日本賛美の内容、例えば「日本の〝おもてなし〟が如何に素晴らしいか外国人旅行者にインタビューする」とか、「日本の鉄道が如何に時間に正確で多くの車両をスムーズに発着させているか、その仕組みについて現場を視察する」などの内容です。そういう内容ではなく、「なぜ日本は、欧米の使節たちを感動させた江戸時代後期から明治の景観を壊してしまったのか」とか「ヨーロッパの景観と日本の景観の違い、そしてヨーロッパの国が景観を維持・向上させるための考え方と実際の行政の対応」、あるいは「黒川温泉の景観はこうして生まれた」などです。企業が大きく業態転換に舵を切るとき、それを成功させるには社員への合意形成が不可欠です。日本人は論理的思考は案外と不得手で情緒的に流れやすい傾向があります。世の中の空気が〝景観の見直し〟に向かっているならその空気を読んでみんな協力してくれるでしょう。逆にそうした世の中の空気がなければ、会社などと違って直接的な利害関係がないので、猛烈な反発が全国に生まれてしまうでしょう。日本全体で〝景観を変えよう〟というわけですから、そのための世の中の空気づくりはより徹底したものにする必要があります。

それからこのブログで首都圏近郊の住宅街の写真を掲載して、「90%以上洋風化した住宅になってしまった景観は、逆にもっとヨーロッパなどの景観に関する考え方を学び徹底すべき」と書きました。そうすればその地域の付加価値は確実に上がるでしょう。しかし、それが外国人旅行者を増やすことにはつながりません。ヨーロッパの人がなんとなく自分の国の景観と似た景観を見るためにわざわざ日本に来ることにはならないしょう。ただ既に在住している外国人やこれから日本に来る予定の外国人にとっては、〝住みたい〟と思わせる地域にはにはなるでしょう。

さあ、今度は首都圏や政令指定都市の一部を除いた地方の景観問題です。2005年に景観法が施行され、全国の都道府県と市町村で360ヶ所が景観計画を持つようになりました。ただ対象にしているのが大型建造物中心で、全ての住宅が規制の対象となる景観地区を設定しているのは全国でわずか36ヶ所(準景観地区が3)のみです。全国16都道府県のみで半分以上の31府県は景観地区を設定していません。それも対象範囲は、例えば三重県であれば唯一伊勢市のごく一部のおはらい町地区が景観地区に指定されています。ただそのエリアは長さ1km以内、幅200m以内の限定された地域です。全国でわずか36ヶ所というのはまだ行政も腰が引けてる感じがします。もちろん、強制力を持つ事前届け出制の地域を新たに設ける。あるいは拡大するわけですから新たな行政手続きは大幅に増えます。住民、事業者との軋轢も格段に増えるでしょう。しかし、ここは信念を持って前に進んでほしい。

それから都市計画をもう一度景観の視点から見直しあるいは補強をしてほしい。当然都市計画に基づく道路の整備などは引き続き行っていきます。日本全国にはまだまだ消防車すら入らないような路地に面した住宅も多くあります。そこに人が住んでいれば、道路の拡張も簡単ではありませんが、先に述べた〝日本の景観を良くする〟という世の中の空気をつくっていく中で住民の理解を得られるようにします。

それから都市計画にある用途地域に景観の視点を連動させて見直すことです。大変な作業になるので行政側もその意義を理解し、情熱を持って取り組まないと出来ないでしょう。今の日本は住宅地の中に5階建以上のマンションが点在している風景が至るところにあります。建物の高さがバラバラで統一感がなく景観を悪くしています。これは東京の都心部(高層ビルの間に2階建の住宅が混在している)から地方の小都市まで全国共通です。現状第一種中高層住居専用地域から3階建以上の建物が建てられるようになっていますが、そのことが中途半端な大きさのマンションなどを点在させ、建物のデコボコを生じさせています。新たに用途地域を増やすなどで建物の高さを可能なかぎり統一します。だいたいどこの地方都市でも主要な駅前などは建物の容積率が高い商業地域に指定されています。そしてだいたい高層ビルから2階建の低層の建物が混在していて統一感のない景観のところがほとんどです。これを新たに例えば容積率500%以上800%までなど現在ない低層建物不可の用途地域を設け、都市中心部の統一感のある景観づくりにしていきます。高層マンションもその対象となります。それとは別に住居用の高層マンションは専用の用途地域を設け、都市計画の中に主要駅または都市中心部から◯Km圏内に何ヶ所か(人口に応じて)設定します。今の第一種二種低層住居専用地域、第一種二種中高層住居専用地域は、住居専用の集合住宅は2階建までの建物(アパート等)までとし、第二種住居地域の建ぺい率、容積率の条件で第三種を設けマンションなど住居専用高層ビルを集合させたエリアとするなどの見直しが必要でしょう。


それから住宅の質、中身の問題です。このまま首都圏近郊の洋風化した住宅の景観と同じ流れで同質のものを、金太郎飴のように全国に広げていって日本の伝統的な景観を消滅させていっていいのでしょうか。と言ってももうほとんど全国に洋風化した住宅が広がっていてもう出遅れのような状態に至っています。本気でかからないと変えられません。人間とは恐ろしいもので、電線が町中を這いまわり、建物の統一感のない不細工な景観でもそこに長く住んでいると何も感じなくなってしまいます。日本の町並みの景観がみすぼらしいのが、間違いなくヨーロッパなどからの旅行者が少ない要因になっていると思うし、世界の建築家の間では、日本の建築や町並みは神社仏閣などを除けば見る価値がないと大変低く見られています。このまま放置したままでいるということは、日本人の民度を問われる問題なのです。


そんな洋風化した住宅が一般化する中で、数は少ないですが、伊勢市内に和風建築の住宅で比較的最近新築した家があります。下3枚の写真の中で上から2番目、3番目の写真にある住宅は築5〜6年といった感じで「よくぞ造ってくれた」と思います。建築コストはやや高いと思いますが、こうした住宅が町全体を占めたなら地域の付加価値は一気に高まるでしょう。今全国の観光地で町家こうした住宅を建てるなら何らかの行政の支援があっていいと思います。




また、全国の観光地では日本の伝統的な町並みの町家スタイルの土産物屋、カフェ、レストランが人気です。また東海地区を中心にフランチャイズでチェーン展開する「珈琲屋らんぷ」は東海地区を中心に70店ほどの店舗を構えていますが、すべて町家スタイルです。店内も和風のテイスト、造りですが、客席は椅子テーブル席ですし、カウンター席はシャレた洋風の造りです。この様に和〝風〟、町家〝風〟のテイストを全面に出して事業として成功しています。このように和のテイスト、雰囲気をうまく打ち出していくことで事業としても成功する例が多く現れてきています。私の職場のあるおはらい町・おかげ横丁は、今から20年以上前に町全体を町家風に全面的に造り直し、中心部に地元の特徴を持った店を配置したり、年間通してさまざまなイベントなど催したりとかなり大掛かりな街づくりと運営をしていますが、その効果は甚大なものになっています。おはらい町通りの集客力は、以前の10倍以上の集客力を持つようになり、地域全体の付加価値を高め、強力なブランド力のある地名となりました。全国の観光地で商店街の再生を検討する時に、必ず視察する場所になっています。

同じように私たち日本人が住む住宅も、うまく仕掛けることができればいつまでも洋風住宅ばかりでなく、和のテイストを持った和〝風〟建築の住宅の方に世の中のトレンドを変えていくこともできると思います。伝統的な日本家屋をそのまま造らなくていいのです。生活のしやすさも考慮して洋風の良さも取り入れていけばいいのです。大手住宅建設会社の皆さん、いつまでも洋風追随一辺倒だったり、国籍不明の奇抜なデザインの住宅を追求するのではなく、この辺で日本の伝統的な景観、風景、日本庭園と組み合わせた伝統美を基本とする姿勢にたち返ったらどうでしょう。
「えっ、それは建築コストが高くって?」
「何も入母屋の家を造らなくていいんです。切妻の家で十分です。材質は高級木材だけにこだわる必要はありません。和のテイストと洋の使いやすさを取り入れて可能な限り消費者が無理せず予算を組める価格に設定するのです。皆さんプロならその努力をして下さい。」

建物は、箱物のビルでもデザインが斬新でモダンな感じに見えても長い年月を重ねるにつれて建物がチープ化する印象があります。特に大型の集合住宅、マンションなどでそれを感じます。その点今回の投稿で紹介した東京駅は洋風ですがデザインはヨーロッパの伝統的なデザインに倣っています。この方が長い年月を経ても建物がチープ化することはないでしょう。同じように全国の都市、町の景観にしっかり日本の伝統美を残していくことが、日本全体の付加価値を高めることにつながると私は信じています。


今回も完結しませんでした。多分もう一回となると思いますが、更に続編が続きます。なんか話しを広げ過ぎている感じですが、引き続き以下の内容でチャレンジします。


♨️黒川温泉に学ぼう 第2回(黒川温泉シリーズ第3回目)

    前回の「黒川温泉に学ぼう」の投稿は、黒川温泉への提言を途中で終えてしまいました。それではさっそく前回の「黒川温泉への提言」の続きから始めます。

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3.露天風呂と露天風呂めぐりを更にインターナ ショナルに対応させ、進化させる
    温泉地にとっては当然〝温泉の質〟が最も大切な要素となります。温泉の持っている効能の他に、温泉が癒される空間になっていること、脱衣所などの施設が快適で使いやすいことなどが上げられます。特に癒される空間という点で、外の景色を眺めながら入浴できる露天風呂の有無は人気を大きく左右する要素となっています。今後この露天風呂を外国の観光客の皆さんにも楽しんでもらえるような発想を持ってこれから対応をすすめていくべきです。

   それからこれはまた章を改めて触れたいと思いますが、日本はまだ外国からの観光客が少なすぎます。例えば隣の韓国と比較してみましょう。日本は国土面積で韓国の3.79倍あります。同様に人口で日本が2.5倍(2015年実績)経済力比較でGDPで韓国と比較すると、こちらも2015年度実績で日本のGDPは4123年億(US)ドル、韓国は1377億ドルで、日本が2.99倍の規模になります。ところが外国人観光客の受入れ数となるとおかしなことになります。毎年世界観光機関が発表している「国別海外旅行者受入数」で比較すると2014年度実績て日本は1341万人、対して韓国は1420万人で日本は韓国に負けているのです。2015年度で日本は1973万人と大幅に増やして韓国を逆転していますが、〝外国人旅行者受入数〟では日本は韓国と拮抗しています。この他のアジアの国で日本より上回っている国はトルコ、タイ、香港、マレーシアなどがあります。例えばタイは2015年度実績で2988万人です。トルコはまだ2015年度実績が集計されていません。また最近のテロ事件の続発で今現在は大幅なマイナスと想定されますが、2014年度実績で見ると3998万人です。日本の経済規模からみて海外旅行者の受入れ数が2000万人を超えそうだなどと喜んでいる場合ではないのです。遅まきながら今のレベルを倍増させていく戦略が必要です。やっと国もそんな動きになりつつあります。安倍首相を議長に前の投稿で紹介したデービッド・アトキンソンさんもそのその委員に加わり、「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」で今後の日本の観光ビジョンをまとめている。それによると外国人旅行者受入数を2020年に4000万人、2030年に6000万人とかなり意欲的です。この外国人旅行者受入数目標に関して、アトキンソンさんは本の中で「これまでの目標は〝2020年に2000万人〟など黙っていても達成できるレベルでした。日本の国の潜在力からみて2030年で8200万人の外国旅行者を目標としてよい」とその根拠を示して言っています。いずれにしても外国人旅行者受入に関して国の動きが変わりつつあります。やっと戦略的な動きになっています。しかし、これは大きな変化です。

🔶首相官邸  政策会議

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   それからもう一つの大きな動き、トレンドがあります。それは海外旅行者の総数、パイがどんどん増えていることです。例えば東南アジアのタイなどは、一昔前は貧しい国の代表のような感じで外国人旅行者の受入れ(インバウンド)には熱心でしたが、自国民のアウトバウンドに関してはとてもそんな余裕はありませんでした。そのタイが2015年度79万人が日本を訪れており、アメリカに次いで6番目に多くなっています。また、少しデータが古いですが、2012年のタイのアウトバウンド数は570万人です。タイの全人口6884万人の約8%です。近い内に日本のアウトバウンド数の人口比率と変わらなくなる勢いです。世界には確かにまだ貧しい国、政情不安な国はたくさんあります。しかし、一方で東南アジアなど多くの国で経済力が高まり、国民の所得も高くなっています。その結果海外旅行をする人の総数が増えています。従って日本だけでなく、世界のほとんどの国でインバウンド客が増える傾向にあります。これが今の世の中のトレンドです。時流です。この時流にあらゆる観光地、もちろん黒川温泉も対応していく必要があります。そう、黒川温泉の魅力の一つである〝露天風呂〟を更に進化させる時がきています。

   さて、これから黒川温泉の露天風呂を外国の人にも安心して利用してもらうための施策です。もちろんこれは温泉についての研究者でなく、業界の関係者でもない、日本の伝統を大切にし、日本の醜い景観を変え、世界の人にもっと日本に来てもらい、世界の人々に日本のことをもっと理解してもらいたいと願う一日本人の意見、仮説です。それでは大胆に提案します。

   これまでの黒川温泉の露天風呂と欧米の温泉プールを組み合わせ、外国人も入りやすい露天風呂施設を新たに造る。

   海外にももちろん温泉があります。野外の露天式のものもたくさんあります。しかし、日本と大きく違うのは露天風呂ではなく、温泉プールです。プールサイドではデッキチェアで日光浴など横になってくつろいだり、温泉プールに入ったリでかなり長い時間を過ごします。海外のいくつかの温泉地を写真で紹介しましょう。

🔶ヒエラポリス遺跡・ローマ浴場/トルコ

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                      〈写真↑ wondertrip〉

🔶パート・ラガッツ/スイス

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                        〈写真↑  wondertrip〉

🔶サトウルニア温泉/イタリア

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                          〈写真↑  wondertrip〉

🔶バーデン・バーデン/ドイツ

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                               〈写真↑  JTB〉

🔶リュブリャナスロベニア

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                               〈写真↑   JTB〉           

    まず、規模が違います。黒川温泉でこの規模の温泉施設を建設するのは無理です。黒川温泉は24の旅館が集まっていますが、宿泊可能な人数はそれほど多くはありません。従って新たな露天風呂は、黒川温泉の旅館が持つ既存の露天風呂よりは大きいが黒川温泉の宿泊収容可能人数に対応した規模にします。イメージとしては奥黒川温泉の〝山みず木〟の男性用露天風呂の3〜4倍の大きさです。それから露天風呂と併設で日本家屋風の建物の室内温泉プールも造ります。20メートル程度の長さの温水プールとプールサイドは、室内からデッキチェアで露天風呂側を見渡せる十分なスペースのプールサイドも確保します。そうすれば冬場の寒い時期も中から外の景観を楽しめるようになります。方形のプールはどうしても日本的な景観に合わないので日本家屋風の建物で外から見えなくします。それから露天風呂と室内温泉プールの周りは、後藤哲也さんが〝山みず木〟の建設で手腕を発揮した雑木林造りのノウハウをフルに活かします。黒川温泉の周辺の景観は、スイスや写真で紹介したスロベニアの温泉地だけでなく、日本の有名な温泉地と比べても正直なところ劣ります。周りの景観を〝絶景〟に造り変える必要があります。雑木の組み合わで四季折々楽しめる景観にするのでする。「そんなことができるのかって?」。「できます。後藤哲也さんの露天風呂造り、雑木林造りのノウハウを今の黒川温泉の組合の皆さんが受け継いでいるのならできます。」。

   それから、これから外国人の受入れを本格化していくために「水着着用」を原則とします。水着着用なら男女別々に露天風呂を造る必要がなく、一つの施設で済みます。でも、露天風呂で「水着着用を原則」などと提案したら、こんな声が聞こえてきそうです。「バカを言うな!日本の露天風呂で水着着用などあるか、素裸で入るのが当たり前だろう。」と。確かに日本の露天風呂で水着着用というのはありません。私もすべての日本の露天風呂は、〝水着着用〟に変えるべき、なんて言いません。黒川温泉での提案は、一つの実験の位置づけもあります。これから外国人の旅行者は、黙ってていても増えていきます。一方日本の人口は減少に転じると同時に高齢化がすすみ、仕事に従事する生産年齢人口は減り続けている(1995年より減少に転じています。)。人口が減少すれば日本の労働生産性を上げ続けないと経済規模は減少する一方です。ヨーロッパなどでは政策的に条件付で移民政策をとって人口の微増を維持してきました。日本も海外に渡った日系人の子孫などに限った受入れを行ってきましたが、その比率は海外と比べるとわずかです。日本の移民受入れ政策がまだ定まっていないように、移民を増やして人口を増やす方法は、クリアすべきハードルが高い。そこで日本は戦略として外国人旅行者を増やしていくべきです。アトキンソンさんも「短期移民者である」として「政策的に外国人旅行者を増やすべき」と言っています。そう、人口が増えるのと同じ経済効果をもたらすのです。水着着用もこれからのトレンド対応の一環です。しかも黒川温泉で一つだけで行う。それぞれの旅館では今まで通りの温泉、露天風呂を維持していけばいいのです。

   話しが少し余談となります。江戸時代の幕末にアメリカの初代駐日公使として日本に来て将軍にも謁見し、幕府と交渉して日米通商友好条約を結んだ立役者のハリスという人の名前は学校の歴史の時間に教わったと思います。そのハリスが下田に降り立って滞在した時の印象を書いています。ハリスは日本の町の清潔なことなど一つの例外を除いて日本を大変評価してくれています。しかし、その一つの例外とは公衆浴場(銭湯)が混浴だったことです。謹厳なハリスは「なんという人達だ。とうてい許しがたく信じられない。」と言っています。それから150年以上経つ今、日本人である私はむしろハリスの気持ちが良く分かります

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   というように「伝統」「習慣」といっても時とともに取捨選択し、進化し、少しずつ変化していきます。

   余談ついでにもう一つ。外国の人が日本に来て驚くことがいくつかありますが、これはその一つです。男性の外国人が公衆トイレを利用するため男性用トイレに入ると清掃をしているスタッフに出会うことが当然あります。そしてそのスタッフが女性である(たいていは女性の高齢の人)ことに驚くといいます。そう、ほとんどの外国ではそんなことはありえないのです。私も日本人ですがそのことに違和感を感じている一人です。比較的最近の出来事でこんなことがありました。私の実家は山梨県にあります。昨年私の実母が亡くなり、先月8月に1周忌の法要がありました。早朝に伊勢を立ち、マイカーで高速道路を使って山梨に向かいます。総距離は350kmほどあるので途中サービスエリアのトイレを使います。2時間半ほど高速を走って新東名に入って最初の方のサービスエリアで車を止め、トイレを利用しました。そのサービスエリアの男性用トイレの中に入ると、いきなり女性作業員の人から「おはようございます!」と大きな声であいさつされました。思わぬ場所で、それも高齢とはいえ女性からあいさつされ、違和感を感じあいさつを返すことができませんでした。もちろん今でも違和感を感じています。しかし、多くの日本人はそのことにさほど違和感を感じていないのでしょう。だから今も続いているわけです。

   同じように露天風呂の混浴があっても違和感を感じない。その露天風呂で水着着用などとんでもない。素裸で入るのが当然でそれが日本の習慣であり伝統だ、という人も多くいるのでしょう。しかし、私はその習慣、伝統は変えるべきと思っています。もちろん私は日本人で日本のことが好きです。この黒川温泉のシリーズでの投稿の最初の方で日本の観光地が世界の観光地に伍していくためには〝日本らしさ、日本的な雰囲気を打ち出すことを徹底することです〟と書きました。また、日本の街並みの景観がこれまでの伝統的なたたずまい、景観からどんどん断絶に向かっているようで危機感を感じている一人です。ただ日本の習慣、伝統のすべてを残さなければならないとは思っていません。海外から入ってくるものも取捨選択して上手く取り込んでいけばいいのです。この30年の間に日本のトイレは和式から洋式に変わりつつあります。私も洋式派に変わりました。洋式トイレの方が使いやすいしメンテナンスしやすいからです。

   さて、余談をこのくらいにしておきましょう。話しを元に戻します。私の提案した外国人も気軽に利用できる露天風呂&温泉プールの新たな建設ですが、海外の温泉プールのように大きくなくていいと書きましたが、それでも大きな投資となります。後藤哲也さんが黒川温泉から約2Km離れた奥黒川温泉に約3000坪の土地に山みず木を完成させたのが1989年。露天風呂、旅館の建物など総工費約5億円だと本で紹介されています。しかし、これは地元の農家の人から頼まれて購入した山の中の田んぼだったところで土地の値段は今と違ってそんなに高くはなかったでしょう。それと建物から露天風呂の設計、建造まですべて後藤哲也さんの頭の中に青写真があり、自らも現場で指揮し自ら作業に入って完成させています。通常なら10億と言われても納得できる施設です。それを一つの露天風呂としては、山みず木の男性用露天風呂の3〜4倍の大きさです。そして温泉プールとその広いプールサイドをしっかり収め、軽食の取れるレストランもある和風建造物、そして敷地と周辺への雑木の植樹。10億円は下らないでしょう。それからこの後で触れますが、関連して散策道の拡充なども合わせて取り組むべきでそのコストもかかります。莫大な資金が必要ですが、できれば後藤哲也さんの意志を受け継いだ人が中心になって法人組織として地元の人、行政にも出資してもらい、法人として運営してほしい。それが無理なら外部資本の力を借りることも視野に入れます。こちらから青写真と遵守すべき条件をしっかり提示して、その条件の中で開発プランを提示してもらい、トップと面接し、プランとトップの姿勢、人物像を総合的に評価して決める。

   それからこれだけの投資になるわけですから専門家の意見を踏まえることと十分なリサーチは必要です。それで今回の提案は外国の人にもっと利用してもらうための施策ですからぜひ外国人の意見を聞くべきです。そのものずばり「新・観光立国論」を執筆したデービッド・アトキンソンさんに意見を求めてみてはいかがでしょう。アトキンソンさんはイギリス人でオックスフォード大で日本学を専攻。ゴールドマンサックスアナリストを経て2009年、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社に入社。2011年より会長兼社長に就任している。安倍内閣の「観光ビジョン構想会議」のメンバーになるなど多忙を極める。会うのも大変かもしれませんが、だからこそ意見を聞く価値があります。

   それと海外に行って黒川温泉の新たなプランを持って海外の人がどういう反応、関心を示すかリサーチします。温泉の利用の仕方としてヨーロッパとその他の国で大きく異なります。ヨーロッパの温泉の利用は「療養・保養」目的での利用が極めて多い。日本も昔から湯治目的の利用があって今もそうした利用があるがヨーロッパの場合、日本の比ではない。とりわけドイツでは健康保険制度とも連動し、温泉医の診断のもとに温泉治療館での各種入浴治療制度の他、さまざまな保養施設、スポーツ施設、文化施設などが利用できるなど、制度の充実ぶりには圧倒されるものがあります。今回提案した内容を持ってしてもドイツのバーテン・バーデンなど(私も写真と本の内容でしか知らないが)を見せられたら恥かしさを感じてしまうでしょう。バーデン・バーデンの中心地は、中世の町並みを今に伝え、散策、ショッピング、レストランでの食事を楽しむ。クアハウス(温泉を利用した療養・保養施設)には会議場、カジノやレストランも併設されている。1998年に新設されたヨーロッパ第2の大きさを誇るオペラハウス「フェストシュピールハウス」では、オペラ、音楽会が絶えず催されている。文化に対する裾野の広さと深さにただただ圧倒されるばかりです。バーデン・バーデンの街やさまざまな施設を写真で見て、そしてその制度の仕組みや実際の運用を知れば知るほど私たち日本人に文化に対する理解、考え方、姿勢というものを根本から教えられている気がしてなりません。私は黒川温泉が〝世界の観光地に伍していける観光地をめざせ〟といいました。しかし、バーデン・バーデンのような温泉地に簡単に追いつけるわけではありません。じっくりと学び、長い時間をかけてよいところを取り込んでいく姿勢が必要です。そう、温泉地、観光地は単にレジャー、余暇を楽しむ施設や場所だけではありません。その国のその土地の文化を感じて感動し、そしてそれが心を癒し、リフレッシュさせる力を持つ。そうしたものが観光地、温泉地にしっかり根づいている。そんな状態をめざさなければなりません。

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   しかし、私はヨーロッパの人に期待する部分があります。私の推測ですが、世界から日本に来る旅行者の中で〝日本の文化を知りたい〟という思いが一番強いのがヨーロッパの国々のような気がしています。私は伊勢神宮内宮前の土産物販売、一般個人客及び団体向けの食事などを行う店舗で仕事をしています。当然団体の外国人のみなさんも当店を利用してくれます。日本の他の地域に来る外国人と伊勢では少し傾向が違います。アジアの国の中では、台湾の人の利用が中国人と並んで多く、ツアーの団体など当店の食事もよく利用してくれます。中国人はここ数年で最も増えていて伊勢に来る外国人の中では最も多い感じです。少し前のような爆買いはなくなりましたが、それでも土産物はよく買ってくれます。ただ失礼ですが、伊勢神宮に関心があるというよりゴールデンルートに派生した観光地の一つとして来ている感じを受けます。韓国人は日本に来る人に比べ伊勢まで来る人は少なく、最近少しずつ増えています。また数年前までほとんど伊勢で見なかったタイやマレーシアなど東南アジアの人が来るようになりました。欧米ではアメリカ人が来日する旅行者の中では、約80万人(2013年観光白書)と最も多いのですが、どういうわけか伊勢ではほとんど見かけません。一方ヨーロッパはロシアを含めて全体で来日旅行者は約90万人(同観光白書)ですが、フランス人、ドイツ人など旅行会社が当店を選んでくれていることもありますが、食事などよく利用してくれます。ただ中国、台湾などアジアの人に比べるとお土産はほとんど買いません。そんな傾向がありますが、私にはヨーロッパの人が最も〝日本という異文化を知りたい〟という気持ちが強いように思えます。ですからヨーロッパに行ってリサーチを重ねて営業することは意味があると思います。ヨーロッパの人はアジアの人に比べお土産を買う金額は少なくても滞在日数は長くなるのでトータルで使う金額は多くなります。それからまだまだヨーロッパからの旅行者が少ないという点でも受け入れ体制を見直したり、営業を強めていくことで大幅に増やせる可能性があります。アトキンソンさんが本で指摘しているようにタイはヨーロッパからの旅行者が日本の5倍近い419万人ほどが訪れています。その内訳は2014年観光庁データで、ロシアからが160万人(ロシアから日本への旅行者6.4万人)、イギリス90.9万人(イギリスから日本 22.9万人)、ドイツ71.8万人(同 日本 14.0万人)、フランス63.2万人(同 日本 8.0万人)とロシアだけでなく他のヨーロッパの国々にも圧倒的にタイの方が人気があります。アメリカだけは日本への旅行者が89.2万人でタイの76.5万人を上回っています。こうしてみると国別にバラツキがあり、営業は国別のリサーチに基づいた対応が必要なことが分かります。ヨーロッパは受け入れの体制の強化と国別の営業活動強化で来日旅行者を大幅に増やすことが可能と判断します。

   3番目の施策の内、もう一つが〝露天風呂めぐりの進化・充実〟でした。これは同じ後藤哲也さんの旅館「新明館」と1989年に後藤さんが完成させた「山みず木」で好対照でした。山みず木の露天風呂は宿泊客と露天風呂めぐり客の共用でしたが、脱衣所も広くて使いやすく、ロッカーも木製のしっかりしたものでした。受付では各種ドリンクの他、土産物も販売しています。既に外国人にも十分対応している設備、機能を持っていると思いました。これだけの設備は初めて見ました。一方新明館の湯めぐり用の露天風呂と穴(洞窟)風呂は、混浴(99%男性が利用)で脱衣所は特別なスペースはなく、風呂場の手前に脱衣カゴがあるだけです。川を挟んで新明館の反対側からは、新明館の外にある露天風呂に裸で入るのが見えてしまいます。とてもこれでは外国人が利用するわけにはいかないでしょう。また、そもそも露天風呂めぐりは、宿泊客が利用する内湯と違って露天風呂につかるだけというわけでシャワーなど頭や体を洗えるようになっていません。「宿泊している旅館の風呂で洗ってください。」ということのようです。せっかく浸かった温泉の湯をシャワーで洗い流すのはもったいないということかもしれませんが、外国人の利用を考えればやはりあった方がいいと思います。それから湯めぐりのお客にはバスタオルなど貸し出しはないのが不便でした。かといってバスタオルを持って旅館から旅館をブラブラ歩くのは大変ですし、1回使ったバスタオルを2回も使う気になりません。私の場合は1日1回の湯めぐりだったので同じタオルを2回使うことはありませでしたが、バスタオルでなく普通のタオルのみだったので、7月の暑い時期で風呂から上がって濡れた体を拭くのですが、十分濡れた体を拭くことができず少し濡れたままの体に浴衣を着るような感じでした。今後外国人にも露天風呂めぐりを利用してもらうなら(ぜひそうすべき)、空調設備付の脱衣所の設備の増設と各旅館で有料でもバスタオルの貸し出しはすべきだと思います。

   それでは4番目の施策です。

    露天風呂めぐり、温泉街散策の延長でもの作り体験など黒川温泉の特徴を活かし、一日通して黒川温泉とその周辺を楽しめる観光地に進化せる。

     先ほど紹介したドイツのバーデン・バーデンは、今後日本の観光地がめざすべき方向を教えてくれています。あのレベルに到達するには長い長い年月が必要でしょう。しかし、真摯に違いを受け止め、学ぶべきところを学ぶのです。もちろん黒川温泉もです。建物をそっくりそのまま真似るのではありません。考え方、思想を学ぶのです。建物、町並みの重厚感だけでなく、保養地として、観光地・レクレーションの場としてもしっかりと伝統と文化を受け継いで今に至っている。その奥深さに無形の重厚感すら感じてしまいます。

   話しを黒川温泉に戻します。世界の観光地に伍する観光地・温泉地を実現していくために、これから日本国内の利用者だけでなく、当然海外の旅行者にも利用しもらうことになります。特に欧米からの利用者が温泉地を利用するなら本来1泊だけの利用ではなく数日間の連泊利用を希望すると思います。しかし、現実にその希望に対応する温泉地がないので温泉地そのものを利用しないのだと思います。1983年の数字で少し古くなりますが、山村順次さんの本「世界の温泉地」にバーデン・バーデンのホテルで1人当たり平均宿泊日数は2.8日とあります。私もその数字から黒川温泉でも3日の連泊にも対応できるハードとソフトを供えようという提言になります。そうするとまず食事の問題です。朝食は3日間旅館の食事でも良いでしょう。しかし、夜の食事を3日とも同じ旅館の食事ではせっかく高いお金を出して日本まで来たのにつまらなく感じるでしょう。それで2日目から外で食事をとろうと外に出てみると、スナック的な店が2軒あるだけです。他の土産店などみんな夕方6時には閉まって真っ暗です。というわけで黒川温泉では、3連泊しても同じ旅館で食事をするしかありません。まあ、3日間違う旅館に泊まって違う旅館の食事を取ることも出来ますがそれは大変面倒です。私の場合は黒川温泉で同じ旅館に2連泊して同じ旅館で夕食を取りました。多少メニューに変化がありましたが、やはり初日のメニューと基本的には似ています。部屋も2日とも同じ個室で変化の乏しさを感じました。日本国内においては黒川温泉は、トップレベルの温泉地なのは確かですが、それでも今度もう一度黒川温泉で2連泊することになったら面倒でも旅館を変えます。

   それから黒川温泉で3連泊するとして、日中、そして夜の時間をどう充実させた時間にするかという課題です。そう、施策の4番目がこの課題です。一つが黒川温泉ので散策です。しかし、黒川温泉は24軒が集まるこじんまりした温泉地の街です。ゆっくり歩いても1時間もあれば周辺を歩いてしまいます。そこでこの散策道をもう少し延長させ、ところどころにベンチを置くなど配慮します。とりわけ長い坂道はそんな一工夫が必要です。それから先ほど3番目の施策で新たな露天風呂兼温泉プールを造ることを提案しましたが、当然黒川温泉中心地からそこまでは新たな散策道の整備が必要となります。

   そして日中のもう一つの使い方が入湯手形を使っての露天風呂めぐりです。好きな人なら3つの露天風呂めぐり(黒川温泉では3回利用できる入湯手形を1300円で販売している)をする人もいるでしょう。それでも半日あれば十分でしょう。そこで先ほどの新たな露天風呂兼温泉プールは、プールにデッキチェアを置き、レストランも中に併設しているのではぼ日中をそこで過ごせる設計とすのです。それから日中の食事の問題です。全員が新たな露天風呂兼温泉プールに造ったレストランで食事というわけにもいきません。既に黒川温泉に豆腐専門の食事の店や蕎麦屋さんがありますが、これを更に種類を増やし、充実させたいですね。

   さて、黒川温泉初日は午前中露天風呂めぐり地元の食事処で食事、午後は散策と土産店で買い物と喫茶の店で時間を過ごしました。3連泊するということは、日中の時間がまるまるもう1回あります。この時間をどう過ごすかです。風呂の好きな人ならもう一度前日と同じ露天風呂めぐり、散策、買い物でもいいかもしれません。しかし、普通は当然変化を求めます。そこで一つの提案は阿蘇山麓が一望できるミルクロードまで車で30分位で行けるので、昼食は弁当を持ってハイキングという時間の使い方です。旅館では、マップや弁当などきめ細かい対応が必要です。しかし、これは天気次第です。それから次の提案は地元ならではの物づくり体験などです。これは今どこの観光地でも工夫して取り組んでいます。もう一度外国人旅行者の立場で考えてみましょう。例えばヨーロッパの人なら何千ユーロもかけて遠い日本まで来ているのです。当然異文化に触れ、感動を味わいたいのです。一生の思い出に、私の中の物語にしたいのです。それがお客様の切なる希望です。さあ、黒川温泉のみなさん、そのお客様の切なる希望に応えるために精一杯企画をプロデュースして下さい。それから3連泊するということは、3回夜を過ごすということです。現状黒川温泉は夕方6時になると街は暗くなり、夜は散策も出来ません。では、旅館で何か用意されているか。私の泊まった旅館では、個室で食事をしたら後は部屋に戻って時間を過ごすしかありません。2日目は黒川温泉で夜2軒だけやっているスナックの一つに行きましたが……。旅館にとって最大のパフォーマンス発揮の場である夕食以外に力を割くことはなかなか難しいと思います。これがドイツのバーデン・バーデンならオペラハウスでほぼ毎日やっている音楽会かオペラを少しオシャレをして鑑賞し、帰りは街のレストランで食事をする、ということができるでしょう。いきなりバーデン・バーデンと同じレベルのことをやるなんてできないでしょう。しかし、黒川温泉のみなさん、与えられた条件の中で精一杯知恵を出し、わがままなお客様の希望に応えるために日々精進して下さい。

 

   それではここで「黒川温泉に学ぼう  第2回」を終わります。次回は、第3回として日本の観光地の課題全般について書いていきたいと思います。

私の熊本震災復興支援

この4月16日に熊本県熊本地方に最大震度7の大きな地震が発生しました。更に4月19にかけてその余震が熊本県阿蘇地方、大分県中部とその範囲を広げ、大きな被害を発生させました。新幹線も動かず、空港も閉鎖される。更に道路も至るところで寸断されている。7月16日〜18日で予定していた黒川温泉行きは、一時諦めざるをえないかと思いました。その後新幹線が開通するなどインフラの回復が順調だったので6月初旬に黒川温泉の宿泊旅館に確認し、予定通り行くことにしました。ただ、せっかく熊本に行くので熊本地震後の現地の様子も見たいと思っていました。3日目の帰りの日、黒川温泉から熊本駅まで車で2時間位かかってしまい、震災地の現状を十分見ることはできませんでしたが、熊本駅に近い熊本城に行ってみました。





復旧は本当にまだまだこれからといった感じでした。熊本城の多くの建造物が国の重要文化財に指定されているので、その価値を落とさずに復旧することは大変だと思います。復旧するには専門家による学術的な見知からの検討が必要で、多分今はその最中でしょう。しっかりととした方針の基ですすめてほしい。いずれにしても熊本城は熊本の顔です。1日も早い復旧を願っています。
さて、熊本城の周辺を車で移動していると、熊本城の敷地から道路を1本挟んで熊本県工芸館の建物が目に入ったので、車を止め中を覗いてみました。予想通り熊本県の工芸品の販売を行っていて、被災者の支援を謳っています。


何か少しでも支援できればと思っていたので、展示している商品から一品でも購入しようと思い、私の好みの品を探しました。といってふだんそうしたものを見ることがほとんどないので〝見る目〟があるわけではありません。とりあえず写真の一品に決めました。5200円です。熊本県天草市の「水の平焼」で、海鼠釉(なまこゆう=海のなまこに似た色の仕上がりからこの名がつけられる)の元祖とされます。また天草島は全国唯一の陶石原産地とされています。これを機に陶器への理解を深めたいと思います。

地元熊本の百貨店で土産の利用を考えていましたが時間がありません。そこで熊本で最大の百貨店「鶴屋百貨店」のインターネットでお中元の利用をすることにしました。売上の10%は被災地支援に活用されるとのことです。私の熊本への支援の気持ちとして、しばらく(数年)お中元とお歳暮で利用したいと思います。参考のために連絡先を掲載しておきます。

鶴屋百貨店本店 写真 ウィキペディアから〉
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(株)鶴屋百貨店 顧客コミュニケーション部(ネット事務局)
〒860-8586 熊本市中央区手取本町6-1
代表電話 096-356-2111
直通電話 096-327-3215 (受付10:00~19:00※店休日を除く)
URL: http://www.tsuruya-dept.co.jp/
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ところで、みなさん!「九州ふっこう割」というのをご存知ですか?この間テレビのCMなどで紹介されたので知っている人も多いと思います。今回の熊本地震により九州全域のホテル・旅館で地震発生の直前までで入っていた予約が大幅にキャンセルになってしまいました。そこで国の支援も受けて今九州に旅行すると宿泊代などが大変安くなるという制度です。この制度を利用して今九州に行くことも復興支援の一環となるので紹介します。


「黒川温泉に学ぼう」の続編に着手します。投稿はいましばらくお待ち下さい。

♨️黒川温泉に学ぼう(黒川温泉シリーズ第2回目)

                       〈新明館内フロント周辺〉

   〝黒川温泉にご案内します〟の続編になります。前回の投稿の最後の方で黒川温泉の現状の問題点を大きく二つ申し上げました。〝景観〟の問題と〝接遇〟の問題です。わずか2泊3日の旅だったので正確な現状把握に基づいての対策案提起には無理があるでしょう。それでも無理を承知で一旅行者の意見の延長ということで申し上げます。
   この熊本県北部に位置する黒川温泉が、無名の温泉地から一躍日本のメジャーな温泉地に生まれ変わったのは、優れた景観を持つ温泉地へと一変させたからです。特別黒川温泉の回りの風景が景勝地として恵まれていたわけではありません。正直なところ日本のどこにでもあるごく平凡なところといえます。それを新明館のオーナー、後藤哲也さんが〝黒川温泉を変える〟という信念を持ち続け、人生の大半を黒川温泉の再生に捧げ、再生の中心的役割を果たしながら黒川温泉旅館組合の人たちとともにその風景をつくりかえていった。そのプロセスは本当に他の観光地の模範となるものです。そういう高いレベルにありますが、更に上を目指してほしい。世界の観光地に伍していくために、当面の目標としてミシュラン・グリーンガイドでの星数を3つにするために、引き続き努力してほしい。そこで大変おこがましいのですが私なりの施策を述べます。レベル差はありますが、大きく4つの項目に整理しました。

 

黒川温泉を世界ブランドの観光地へ

 

1.これまでの景観対策を踏襲し、更にそれを徹底する

   さて、それでは順番で説明していきましょう。最初に「これまでの景観対策を踏襲し、更にそれを徹底する」です。私は日本の観光地がインターナショナルで伍していくためには、景観を中心に〝日本らしさ〟をより徹底することだと思います。現状の日本の温泉地は、収容人数を向上させるためにマンションのような箱型ビルにしてしまっているところが多くあります。これでは〝日本らしさ〟を打ちだすことが極めて難しい。従って日本の温泉地の多くは〝日本らしさ〟を打ち出せず、ミシュラン・グリーンガイドでも名前さえ紹介されていないところがほとんどです。その点、黒川温泉は後藤哲也さんがそのことに早くから気づき、箱型の旅館・ホテルの建設を直接、間接に阻止してきました。そして、1986年より旅館組合として県の補助金を活用し、後藤哲也さんの経験に基づく植樹のノウハウをフルに活かして雑木林風にさまざまな種類の木を植えていき、以降毎年続けてきている。1日で1000万円近くの木々を植えた年もあったという。個々の旅館も独自に木を植え続けてきている。日本の雑木林のある風景は、その色あいの豊富さで外国では真似できない風景です。その風景の範囲を更に広げ、徹底すれば極めて大きな強みとなります。そう、インターナショナルな観光地に伍していくための強力な武器です。他の観光地が真似しようと始めても20年、30年かかってしまいます。私は黒川温泉が持つこの強みを更に活かし徹底してほしいと思う。今後黒川温泉は海外からのお客様の利用増も見込み、一泊だけの利用でなく、連泊して日中は黒川温泉周辺の散策範囲を広げて十分楽しめる場所にしてほしいと思っています。そんな構想を持って雑木林風に植樹する範囲を毎年広げていってほしい。欲を言えば黒川温泉周辺を散策したとき遠方に見える杉林も将来雑木林に変えていってほしい。そうなったなら決して他の観光地の追随を許さないでしょう。

   それから景観問題でいえば、もう一つが建物の景観問題です。こちらも雑木林同様にそして雑木林と一体となった景観で〝絵になる風景〟を更に洗練していってほしい。どの方向を見ても構図として写真を撮りたくなる風景であることを判断基準として、変えられるところから変えていくとです。こちらも後藤哲也さんが飛騨高山など全国の優れた〝和〟の景観から学び、取り入れて造ってきた旅館の景観づくりの流れを踏襲し、より徹底してほしい。総じて3階建以上の大きな旅館の場合、〝和〟の景観に仕上げることが難しいでしょう。黒川温泉の現状でもその部分が全体の景観の仕上げという点で苦戦している感じがします。できれば外壁を他の建物と調和した色の板張りにするなど工夫が必要かと思います。ただし大変コストがかかってしまいますが。それから雑木林でしっかり周りを囲うことです。また、先程も言いましたが黒川温泉に連泊して日中も楽しめるよう、雑木林と田舎の民家風建物の組み合わせで散策範囲を広げていってほしい。旅館以外の全ての建物を旅行者に〝見せる〟という視点で見直していくことです。しかし、建物に関しては個人の負担による部分がほとんどで、組合としてそれを強制できないだけに他の観光地で同じことを言っても無理でしょう。しかし、黒川温泉では、数10年の街の改革と革新を通して住民の意識は変わってきていると思います。そこに期待します。インターナショナルで通用するブランドに仕上げるためです。そう、「地域全体が一つの旅館。道は廊下、各旅館は部屋」の黒川温泉将来ビジョンに向けた確かな歩みを更にすすめることです。

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2.インターナショナルの観光地としてそれにふさわしい人材を育成する

   一つの旅館の評価、ひいては一つの観光地の評価は、温泉地の場合でみると旅館周辺の癒される景観、快適な館内施設と快適で良質の温泉(露天風呂など含む)、特徴があり感動と味を堪能できる食事、日中十分楽しめる空間があること、そしてそれをコーディネートする人の質で決まります。人以外のところでどんなに優れていてもそこで働くスタッフの皆さんの力がそれにふさわしいものでないと全体の評価は上がりません。そのためそこで働く全ての人の力量を高める努力が不可欠です。そして、ここでもインターナショナルで伍していけるスタッフの確保が必要です。旅館組合と各旅館のオーナー、女将さんは人材の力量を高めることを重要な課題と位置づけて取り組む必要があります。

   さて、そこでもう一度現状認識からです。前回の投稿では、日本のレストラン、旅館などのサービス、〝おもてなし〟は、日本人自身は最高だと思っているだけで、実際日本のそれらを利用した外国人の評価は高くないことをデービッド・アトキンソンさんが「新・観光立国論

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」の中で書いていることを紹介しました。そう書いても日本にいてはなかなかアトキンソンさんの指摘を実感できないでしょう。できれば海外に実際に行って現地のレストランを実際利用してみて、そこでのサービスを自分で体験し、確認することです。それを旅館組合が企画して取り組むようにする。海外の優れたホテル、レストラン、観光地の視察を企画し、毎年数人づつ送る。組合負担と一部本人負担で。まず今後を担う若旦那、若女将が。もちろんオーナー、女将も率先して行ってもらう。とにかく旅館のサービスレベルは、オーナー、女将の問題意識のレベルで決まるからです。物見遊山ではだめです。学んだことと今後に生かすことを報告書にして組合に提出し、公開します。やはり専門のコーディネーター(コンサルタント)は必要でしょう。行くに当たっては、こちらの意図をしっかり伝え、十分な調整をした上で企画し、参加者の事前学習を経て同行してもらいます。

   私の事例ですが日本と違うサービスの事例をお話しします。私は今は日本の観光への関心から伊勢神宮内宮前近くの土産品販売の店で働いていますが、以前はコープ(生協)が職場でした。そのときにアメリカのスーパー、ディスカウントストアなど、アメリカ流通事情視察で3回、新婚旅行でアメリカ西海岸に1回、コープの会員の皆さんの事務局を担い、ニューヨークの国連で行われた第3軍縮軍縮総会(SSDIII)という大変難しい会議への参加で1回、アメリカへは計5回行きました。その他に現在の職場の旅行でスイス、ドイツ、オーストリアなどヨーロッパに1回行きました。その中でも特に30年近く前の国連軍縮総会終了後、日本への帰途サンフランシスコに立ち寄り、会員の皆さん10人位でフィッシャーマンズワーフにある魚介類レストラン(イタリア料理)のスコマという店を利用した時のことが印象的でした。

                       〈スコマ(Scoma's)〉

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                         〈※写真 4travel.jp〉

レストランのグレードとしては、価格的にも標準よりやや高めの店といった感じですが、庶民的な感じもあり気軽に入れる雰囲気です。会員の皆さんと少しリッチにロブスターなどのメインディッシュと前菜、そしてワインを注文します。前菜のサラダには他のレストラン同様ドレッシングを3種類持って来て担当のスタッフ(担当するエリアがあって最後まで同じ人が対応する)が、ていねいに説明を始める。もちろん英語なので内容はさっぱりわからない。一通り説明が終わって最後に「私はこれをおすすめします」という。もちろんこれも英語なのですが、口調、身振りではっきりわかる。当然ドレッシングを迷わず選べる。日本でも真似てドレッシングを何種類か用意し説明する所はあるが、「私はこれをおすすめします」とは言わない。それからアトキンソンさんが「新観光立国論」の中で日本と外国との違いでレストランで「すいません」などの言葉をかけてスタッフを呼ぶのは欧州では失格であると紹介されていましたが、この店はアメリカの店ですが確かにスタッフの方に顔を向けるとすぐ近寄ってきて、「何かご用ですか」と聞く。スタッフ同士でおしゃべりなどしていない。まさに全神経を客である私たちの方に向けているのが分かる。30年近く前のことを何故こんなに具体的に覚えているのかというと、実は客である私の方が恥ずかしい行為をしてしまったからです。食事を終わって会計をするときです。グループの事務局として私がまとめて支払いをしました。10人分で確か日本円に換算して6〜7万円くらいだったと思います。全行程の最後で残りの財布の中もやや寂しい。レストランでのチップは食事金額の1割くらいからといわれていたが、全体の金額が大きいので1割の半分位からでもいいだろうとチップをスタッフに渡した。そしたらはっきりと〝ノー〟と言われた。「ばかにしないでくれ。私はそんなレベルのサービスをしていないはずだ!」とスタッフの目が言っている。慌てて「アイム・ソーリー」と言ってチップ追加しました。そんなみっともないやりとりがあったので良く覚えているのです。しかし、今改めてそのときの事を振りかえってみると、あの真剣で気魄がこもり、しかも自信に満ち、誇りを持った(と私は感じた)レストランスタッフを日本で見たことがない。そんな経験を踏まえて考えると〝日本はレストランなどすべてでチップがないから良い〟という日本の中で言われていることに疑問を持っている。アトキンソンさんも本の中で、日本のレストランの利用料金は、メニュー価格そのものにチップに当たるサービス料込みになってていて、結局欧米のチップを含めた利用料金とほぼ同じだと言っている。だとしたらスタッフのサービスの質はどちらが高いのかということです。ぜひ自分の目で確かめてみて下さい。アメリカなど海外のレストランなどで働くスタッフは、固定給は大変低い。あとは仕事の中で自分が提供するサービスを評価してもらい、それをチップという形で稼ぐ訳だ。当然提供するサービスのレベルで個人差がでる。合理的で明快です。競争意識もありクォリティの高いサービスを生み出している。日本の場合労働法の問題だけでなく、日本人自身の横並び思考がネックとなってチップ方式はやりたくてもできませんが。できなくても世界のスタンダードのサービスレベルを知るのです。そのインターナショナルのサービスのスタンダードレベルを知って問題意識を持つところから始めるのです。そして日本に帰ってから〝どう活かすかその組み立てを考える〟のです。それが目指す自店のスタンダードとなります。そう、接遇は直接的な数値目標化ができません。そのため目指す自店の接遇の〝状態〟を一つ一つの場面ではっきりさせ、それによって個別の事例に一つ一つ対応していき、更にそこから学んで改善し続けるのです。もちろん欧米でもチップのいらないファーストフードの店は、本家ですからたくさんあります。また特にアメリカ西海岸など日本食レストランがたくさんあります。「行くな」とは言いませんが、やはりメインはチップを支払う向こうの普通のレストランです。それから日本人のグループで行くとかなりの人が「こっち(アメリカ)の料理は大味で口に合わない」「やっぱり日本食が一番だよな」と言いだす。確かに普通のレストランはステーキなど大味なところはある。アメリカ人も日本の和牛の旨さを知るようになり認めている。それから単品の量が多い。良くメインディッシュの付け合せで出てくるポテトフライなど、それだけで腹一杯になってしまうような量です。だから可能な店なら単品でメインディッシュと前菜をメンバーが種類を変えて頼み、取り皿を頼むのです。それとレストランの雰囲気、メニューとその味、スタッフのサービスレベルを見る訳ですから、普通よりワンランク上のレストランを利用してみましょう。先ほど紹介したスコマもいいですし、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフはほとんど魚介類のメニューが中心で、総じて日本人に向いているでしょう。それからロスアンゼルスならビバリーヒルズ周辺の洒落たレストランがおすすめです。私は今でもビバリーヒルズのレストラン〝ローリーズ・ザ・プライムリブ〟のローストビーフの味が忘れられません。

 〈ローリーズ・ザ・プライムリブ店内と外観〉

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〈客のテーブルの前で肉をカットする。(写真左下)カットしたローストビーフ (その右 待ち時間の間利用できるバー〉

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          〈※写真上下  トリップ・アドバイザー〉

  「なんか高級そう!」って?そう、アメリカのセレブも来る店です。スーツでなくてもジャケットとネクタイ、スラックスは必要です(女性もそれに準じて)。Tシャツ、Gパン、スニーカーでは一人浮いてしまいます。というか周りから軽蔑の眼差しの集中攻撃を受けてしまいます。あるいはその前に入店を断られるかもしれません。海外旅行でパックのツアー旅行で決められた食事だけならネクタイもジャケットもいらないでしょう。また、日本からの荷物を出来るだけ少なくしたい気持ちも分かりますが、短い海外旅行でも現地のライフスタイルの一端を知る上でチャンスです。彼らはT・P・O(時・場所・目的)で見事に変身します。これが日中Tシャツ、短パンで闊歩していた同じ人かと目を疑うほどドレスアップして現れ、その格好良さに圧倒されます。せっかく海外に行くならいっときでも現地の人になったつもりで楽しんでみましょう。ツアーでも夕食がオプションになっていたらその日に仲間と一緒に行くのです。ホテルでタクシーを頼めば安心です。帰りもレストランで「タクシー・プリーズ!」で大丈夫。ただし、帰るホテルの名前を忘れてしまっては困りますが。

   ローリーズの話に戻りますが、やはりこの店のローストビーフの味に感激した日本人がいて、横浜市関内駅近くの馬車道通りにローリーと同じローストビーフの味の店を出し、私も何回か行きました。残念ですが今同じ場所にはありません。私は行ったことはありませんが、調べたら日本にも東京と大阪にローリーズの支店があります。ただ、インターネットの写真を見ると店の雰囲気はかなり違います。やっぱりアメリカの本家の方が内装など重厚な感じがします。それからアメリカのこのクラスのレストランでは、「満席で1時間待ちです」と言われても諦めてはいけません。待ち合いの部屋があり、ドリンクなどは待ち時間に注文でき、お酒を飲みながら仲間と楽しく語らいながら待つことができます。そうしたサービスをも体験してみるのです。そう、日本にいるときの行動パターンでなく、アメリカに行ったら少しリッチなアメリカ人になったつもりで、レストランでのすべてを楽しむのです。海外、特にアメリカのことを書き出したらそれだけで数万字を超えてしまうので、それはまた別の機会にしてこの辺にしておきます。

   さて、従業員スタッフの育成を考えるとき、この業界、職場に入れば、将来に〝展望が持てる〟という状況を作っていくことが必要です。その展望とは、一つは〝働き甲斐〟で、「この仕事で一生頑張って働き、自分自身の成長と会社(旅館)とその観光地のために貢献してしてみよう」と思ってもらうことで、そのためにはその観光地、会社(旅館)が〝将来ビジョン〟と〝志(経営と社会貢献の姿勢)〟を明確にすることです。「現状はこうだが、将来はこうしたい。そんな将来のために君たちの力を借りたい」というビジョンをトップが熱く語れるかです。若者は就職しても今の仕事を一生続けるべきかで悩んでいる。今の目の前の仕事に追われるのみで将来ビジョンの話など聞いたことがない。これでは若者が悩んで当然です。そう、トップが将来ビジョンを熱く語れないことが大きな原因なのです。

   ただ多くの観光地、温泉地でお客様の集客がジリ貧になる一方で「何をどうしていいか分らない。だから当面の課題を一生懸命やることしか出来ない」というトップも多いでしょう。日本の多くの観光地に、その現地に行ってみればその困難さは分かります。時とともにお客様の意識は変わっていく。そういう変化をつかみ対応していかなければなりません。今から40年50年前の日本は高度成長時代。日本経済のパイそのものが拡大していった時代で、企業業績が右肩上がりでサラリーマンの年収は黙っていても毎年上がっていく。そしてその時代の代表的な企業の福利厚生は〝運動会〟と〝社員旅行〟で、どの企業も競うように行った。とりわけ首都圏に近い温泉地の熱海などは人気が集中した。そしてその需要に応えるために投資してホテル型に旅館を造り変えていった。そしてバブルの終焉とともに利用者の急減が始まる。現状の利用者はピーク時の3分の1以下、4分の1以下になってしまった。全国の温泉地の多くが似たような状況です。バブル直後は、「なんとか数年我慢すれば元に戻るはずだ」と思ってみんな耐えてきたと思う。しかし、30年近く待っても一向に戻る気配はない。そう、もういくら待っても元には戻らないのです。世の中のお客様のニーズが完全に変わってしまった。会社などの一泊の社員旅行は人気がなくなってしまった。この現状をしっかり受け止めなければなりません。

   同じようにバブルの終焉とともに衰退していった日本のレジャー産業があります。海水浴場とスキー場です。日本では海水浴は夏の代表的なレジャーでした。私のいた神奈川県は、湘南海岸や三浦半島の海岸は海水浴のメッカでした。ピークには東京などから多くの人が訪れます。当然海岸近くに行くと大渋滞が発生します。東京を家族と朝早く出て神奈川県の湘南海岸に向かう。海岸の近く20キロメートルから渋滞が始まり、1時間走ってもやっと10キロ。海岸近くに着いても車を止める駐車場探しが大変。やっと車を止めて海岸に着いたのは11時。人が多く、芋洗い状態の海岸でしばらく楽しみ(?)、帰りも渋滞があるので早めの帰り仕度をして15時には現地を出発する。家にたどり着いたのは19時近かった。これが代表的な海水浴のパターンです。はっきり言ってこれは発展途上国のレジャーです。先進国でこんなレジャーはありえません。例えばアメリカのマイアミビーチを見てほしい。海岸に沿ってシャレた高層のリゾートホテルが何棟も並び、そのホテルを連泊で利用し、ホテルから目の前が海岸なので、水着のまま海岸にいける。金髪の白人女性が砂浜に寝そべっている。絵になる風景といっていい。

〈マイアミビーチのホテル群 ホテルの前が海〉

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                      〈⬆︎写真  RETRIP他〉

ところがこの白人女性に「日本の湘南海岸で同じように楽しんでほしい」と頼んでも、即座に「ノー」と言われるでしょう。海岸の近くにイケたホテルや施設がないからです。施設といえば時代的役割を終えたような海の家があるだけ。シャワーと脱衣場所も貧弱。それで何十キロも離れたホテルまで移動するなんて考えられないということです。タイのプーケットが外国から人気があるのは、海の近くに立派なホテルと飲食を含め、夜も十分楽しめる施設が充実しているからです。

   日本の海水浴場は、ここ20年で利用者が4分の1にまで激減しているという。それで現地の人は、もう一度利用者を増やそうと一生懸命です。でもそれは諦めた方がいいでしょう。日本人の意識も「あんなに苦痛な思いをしてまで海に行きたくない」と思うのは至極当然です。これまでの日本の海水浴というレジャーは世界のスタンダードからみればとてもレジャーと言えないのです。日本の海水浴場で世界から人を呼べるようなところは一つもありません。確かにミシュラン・グリーンガイドで沖縄石垣島の川平湾のように星3つの評価のところもありますが、開発が進んでいないので素晴らしい景観が残っている、という自然遺産的なニュアンスが強いと思います。日本の海水浴場が世界レベルで伍していくということは諦めるべきです。それぞれがローカルの海水浴場として存続すべきです。地元の人が徒歩かせいぜい自転車で来れる範囲の人を対象にするのです。「それでは食っていけないじゃないか」って?そう、日本の海水浴場は大転換を迫られています。潔く諦めるか、江ノ島を抱える湘南海岸なら富士山が世界文化遺産になったように葛飾北斎富嶽三十六景で描かれた風景の場所ということで、景観を全面的に見直して(今のままではダメです。ミシュランのグリーンガイドで江ノ島のことは紹介されていますが、星印無しです。でも現状ではやむをえません。)新しい湘南海岸につくり変えていく必要があります。このことは改めて触れたいと思います。

   海水浴場と同様に衰退してしまったのがスキー場です。やはり日本の高度経済成長時代、若者を中心に夜行日帰り、夜行1泊2日のハードスケジュールのスキー客が全盛でした。電車の自由席は、座れないスキー客で身動き出来ないような状態でも、みんな我も我もとスキー場に向かいました。しかし、これも発展途上国のレジャーです。こんな状態がいつまでも続く訳がありません。ただ、ただ疲れるだけのスキーはとてもレジャーとはいえません。だから減って当然です。今迄の延長ではスキー場の将来はありません。その点、北海道のニセコなどにオーストラリアの資本が入って短期滞在型のスキー場開発をしているやり方は、今後のスキー場の方向性を示しています。

ニセコスキー場 海外から雪質を評価される.海外資本も入りアフタースキーもオシャレに〉

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              〈写真  トリップアドバイザー 他〉

   日本は、観光地、レジャー産業も顧客の意識の大きな変化の中にあります。観光地のリーダー、企業のトップはそうした変化を把握し、それに対応した戦略、方向性を決めていかなければなりません。その点、後藤哲也さんは優れた戦略家でもありました。後藤さんは、新明館の3代目として自ら一人で数年かけて洞窟風呂をつくったり、裏山をツツジやいろんな庭木を植えて宿泊者に喜ばれるよう日々努力する一方、大変研究熱心なところがありました。全国の人気のある観光地、景観の優れた地域を訪れ学び続けたのです。とりわけ京都は毎年訪れ、優れた同じ場所に学び続けます。そう、結果的に定期定点観測をしていたことになります。その中で後藤さんは、ある重要なことに気づきます。「京都に行き始めた頃は、剪定された松など、整然とした庭木と池のある日本庭園などが人気があったが、ジワジワと減っていくのが分かった。逆に、自然の木が植わっていて岩には苔が生えている、そんな庭を持つ寺院の方に人が集まり始めた。そこで女性の観光客が自然の雑木を見て『わー、すごい』と感動の言葉を出している。最初はその現象が何故起こっているのか分からなかったが、やがて自分なりの結論にたどり着く。剪定されたマツのある日本庭園は〝人口的〟そのものです。しかし、ストレスを持つ現在の人は、そこに〝癒し〟を感じなくなった。ありのままの自然の姿を求めるようになった。」今後の目指す方向を明確に捉えたのです。それと日本の他の温泉地と違って高度経済成長時代の旅館、ホテルのビル化と無縁だったことが幸いしました。癒しにつながる自然、雑木林を彼一流の経験に基づくノウハウによって植樹で広げていき、そして、飛騨高山の優れた古民家などから学んだことをふんだんに旅館の改修に取り入れ、黒川温泉の風景を一変させていったのです。黒川温泉にとって今もこの戦略は生きています。この戦略を更に突き詰め、徹底していくのです。黒川温泉組合の組合長や各旅館のオーナーは、これからを担う若いスタッフにこう熱く語るべきです。「黒川温泉は、世界の人々に愛され、利用され、尊敬される世界ブランドの温泉地を目指します。そして、当面の目標としてミシュラン・グリーンガイドの評価で星3つを目指します。」と。

   話しが広がりすぎて本論を忘れそうです。今まだ〝人材育成〟の話しです。これからを担う若いスタッフに、トップは熱くビジョンを語りなさい、と言いました。それからスタッフの人材育成で大切なことがあります。ビジョンと志の他に経済的にスタッフが安心して働ける状態をつくることです。そうでないと優秀な人材が黒川温泉に残ってくれません。黒川温泉でしっかり働けば、将来結婚して家庭を持ち、子供も安心して大学まで行かせられる。そうした展望が見えれば余計な心配事がなくなり、「よし、がんばろう!」という気になれます。ところが実態はどうでしょうか。ここに2016年3月15日付のインターネット ライブドア・ニュース「40代の業種別の平均年収ランキング…」として、2013年国税庁の「民間給与実態統計調査」の統計と「年収ラボ」が行った分析データを元に40代の業種別平均年収が紹介されました。まず、国税庁民間給与実態統計調査」で40代の全体の平均年収を見てみましょう。

       ●40〜44歳        459万

                                 男  568万

                                 女  290万

      ●45〜49歳         491万

                                 男   638万

                                 女    292万

   男と女で大きな差があるのに驚きますが、それは今回のテーマとの関係で特に考察をしません。問題は、下記の40代の業種別平均年収です。

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    「宿泊業・飲食サービス業」が14の業種別で最下位で、それも極端に低い。最初数字の間違いではないかと思い、国税庁の「民間給与実態統計調査」をインターネットで見ることができるので自分で調べてみたが、やっぱり間違いない。それに企業規模(資本金額で分類)で見ても大きな差はない。最初個人経営の人のサンプルが多いからだろうと思ったが、そうではなさそうです。一度税務署の人にこのデータについて聞いてみたいと思うが、いずれにしてもこの業界の平均年収が低いのが分かる。これでは優秀な人材は入ってこないだろうし、入ったとしても将来の経済的な展望が描けず、辞めてしまうでしょう。40代といえば「子供が高校生、中学生の二人です。」という家族構成が一般的になります。高校生が高校三年になり、大学に行くことになれば、入学金と初年度授業料だけで国立で80万円、私立で115万円、私立理系なら150万円、地方から出て東京で下宿することになれば更に大変になります。一人大学を卒業させるのに1000万円はかかるといわれています。中学、高校で塾に行かせる出費もばかになりません。これを本人負担でというのは無理でしょう。奨学金をもらっても大学にほとんど行かず、バイトにほとんど明け暮れる日々となります。従って「宿泊業・飲食サービス業」に勤務する人の大半は、子供を東京の大学に行かせられないということになっています。これではいつまでも優秀な人材が入ってこず、また定着してくれません。少なくても世の中の平均的な水準は給与として支払う必要があります。それは40代の男で税込み年収約600万円です(日本はまだ年収の男女差がありすぎですが、それについてはまた別の機会にふれます)。そう言っても大半の温泉地の旅館では、「とてもそんなに給与として支払うほど稼いでいない。そんなに人件費をかけたら旅館が潰れてしまう」というでしょう。そう思います。いわゆる世の中の時流、トレンドに完全に乗り遅れてしまっているので、企業の売上に当たるところが確保できていないからです。時流に乗るための努力、大転換を一旅館だけでなく、温泉地全体として取り組む必要があります。しかし、財務含め体力にその余力が残っていればの話しですが。その点黒川温泉は今この業界では数少ない〝時流に乗ることができた温泉地〟です。これからも改革をすすめ、世の中の時流に乗り続ける努力はもちろん必要ですが。ところで黒川温泉では従業員の人件費は、自分の業界平均ではなく、全業界平均は上回っているのでしょうか。現状は黒川温泉といえども中々難しいのではないでしょうか。この業界の問題として労働生産性の低さがあり、その改善が不可欠です。

   労働生産性の問題を外国との比較で見てみましょう。経済産業省が毎年出している「通商白書」の2013(HTML版)から見てみましょう。まず国別の全産業の労働生産性比較です。

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   国別労働生産性比較では、付加価値高(GDP)/総投下労働時間=国民一人1時間当たりの付加価値高で表わされますが、上のグラフを見ると日本は韓国より上ですが、欧米先進国より下まわっています。これをアメリカとの比較で産業別で比較します。

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    労働生産性を製造業て比較すると電気機器で大きく下まわっていますが、他産業ではほとんど見劣りしません。ところが、下のグラフの非製造業になると大きく差がつきます。

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   とりわけ「飲食・宿泊」が大きく下まわっています。企業規模の違いも大きいと思いますが、仕事の仕方も大きな差があると言わざるを得ません。これはこれで詳細な分析が必要です。業界関係者はアメリカなど欧米諸国となぜこれほど違うのかしっかり現状把握する必要があるでしょう。私はこの業界のことは分かりませんが、前の職場の関係て3回ほどアメリカ流通視察に行ってアメリカと日本の違いを強く感じた点があります。

   一つは「標準化」という考え方が徹底している点です。例えば日本のスーパーの場合、出店するときは一つ一つその敷地に合わせ、建物の設計図面作成、確定したらゼネコンが入って建築資材確保に動きます。しかし、アメリカの大手スーパー、ディスカウントストアでは、年間数十店舗を出店するのが普通ですが、すべての建物を全く同じ構造で出店します。そして建築資材を数十店舗分まとめて発注し、ストックします。従って建築コストは日本の5分の1位です。今日本でもセブンイレブンなど、年間1000店舗も出店するところでは同じ方式で資材の製造をまとめてやっていますが、スーパーやディスカウントストアなど、少し大型になると部分的にあっても基本的にすべて個店対応です。とにかくアメリカは発想が徹底して合理的です。日本の「とにかく当面の仕事を一生懸命頑張る」ではなく、アメリカは仕事の組み立てが「いかに合理的に楽にできるか」です。日本との違いに度肝を抜かれることが多々あります。例えばアメリカの大半のスーパー、ディスカウントストアでは(一部ダウンタウンの店舗を除く)トラックの大型車10トンロングまたはトレーラー車がほぼすべての店舗の搬入スペースに納車できます。世界売上NO.1のディスカウントストア「ウォルマート(世界の売上高約50兆円で、全トヨタの2倍)」は、コンテナを積んだトレーラーが店舗搬入スペースに納車する。するとトラックは荷物を下ろすことなく、なんとコンテナを切り離してしまう。そして既に空になったコンテナを牽引して店舗から短時間で出ていってしまう。店舗では空いた時間にゆっくりコンテナから下ろせる。アメリカは技術革新がIT産業だけではない。物流のシステムから小売業の店舗作業まで日々革新している。日本からアメリカに視察に行っても「すごなー。でも日本とは余りに条件が違いすぎて参考にならないなー」で終わってしまう可能性が大いにあります。それではいつまでたってもアメリカとの差は縮まらない。店舗作業の標準化も徹底している。作業マニュアルが具体的で詳細です。作業者はマニュアルに沿った原則的な動きをします。30年前のアメリカ視察で夜間の商品補充作業を視察しました(当時からほとんどの大手スーパーが24時間営業で、商品補充は夜間行っていた)。するとほぼ例外なく商品を腰の高さの置くと両手を使って補充作業をしています。ややベテランになるとリズミカルにちょっと踊っているように両手で作業していました。こんなに早く作業を行うのを日本で見たことがありません。

   もう一つは労働密度が濃いということです。意外に思うでしょう。私もアメリカに行くまでは日本の勤勉さにはかなわないだろうと思ってました。確かに残業も厭わないで長時間働くという点では日本が上でしょう。しかし、与えられた時間内で、与えられた作業をこなす点ではアメリカが勝っていると思います。確かにアメリカでも個人経営の店などでやる気のないような店もあります。しかし、アメリカのスーパー、ディスカウントストアを視察した範囲ではありますが、仕事、作業の集中レベルはアメリカが勝っていると思いました。また、これもアメリカのスーパーの夜間作業のことです。日中の従業員スタッフと違い、夜間は商品補充作業がメインなので服装はTシャツにジーンズ、スニーカーの格好です。商品補充作業をする作業者の中に一人携帯用発注端末機(30年前に既に使っていた)を持って発注作業をする人がいます。その格好にまず目がいきました。ジーンズの上からバレーボールの選手が使うようなひざを守るひざあてサポーターをつけています。しばらく見ていると、順番に商品棚の在庫を確認しながら発注をしています。棚の下段になると片ひざをついた姿勢になります。そこでその棚の発注が終わると隣りの商品棚に移ります。が驚いたことに立つことなく、片ひざをついたままの姿勢で、足のつま先のスナップをきかせて体を横移動(すべらせる)するのです。もちろんそのためだけのひざあてサポーターではないでしょう。商品棚の下段の補充作業などどうしてもひざをつくことが多くなります。そのための保護用ですが、少し熟練するとそんなレベルになります。それから夜間作業者は10人程度いましたが、視察した約1時間の間で、手をやすめおしゃべりなど一人もいません。多くの人が汗をにじませ作業に集中しています。この作業における集中力は少なくとも非製造業分野では日本はアメリカに負けていると思います。そうした差は「飲食・宿泊」業にも必ずあります。そうした違い、差を無視してアメリカ並みの収入を得ることなどできるわけがありません。

   では、どうするか。確かにアメリカと日本の条件が違います。国土の約7割が平地のアメリカと7割が山間部になる日本とでは道路などのインフラの整備や宅地や商業地などほとんど方形(正方形か長方形)で確保できるアメリカとは違う苦労があります。でも与えられた条件の中で改革と改善をすすめるしかありません。それをすすめてきたのが後藤哲也さんです。これからも後藤哲也さんの意思を受け継いで世の中の時流に乗り続けられるよう日々改善・改革をすすめる必要があります。そこで一つ提案です。日本のトヨタ自動車は、世界トップの品質管理と労働生産性を誇ります。そして他のいろいろな業界で「トヨタに学ぼう」ということで学ぶようになっています。そこで「株式会社カイゼン・マイスター」を紹介します。と言って面識があるわけではありません。ただ会社設立の趣旨が素晴らしいのです。2007年にトヨタ自動車とその関連会社を定年退職した社員が集まり、「お返しの人生」を社是としてトヨタで学んだことを他の産業にも広めよう、「中小企業のよき相談相手」になろう、という志を持って会社を設立しています。その改善支援は、製造業の他に地方銀行や病院、大学、農林水産業まで及んでいます。「製造業のトヨタ経験者に旅館のことが分かるわけがない」なんて思ってはいけません。あらゆる仕事は共通する部分があります。分からないところは現地で見て学んで考察する力があります(面識はないので正確には、本を読む限り「考察する力がある」と推定される)。日本にトヨタ生産方式という世界トップレベルの仕事を行っている企業が既にあるのです。ここに学ばない手はありません。多くの企業がトヨタに学ばないのは、「おじけづいている」か「志が低い」、多くはその両方でしょう。とにかく一人当たりの労働生産性を上げないことには、40代年収600万円などとても無理です。もちろんいくら指導してもらったからといって、直ぐにそこまで数値を上げることなどできません。従業員一人一人が先月の一人1時間当たりの付加価値高(労働生産性)を◯◯円と把握し、先月の問題点も一緒に考察に関わっているので把握している。そしてもちろん問題点の対策立案で出された今月の重点課題を◯項目を把握し、日々チェックリストに沿い、問題意識を持って仕事をすすめている。そういう状態を早くつくることです。

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   なんとか黒川温泉への提言4項目はまとめて投稿したいと思っていましたが、2項目でダラダラ書きすぎて長くなりすぎました。このままでは2万字を超えてしまいます。この続きはまた「続編2」に回したいと思います。よろしくお願いします。

♨️黒川温泉にご案内します (黒川温泉シリーズ第1回)

I  will  guide  you  through  the  Kurokawa  Onsen  located  in  Kumamoto  Prefecture.


    さあ、これから皆さんを熊本県にある〝黒川温泉〟にご案内します。黒川温泉と聞いても日本に同名の温泉地がいくつかあり、どの温泉地のことだろうと思うかもしれません。今回紹介するのは、熊本県の北部に位置し、熊本駅から車で約2時間弱、大分県湯布院からは車で約1時間のところにあり、熊本県阿蘇郡南小国町満願寺というところに、田の原川を挟んで24軒の和風旅館が建ち並ぶ大変特徴を持った温泉地の黒川温泉です。

   今回黒川温泉に行くきっかけとなったのが、黒川温泉再生の中心人物〝後藤哲也さん〟が執筆した本を、6年ほど前伊勢市図書館で借りて読み感激したからです。 それは後藤さんが中心となって無名だった黒川温泉を、一流の温泉へと再生させたその手腕と行動力、そして街を日本の観光地のモデルとなるような絵になる風景に一変させたという事実です。

Tetsuya  Goto  is  Sinmei-kan  of  the  owner  was  to  regenerate  the  Kurokawa  Onsen

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   今回7月16日〜18日の日程で、家族旅行ではありますが私は初めての黒川温泉にある使命をもって行きました。それは、「すばらしい景観をもった観光地なので、一人でも多くの人に伝えたい」ということで、行く前から黒川温泉のすばらしさを確信していました。そして、初めて黒川温泉にに行ってみてその確信は間違いなかったと思いました。いや、期待以上のものでした。今回ブログ投稿を前提としていたので、家族の意向もあり家族写真は掲載していません(一部後ろ姿はあります)。純粋に黒川温泉の景観を中心に紹介します。

   では、まずは黒川温泉中心部からその景観を写真で見て見ましょう。 

 

新明館前の橋から360度見渡す

Over  looking  360  degrees  from  the  bridge  of  Sinmei-kan

   後藤哲也さんが生まれ、オーナーとしてその経営に深く関わった〝新明館〟。その前を田の原川が流れていて、新明館入口から反対側にかかる橋があります。その橋の辺りが黒川温泉のほぼ中心になります。

             〈⬇︎温泉地中央を流れる田の原川〉

                   〈⬇︎橋の上から新明館入口〉

                         Entrance  of  Shinmei-kan

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                〈⬇︎田の原川の反対側(上流)〉

                     〈⬇︎新明館と反対側〉


 川を挟んで新明館と反対側の黒川温泉の中心地

Kurokawa  Onsen  center  is  just  the  opposite  side  of  Shinmei-kan

   中心地といっても繁華街といえるほどのものはありません。旅館と旅館の狭い道を挟んでいくつかの土産屋と軽食喫茶の店があります。

 〈⬇︎写真上が午後5時半頃、下が午前9時頃〉


 

黒川温泉中心地周辺の景観

Landscape  with  around  Kurokawa  Onsen  center

   先ほどの黒川温泉中心地から周囲約300メートルを散策しました。その景観はどの角度から写真を撮っても絵になります。デカデカとした看板、のぼり旗は一つもありません。どの旅館も木の緑(秋には紅葉の色が加わる)をふんだんに使っているが、庭師が手入れしたような木は1本もなく自然です。旅館それぞれが〝和〟を基調に工夫した景観を創っています。日本でこんな経験は初めてです。感動の連続でした。写真を何枚か掲載します。

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          〈⬇︎囲炉裏とその奥に薪が積んである〉

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X   荘 (事情により宿泊施設名を出しません)

Accommodatioion  name  and  private

   私が泊まった旅館です。館内は見事に雰囲気を演出し、クオリティの高さをうかがわせます。

                    〈⬇︎館内 写真下がフロント〉 

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                〈⬇︎雰囲気のある露天風呂〉

                 Open-air  bath  with  atmosphere

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   食事内容は、皿とその配置にもこだわりがあり、クォリティの高さを感じます。

                             〈⬇︎夕食〉

                                  dinner

※夕食は、コースになっていて写真は一部です。

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                                〈⬇︎朝食〉 

                                  breakfast

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                             〈⬇︎朝食会場〉

                                breakfast  venue

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奥黒川温泉〝山みず木
Yamamizki  in  the  back  Kurokaw  Onsen

   さて、今回の旅の中でも最も感動したのが、黒川温泉中心地からやや離れた奥黒川温泉の旅館〝山みず木〟です。この旅館はあの新明館のオーナー後藤哲也さんが、約3000坪の土地に総工費約5億円をかけ、もっているノウハウを総動員して1989年に完成させたのです。本当は泊まりたかったのですが、私の事前の勉強不足で予約が取れませんでした。実は私がネットで予約したのが昨年の11月でした。その時〝山みず木〟は予約可能な旅館に紹介されていなかったので、もう「予約で一杯になってしまった」とカン違いをしてしまいました。本当は半年前、つまり今回の私の場合は1月16日以降の予約スタートだった訳です。電話1本して確認していれば予約できていたのに残念です(この7月の3連休の予約は4月初旬で満室になったとのことです)。でも、どうしてもこの目で見たかったので、フロントスタッフの方に事情を話し、館内の写真を撮らせてもらうことと露天風呂に入らせてもらいました。

 

さあ、それでは皆さん、感動の 旅館〝山みず木〟とその〝露天風呂〟に行きましょう‼︎

 Let’s  go  to  Yamamizuki  Inn  and  its  open-air  bath

旅館〝山みず木〟入口前

Yamamizuki  Inn  entrance

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館内フロントとその周辺

front  and  around

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露天風呂に向かう

It  will  head  to  the  open-air  bath

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男性用露天風呂の脱衣所

 Dressing  room  for  man    

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男性用露天風呂

 Open-air  bath  for  man

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   どうでしょうか?露天風呂に入った気分になったのではないでしょうか。たぶん皆さんはとても宿泊代が高いだろうなと思うでしょうが、実はそれほどではありません。ネットで調べれば分かりますが、宿泊タイプはAからFまで6タイプあり、3人家族で1泊2食付で一人当たり16000円からあります。いくつか紹介しましょう。        

   すべて1泊2食付で以下のようになります。

◉Aタイプ(和室10畳トイレ付 )

   3人  16000円/人(2人17000円)

◉Dタイプ(12畳和室 バス・トイレ付)

   3人  23000円/人(2人24000円)

◉Fタイプ(和洋室34畳バス・トイレ付)

   3人  30000円/人(2人45000円)

  ※B、C、Eタイプは省略します。

   私が今度黒川温泉に行くとしたらぜひとも泊まってみたい旅館です。楽天トラベルで検索すると土日祝日と平日の料金差はないようです。山みず木のすぐ近くには、姉妹館の〝深山山荘〟もあり、こちらも山みず木に負けず劣らずすばらしい旅館です。ただし、どちらも車で行く場合、山の中の狭い一本道を行くので運転初心者の方は遠慮した方がいいと思います。

 

入湯手形で洞窟風呂へ

Enter  the  cave  bath  with  bathing  bill

   さて、皆さんが〝山みず木〟に泊まったとしても黒川温泉の湯めぐりをおすすめします。今では全国の温泉地で、〝入湯手形〟で湯めぐりができる仕組みが生まれていますが、黒川温泉がそのはしりです。1300円で入湯手形を購入すると3カ所の露天風呂に入ることができます。私もこの入湯手形で、先ほど紹介した山みず木と一番最初に紹介した新明館の〝洞窟風呂〟に入ってきました。

               〈⬇︎実際に購入して使った入湯手形〉

                              bathing  bill

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   黒川温泉再生の原点ともいえる新明館の〝洞窟風呂〟(後藤哲也さんが23歳に時からノミと金槌だけで3年がかりでつくる)には行って見ましょう。もちろん私も行きました。風呂といってもちゃんとした脱衣所があるわけではなく、洞窟風呂の入口に脱衣カゴが数個あるだけです。入湯手形を使って湯めぐりできる温泉は、頭髪をシャンプーで洗ったり、体を洗ったりはできません。お湯に浸かるだけになります。体を洗うのは宿泊する旅館の風呂に入り直して行います。それなりの規模の旅館は、湯めぐり用の風呂と宿泊者専用の風呂と分かれています。

                〈⬇︎新明館の洞窟風呂(穴風呂)〉            

                       Cave  bath  in  Shinmei-kan

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   私が行った日はちょっとしたハプニングがありました。新明館の風呂は旅館内の内湯の他に五つ。露天風呂が二つ。「岩戸風呂」(男女混浴)と女性宿泊者専用の「風の湯」、ファミリーで入れる「家族風呂」、女性専用の「洞窟風呂」、男女混浴が「穴風呂」と名づけられている。ここで注意してほしい。〝男性専用〟の風呂がない。そのことを受付で聞くと、『大丈夫です。男女混浴の風呂は男性しか入りません』という。納得して穴風呂に向かう。穴風呂は一番奥の男女混浴の「岩戸風呂」の手前右側にある。歩いていると混浴の「岩戸風呂」の方からバスタオルで前だけ隠して歩いてくる女性(歳のころ40位)がいるのです。そして私のすぐ真横を通り過ぎていきます。真横といっても当然後ろ姿が目に入ってきます。後ろ姿は何も隠すものがなく、お尻が丸見えです。一瞬何が起きているのか茫然としてしまいました。やがてカップルの男女が露天風呂から穴風呂にそれぞれが少し間をおいて戻り、脱衣カゴに置いた服を着るためタオルで拭き始めているのが分かりました。穴風呂に入るためには、当然同じ脱衣カゴのところに行って、服を脱ぎ裸になる必要があります。天下一小心者の私はとてもそんなことはできません。おそらくこんな場面ではほとんどの男性がしりごみしてしまうでしょう。仕方ないので少し戻って休憩場所でカップルが着替え終わって出るのを確認してか風呂に入りました。なんか今でもあの女性の後ろ姿が脳裏に焼きついてしまっています。ただ皆さん、こんな場面がまたあるとは思ってはいけません。もうこんなケースはないでしょう。もちろん、旅は、さまざまな出来事があります。また違った素敵な出逢いがきっとあるでしょう。

 

露天(穴)風呂の後は生ビールが飲める素敵な店に行こう!

   新明館の露天風呂に入ったら、今度は新明館前の橋を渡ってすぐ右側に湯音(ゆのん)というお店があります。ジャージー牛乳&地元産品専門店ですが、湯あがりにカウンターで生ビールを飲むことができます。アルコールがダメな方は、ソフトクリームかソフトドリンクでどうぞ。熊本名物の馬肉を使った里いも馬肉コロッケや馬肉メンチカツもあり、その場で揚げたてを食べることができます。店内に入ると笑顔が素敵な美人スタッフとイケメンスタッフ君が迎えてくれます。

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 〈昨年リニューアルしたばかりの綺麗な店内〉

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                   〈⬇︎湯音のスタッフの皆さん〉

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    スタッフの皆さんから素敵な笑顔で接してもらえると時間はたちまち〝夢の世界〟へと変わります。そう、気分は最高です。湯あがりで湯音に行ったのが夕方5時半過ぎで閉店が6時。旅館の食事時間が近いというのに生ビールをお代わりしたのはもちろんです。湯音に行って今度の私の旅の物語は完成です。「今度伊勢に行きます」というスタッフの方の言葉を信じて伊勢で待ってま〜す。62歳、〝しょうもないお父さんだ〟と笑う人は笑うがいい。ここで好きな「ニーチェの言葉」の一節を紹介しよう!

〝喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう〟

 

黒川温泉からの帰路

   行きは熊本駅からレンタカーで、草原の中を通るミルクロードという道を走行して黒川温泉に行きました。梅雨明け前の直前ということもあり、少し標高の高いミルクロードに入ると霧が襲ってきました。ひどい時は視界が10メートルほどしかなく、時速10キロメートル程度の徐行で、恐怖を感じながら走行しました。通常1時間50分の行程が1時間以上も余計にかかってしまいました。

   帰りは前日梅雨明けし、晴天が私たちを送ってくれました。帰りのミルクロードに入ると、行きでは霧で見れなかった驚きの光景が目に入ってきました。阿蘇の山と麓からの広大な草原です。思わず車を止めて見入ってしまいました。

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    皆さんが、ミルクロードを通って黒川温泉に行くとき、このすばらしい光景が迎えてくれるでしょう。

 

 さあ、黒川温泉へ行こう!

Let’s  go  Kurokawa  Onsen

   皆さん、どうですか?黒川温泉に行って見たくなりましたか?〝行きたい〟と思ったならぜひ黒川温泉へ行きましょう。黒川温泉に行って、すばらしい風景の中に自分を置き、クォリティの高い食事を味わい、素敵な人との出会いとふれあいで〝自分の物語〟をつくりましょう。もちろん、関東や東海地区から黒川温泉に行くなら二泊で一人あたり交通費含め10万円近いお金がかかってしまうので、〝気軽に行く〟というわけにはいかないでしょう。意志を持ってお金を貯めることが必要になります。黒川温泉は、旅行会社の企画する格安ツアーのコースには入っていません。以前旅行会社が立ち寄りで湯めぐりができるツアーコースを組んでいたのですが、宿泊している人から「騒がしくて落ちついて風呂に入れなくなった」とクレームがあり、そうした格安ツアーの受け入れを止めてしまったそうです。そんな経過があり、逆にだからこそ黒川温泉は落ちついた雰囲気の中で湯めぐりをしたり、ゆったりと時間を過ごすことができるのです。

   それから一般的な観光地のイメージと違うのでご注意下さい。まず小さい子どもさんが遊んだり喜びそうなところは、車で1時間くらいのところにある湯布院などと違ってほとんどありません。それと黒川温泉の土産ものを売る店は夕方6時には締まります。それ以降で店でやっているのは、酒が飲めるスナック的な店が2軒ほどあるだけです。私もそのうちの一軒に行ってみました。店内は綺麗で感じのいい店でした。ただ一般的なスナックなどと違うのは、今あまりに当たり前のカラオケがないのです。だから落ちついた雰囲気の中で家族とあるいは友達と語りながら飲み、時を過ごすことができます。そう、団体で来て宴会でカラオケで盛り上がり、大騒ぎするところはありません。だから黒川温泉は普通の観光地の旅館街とは違います。黒川温泉は大人が楽しむところです。そして、夫婦と、そして家族と、あるいは友達とゆっくり温泉につかり、そこにある自然とその自然の中に調和した温泉街の風景の中に身を置くことで気持ちをリフレッシュし、その風景に、そこで働く人たちの営みに感動し、これから生きていく上の活力をもらうことができます。そうです。黒川温泉に行くということは、これまでの観光地、温泉地の楽しみ方とはまったく異なる楽しみ方を要求されます。これが本当の旅の楽しみ方だと私は思います。しかし、温泉地の旅の楽しみ方については当然いろいろな考え方があって私の考えを押しつけるわけにはいきませんが。

 

黒川温泉の皆さまへ

   黒川温泉で働く皆さん、二泊三日の旅でしだが、私たちに〝たくさんの感動〟をくださりありがとうございました。今、この感動をより多くの方に知ってほしいと思っています。 その第一弾がこのブログでの紹介です。できれば私が本で読んで感動し、黒川温泉にくるきっかけとなった〝後藤哲也さん〟のことも、もっと詳しく紹介したいと思っています。

   ここで、誠に失礼ではありますが、黒川温泉で働く皆さまに意見と要望を申し上げたいと思います。全体としては、〝すばらしい旅〟でした。5段階評価でいえば文句なく5です。これまでの旅の中でこれだけのクォリティの高い観光地を私は見たことがありません。〝完璧です〟と言いたいところですが、それでは黒川温泉のさらなる進歩がありません。そこで黒川温泉のさらなる発展のために申し上げます。それとすべてにわたって今回の旅が満足したかといえば、もちろん不満な点が一つもなかったわけではありません。それも胸の内にしまっておくのではなく、申し上げます。

   まず、今のクォリティの高さを維持し、更に高めていってほしい。今の〝黒川温泉〟は、もう確固とした一つのブランドになっています。このブランド力を落とすのは簡単です。一つの旅館が稼動率を高めるために、目立つよう大きな看板とのぼり旗をつけ、それを組合が許してしまったら今の景観は崩れ、全体のクォリティは下がり、ブランド力は落ちます。現在の景観をしっかり維持することでブランド力は守られます。しっかり建物をメンテナンスし、景観を維持し続けながら歳月を重ねることで、街としての風格が更に高まるでしょう。

   さて、この景観でいえば二つほど気になる点がありました。一つは黒川温泉中心地周辺を散策したとき、〝どこにカメラを向けても絵になる〟と前に書きましたが、正確には〝他の観光地と比べて絵になる景観が圧倒的に多い〟です。景観で気になったところがあります。田の原川沿いの道を目に入る風景を楽しみながら散策していて丸鈴橋を進んで行くと左手に旧小国街道沿いにある某旅館の姿が見えてきます。旧小国街道を通った時は、2階建てで〝和〟の雰囲気を感じたのですが、反対側の下から見上げると4階建になります。この方向から見るといわゆる箱物の建物に見えてしまって絵にならず、失礼ですが邪魔な景観に感じました。確かに4層の建物て和の雰囲気を出すのは難しいと思いますが。下手な細工ではお城になってしまいます。お堀もない温泉地に突然お城では調和しません。それから後藤哲也さんの本で紹介していた2004年に完成した3階建の新明館の従業員寮。本では「黒川の全体像に合わせるように、外壁は黒い板張りにして民家のたたずまいを出し・・・窓には格子を打つなど思いっきり重厚な作りにしました。」とある。ワクワクして地図で表示されているところに行ったのですが、どうも書いてある内容と実際の姿が違う。表札がなかったので新明館のフロントの女性に確認したら「場所は間違いない」という。後藤さんが本で紹介した景観はどこへ行ってしまったのでしょうか。私には実際見えた景観は〝写真を撮るほどではないか〟というものでした。この私のこの要求は一般的な観光地のレベルのところでは、少し〝酷〟でしょう。しかし、私は黒川温泉が世界的に一級といわれる観光地になってほしい、インターナショナルで伍していける観光地になってほしいと思うからです。その潜在能力があると思うからです。

    さて、もう一つが従業員の接遇、接客応対の問題です。今どこの業界でも人材を確保できず慢性的な人不足に悩まされています。それはこの黒川温泉においても同じでしょう。場所が山里離れていることもあって新明館始め今度泊まったX荘においても従業員寮をしっかり確保していて、その負担は大変だと思います。従業員に過重な労働条件であったり、賃金が低すぎたりしたら優秀な人材が定着してくれません。それは今どこの業界も同じです。そうした問題があることを承知で、今回の黒川温泉の宿泊先の事例を書きます。初日の夕食で最初に応対してくれたのが、県外から来てこの7月1日から働き始めたばかりのNさん。初日夕食の後半と翌日の朝食と夕食を担当したのが、やはり地元の人でなくここ最近黒川温泉で働き始めたばかりの70過ぎのおばさんスタッフさん。私の方はというと、後藤哲也さんの本を読んで感激し、強い思い入れがある。地元の人の生の声でその人柄を知ろうと思い、スタッフである中居さんに〝後藤哲也さん〟について聞く。そう、私の中の〝旅の物語〟を本格スタートさせたわけです。と思っていたら二人とも後藤哲也さんを知らないという。拍子抜けです。それでもNさんは、知らなかったことを申し訳ないという表情になり、私の話す後藤哲也さんのことをしっかり聞いてくれます。これなら話す方も話しがいがあり、コミュニケーションは成立しています。しかし、その後のおばさんスタッフさんとはコミュニケーション不成立でした。持ってきた料理を一通り説明すると「失礼します」といって食事場所の個室から直ぐ出てしまう。「どこから来たんですか」「遠くから大変でしたね」などの言葉はない。しかも目線はこちらをちらっと見るだけで合わせてくれない。私たちとは話したくないのかと悲しくなる。もちろんお客様の中には「型通りの挨拶ややりとりはいいから早く家族だけで会話を楽しみたい」という人も多いでしょう。また私も経験がありましたが、お客様と直接接する仕事で若い新人さんの場合、お客様から直接質問されるのが怖いから質問されないよう売り場通路を素早く歩いてしまうという例はある。しかし、70過ぎのおばさんではそんな感覚では困ります。そんなわけで私の中の〝旅の物語〟は物語の成立なく、ぷっつりと切れかかってしまいました。旅館として館内の雰囲気はなかなかのものがある。5段階評価で5をつけていい。食事内容もいい。こちらも評価5でいい。黒川温泉に強い思い入れを持ってきた私として料理を目の前にして〝やっぱり黒川温泉はすばらしい〟と思っていたところでした。当然スタッフの皆さんともすてきな旅の物語の1ページとなる会話ができることを期待した。しかし期待と違った。この応対のためにトータルで5はつけられないのです。例えばレストランで食事内容は極めていいのに店内の雰囲気が良くないという例がたまにある。この場合もトータルの評価は5には決してならない。「もう二度と行かない」と思うことすらある。今回の場合お互いの〝思い〟の違いからくるすれ違いで、たぶん今そのスタッフの方にその時のことを聞いてみても「普段通りで特に失礼な対応はありませんでした」と言うと思います。当事者の私が言うのも変ですが、接遇、応対とは本当に難しいと思います。

   ここで少し話が変わりますが、〝接遇〟関連で昨年イギリス人で現在小西美術工藝社社長に就任しているデービット・アトキンソンさんが執筆して話題になった「新・観光立国論」という本があります。少し関係するので話しが長くなりますが、その1節を紹介しましょう。その第4章に〝おもてなし〟に関することが書かれています。その中で紹介されているのが2011年に日本生産性本部がアメリカ、中国、フランスを対象に「おもてなし」についてのアンケート調査を行った結果です。その内容は、外国の人が私たち日本人が考えているほどホテルや旅館、レストランなどで受けた〝おもてなし〟を評価していないということです。むしろ、日本のホテルや旅館、レストランなどは、一方的に日本人のやり方やサービスを押し付ける、臨機応変が利かない、かた苦しいなど酷評されているケースのほうが多いといっています。外国人が評価しているのは、あくまで「日本人の礼儀正しさや親切さ」であって、日本という国に「おもてなし」という高いホスピタリティの文化があるなどと思っている人は、かなり少数派だということです。今、日本のテレビの番組を見ていると、外国人の日本に対する評価など十分な現状の考察がないまま「日本のおもてなしは最高だ」と自画自賛しているように見えます。確かに外国人から〝日本はすばらしい〟と評価されるのは耳触りが良く、素直にうれしい。逆に貶されると悔しいし悲しい。
   もう一つ同じ4章で日本のレストランでのことがいくつか紹介されている。日本のレストランに5人位のグループで行き、メニューを決め注文する。そして出来上がった料理を持ってきて「◯◯のお客様」と聞いて客からのリアクションを確認してテーブルに置いるのに驚くという。日本人の私としては、この光景はごく当たり前で、アトキンソンさんがその光景に驚くということに逆に驚く。しかし、海外では4〜5人から注文したメニューをしっかり把握し、料理が出来上がったら注文した人の前に正しく置く。それが基本中の基本だという。また、海外のレストラン(特にヨーロッパで)ではスタッフは客から「すみません」と言われて動くのは失格とされる。それから海外ではレストランでの食事後会計時に「How is /was  everything?」(何かご不満な点はありませんでしたか?)と聞かれるが、日本で聞かれたことは一度もないという。確かに私も日本にいて、レストランや旅館でそんなことを訊かれたことは一度も記憶にない。その代わり日本では、旅館の部屋に、レストランでは座ったテーブルの上にお決まりのアンケート用紙があって意見を書けるようになっている。しかし、本当に意見として伝えるには事例を具体的に、文章も内容が間違っていないか良く検討しなければならない。文章としてまとめるのは大変な労力です。その大変な労力をお客様に押し付けていることなのです。従ってほとんどのお客はアンケートなど書かない。文章で具体的な意見を書いてくれる人がどれだけいるでしょうか。しかもそのアンケートの意見を読む時、お客はもういないので緊張感はなく、店や旅館の都合で対応できる。多くの場合何も変わらないのではないか。本当にお客の声を聴き、店や施設の改善につなげていこうと思うならお客との会話のやりとりの中で不満の声を聴き出し、改善につなげていくべきです。日本人は、お客様から率直に意見を言われた場合、そこからの会話力を通してより深くその内容を理解し、現状の改善につなげていくような姿勢の人は極めて少ない。そう、自分の店のことでお客様から直接いろいろ意見を言われることを嫌う。褒めてくれるの言葉なら聞いてもいい。でも「意見、クレームはアンケート用紙にどうぞ」の姿勢に多くの人がなっているのではと思っています。

 

    済みません。話がどんどん長くなってしまいます。実はまだまだ話を続けたい。接遇のことについても更に続けたい。また、 先ほど紹介したデービッド・アトキンソンさんは「日本は観光に関しては後進国だ」と言っていますが、私も同感に思っています。ぜひそのことについて触れたかった。それから全国の観光地について現状の課題について自分なりに意見を言いたかった。そして、その上で「黒川温泉に学べ」と言いいたいのです。しかし、それはこの投稿の続編という形にして改めて書くようにします。

   今、ミシュラン・グリーンガイド・日本版の最新版を見ています。それを見ると温泉地で星3つのところは別府のひょうたん温泉のみです(見落としがあったら失礼)。星2つが城崎温泉由布院、竹瓦温泉、そして黒川温泉です。ちなみに草津温泉有馬温泉もガイドで紹介されていますが星数無しです。それから私は神奈川に30年以上いたので〝あれっ〟と思ったのですが、ガイドに神奈川県の西端にある湯河原と真鶴(こちらは温泉はないが)が星無しですが紹介されている。しかし、昔温泉地の年間集客数で日本一を誇った隣の静岡県熱海は名前すら紹介されていない。外国の人に紹介するに値しないということでしょうか。かなり手厳しい。私は黒川温泉が世界に伍する観光地を目指してほしいと思っています。それが目的ではなく、あくまで一つの目標としてですが〝星三つ〟を目指してほしいと思っています。星二つの中でそれに最も近いのが黒川温泉だと思っています。おこがましいですが、そのための私なりの施策も書いてみたい(基本的には後藤哲也さんのやってきたことを踏襲し、より徹底させるということですが)。そんなことも合わせて続編の投稿で書いてみたいと思います。続編のタイトルは「黒川温泉に学べ(仮称)」で。

   それではここで黒川温泉編の第1回を終わります。

 

 

 

🔶「超訳 ニーチェの言葉」〝抜粋〟

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   今から何年か前にベストセラーになった「超訳  ニーチェの言葉」(白鳥 春彦 編訳)を紹介します。哲学者「フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ」について、彼のさまざまな著作から訳者白鳥さんが抜粋選択して紹介した本です。ニーチェの言葉(文章)は、哲学者であっても表現は抽象的なところがなく、具体的で分かりやすいです。しかも文章は簡潔で詩のようなリズムがあります。

    例えば、「III.生について」にこんな一節があります。

                       ◇ いつかは死ぬのだから

   死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう。
   いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。
   時間は限られているのだからチャンスはいつも今だ。
   嘆きわめくことなんか、オペラの役者にまかせておけ。〈力への意志

 

  〝いま〟をポジティブにしっかり生きることを軽快なリズムで表していて、フレーズとして覚えたい一節です。

   あるいは「VII.人について」の中にこんな一節もあります。

                               ◇ 街へ出よう

   雑踏の中へ入れ。人の輪の中へ行け。みんながいる場所へ向かえ。
   みんなの中で、大勢の人の中で、きみはもっ
となめらかな人間になり、きっちりとした新しい人間になれるだろう。
    孤独でいるのはよくない。孤独はきみをだら
しなくしてしまう。孤独は人間を腐らせてだめにしてしまう。さあ、部屋を出て、街へ出かけ よう。〈デォオ二ュソスの歌〉

 

   この一節、なんだか本当に街の中に行きたくなる気分にさせます。この一節が私自身の生活行動を変えさせた点があります。私は8年前に単身で伊勢に来て生活していますが、当初は節約のためもあって休みの日もすべて自炊をしていました。それがこの本を読んだことがきっかけとなって、休みの日のランチは外に出でとるようになりました。もう伊勢とその周辺で200店舗程になります。しょうもない店もありますが、大半の店で働く人の頑張っている姿に刺激されます。とりわけ印象に残っているのが、ある店で働く〝西井さん〟という73歳になるおばさんです。店に入るお客様を入口でお迎えし、テーブルまで案内・誘導。注文から料理出しまで手際よく行い、合間には新人パートさんへの指導も静かな口調で行っている。あまりに見事で感動しました。私は現在62歳ですが、西井さんはこれからの人生の〝良き手本〟です。今は私も西井さんのように70過ぎても働けるまで働き続けたいと思っています。

 

   さて、この本ですが私が4年ほど前に図書館で借りて読み、とても気にいったものです。もともと訳者がニーチェ著作から厳選し抜粋した本ですが、更に私がいつでもどこでも短い時間で見られるようスマホアプリの「メモ」に、本の中から特に自分の印象に残ったものを抜粋してまとめてみました。でも、良い本、良い言葉というのは他の人にも伝えたくなるものです。そこで生まれて初めてブログで自分のスマホメモに残したものを公開することにしました。

   ニーチェの言葉は分かりやすい表現で簡潔に書かれているので、どんどん読むことができると思います。是非通読してみて下さい。しかし、問題があります。通読しやすいということは、意外に記憶に残りにくいということでもあります。ですから通読後は最初に戻って、改めて一項目ずつ考えながら読むことをおすすめします。朝起きて先ず10分間、あるいは出勤途中の電車の中で10分、仕事前に1日1項目ずつ読み、それについて自分なりに思索してみるのです。あるいは仕事帰りの電車の中で、寝る前の時間でもかまいません。何項目も読みすぎると自分のものにならないので、毎日1項目に絞って継続することが効果的です。そんな訳でニーチェの各言葉毎に「◯日目」を加えました。元本は232項目で構成されていますが、54項目を抜粋しました。従って「54日目」まであり、一日一項目で2カ月弱です。もちろん、本、文章の読み方は人それぞれです。読み方まで強制出来ません。なので「◯日目」は無視して結構です。単に通し番号と思ってください。それから〝ニーチェの言葉〟それぞれに私のコメントありません。言葉の捉え方は十人十色です。それぞれが自分なりに哲学してください。

   それから出来たら是非白鳥春彦さん編訳の「超訳   ニーチェの言葉」(発行  ㍿ ディスカヴァー・ツゥエンティワン)の購読をおすすめします。そして、自分なりの「ニーチェの言葉」〝抜粋〟を作ってブログに投稿してみて下さい。また違った「ニーチェの言葉」〝抜粋〟が出来ます。きっと面白いと思います。  

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🔶I .  己について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸


《1日目》
◇ 初めの一歩は自分への尊敬から


   自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。

   そうではなく、最初に自分を尊敬することから始めよう。まだ何もしていない自分を、人間として尊敬するんだ。

   自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。
   そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。
   それは自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊敬しよう。
                              〈力への意志

 

 

《2日目》
◇ 一日の終わりに反省しない


    仕事を終えて、じっくりと反省する。一日が終わって、その一日を振り返って反省する。すると、自分や他人のアラが目について、ついにはウツになる。自分のダメさにも怒りを感じ、あいつは憎たらしいと思ったりする。たいていは、不快で暗い結果にたどりりつく。
   なぜかというと、冷静に反省したりしたからなどでは決してない。単に疲れているからだ。疲れきったときにする反省などすべてウツへの落とし穴でしかない。疲れているときは反省をしたり、振り返ったり、ましてや日記など書くべきではない。
   活発に活動しているとき、何かに夢中になって打ち込んでいるとき、楽しんでいるとき、反省したり、振り返って考えたりしない。だから、自分をだめだと思ったり人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときはさっさと自分を休ませなければいけない。
                                   〈曙光〉

 

 

《3日目》
◇ 自分の主人となれ


   勘違いしてはならない。自制心という言葉を知っているだけで、なにがしか自制できているわけではない。自制は、自分が現実に行うそのもののことだ。
   一日に一つ、何か小さなことを断念する。最低でもそのくらいのことが容易にできないと、自制心があるということにはならない。また、小さな事柄に関して自制できないと、大きな事柄に関して上手に自制して成功できるはずもない。
   自制できるということは、自分をコントロールできるということだ。自分の中に巣くう欲望を自分で制御する。欲望の言いなりになったりせず、自分がちゃんと自分の行動の主人になるということだ。
                             〈漂白者とその影〉

 

 

《4日目》
◇ 自分の「何故」を知れば道が見える


   多くの方法論の本を読んでも有名な経営者や金持ちのやり方を学んできても、自分のやり方や方法がわからない。これは当然のことで、薬ひとつにしてもその人の体質に合わない場合がある。他人のやり方が自分に合わないのは不思議なことではない。
   問題はまず、自分の「なぜ」がちっともわかっていないということにある。自分がなぜそれをやりたいのか、なぜそれを望むのか、なぜそうなりたいのかなぜその道を行きたいのか、ということについて深く考えてないし、しっかりつかんでいないからだ。
   その自分の「なぜ」さえはっきりつかめていれば、あとはもう簡単だ。どのようにやるのかなんてすぐにわかってくる。わざわざ他人の真似をして時間をつぶすこともない。もう自分の目で自分の道がはっきりと見えているのだから、あとは歩いていけばいいだけになる。
                               〈偶像の黄昏〉

 

 

《5日目》

◇ 自分を知ることから始めよう


   自分についてごまかしたり、自分に嘘をついたりしてやりすごすべきではない。自分に対してはいつも誠実であり、自分がいったいどういう人間なのか、どういう心の癖があり、どういう考え方や反応をするのか、よく知っておくべきだ。

   なぜならば、自分をよく知っていないと、愛を愛として感じられなくなってしまうからだ。愛するために、愛されるためにまずは自分を知ることから始めるのだ。自分さえ知らずして、相手を知ることなどできないのだから。
                                 〈曙光〉

 

 

《6日目》

◇ 恐怖心は自分の中から生まれる


   この世の中に生まれる悪の四分の三は、恐怖心から起きている。
   恐怖心を持っているから、体験したことのある多くの事柄について、なおまだ苦しんでいるのだ。それどころか、まだ体験していないことにすら恐れ苦しんでいる。
   しかし、恐怖心の正体というのは、実は自分の心のありようなのだ。もちろんそれは、自分でいかようにも変えることができる。自分自身の心なのだから。
                                   〈曙光〉

 

 

🔶II .  喜について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《7日目》
◇ 喜び方がまだ足りない


   もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。喜ぶことは気持ちいいし、体の免疫力だって上がる。

    恥ずかしがらず、我慢せず、遠慮せず、喜ぼう。笑おう。にこにこしよう。素直な気持ちになって、子供のように喜ぼう。
   喜べば、くだらないことを忘れることができる。他人への嫌悪や憎しみも薄くなっていく。周囲の人々も嬉しくなるほどに喜ぼう。
   喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう。
                 〈ツァラトゥストラはかく語りき

 

 

《8日目》

◇ 誰もが喜べる喜びを


   わたしたちの喜びは、他の人々の役に立っているだろうか。
   わたしたちの喜びが、他の人の悔しさや悲しさをいっそう増したり、侮辱になったりしていないだろうか。
   わたしたちは、本当に喜ぶべきことを喜んでいるだろうか。
   他人の不幸や災厄を喜んではいないだろうか。復讐心や軽蔑 心や差別の心を満足させる喜びになってはいないだろうか。
                                〈力への意志

 

 

《9日目》

◇ この瞬間を楽しもう


    楽しまないというのはよくないことだ。つらいことからいったん目をそむけてでも、今をちゃんと楽しむべきだ。

   たとえば、家庭の中に楽しまない人がたった一人いるだけで誰かが鬱々としているだけで、家庭はどんよりと暗く不快な場所になってしまう。もちろん、グループや組織においても同じようになるものだ。
   できるだけ幸福に生きよう。そのためにも、とりあえず今は楽しもう。素直に笑い、この瞬間を全身で楽しんでおこう。
                               〈悦ばしき知識〉

 

 

🔶III .  生について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《10日目》
◇ 始めるから始める


   すべて、初めは危険だ。しかし、とにかく始めなければ始まらない。
                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《11日目》

◇ 少しの悔いもない生き方を


    今のこの人生を、もう一度そっくりそのままくり返してもかまわないという生き方をしてみよ。
                 〈ツァラトゥストラはかく語りき

 

 

《12日目》 

◇ 安易な人生を送りたいなら

 

   この人生を簡単に、そして安楽に過ごしていきたいというのか。

    だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。

   そして、いつも群衆と一緒につるんで、ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい。

                                〈力への意志

 

 

《13日目》

◇ 職業がくれる一つの恵み

 

    自分の職業に専念することは、よけいな事柄を考えないようにさせてくれるものだ。その意味で、職業を持っていることは、一つの大きな恵みとなる。

   人生や生活上の憂いに襲われたとき、慣れた職業に没頭することによって、現実問題がもたらす圧迫や心配事からそっぽを向いて引きこもることができる。

   苦しいなら、逃げてかまわないのだ。戦い続けて苦しんだからといって、それに見合うように事情が好転するとは限らない。自分の心をいじめすぎてはいけない。自分に与えられた職業を没頭することで心配事から逃げているうちに、きっと何かが変わってくる。

                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《14日目》 

◇ 計画は実行しながら練り直せ

 

   計画を立てるのはとても楽しく、快感をともなう。長期の旅行の計画を立てたり、自分の気に入るような家を想像したり、成功する仕事の計画を綿密に立てたり、人生の計画を立てたり、どれもこれもわくわくするし、夢や希望に満ちた作業だ。

   しかし、楽しい計画づくりだけで人生は終始するわけではない。生きていく以上は、その計画を実行しなければならないのだ。そうでなければ、誰かの計画を実行するための手伝いをさせられることになる。

   そして、計画が実行される段になると、さまざまな障碍(しょうがい)、つまずき、忿懣(ふんまん)、幻滅などが現れてくる。それらを一つずつ克服していくか、途中であきらめるしかない。

   では、どうすればいいのか。実行しながら、計画を練り直していけばいいのだ。こうすれば、楽しみながら計画を実行していける。

                       〈さまざまな意見と箴言

 

 

《15日目》

◇生活を重んじる

 
   わたしたちは、慣れきっている事柄、つまり衣食住に関してあまりにおろそかにしがちだ。ひどい場所には、生きるために食っているとか、情欲ゆえに子供を産むなどと考えたり言ったりする人もいるくらいだ。そういう人たちは、ふだんの生活の大部分は堕落であり、何か別の高尚なことが他にあるかのように言う。

   しかしわたしたちは、人生の土台をしっかり支えている衣食住という生活にもっと真摯な眼差しを向けるべきだ。もっと考え、反省し、改良を重ね、知性と芸術的感性を生活の基本に差し向けようではないか。衣食住こそがわたしたちを生かし、現実にこの人生を歩ませているのだから。
                            〈漂泊者とその影〉

 

 

《16日目》

◇ いつかは死ぬのだから


    死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう。
   いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。
   時間は限られているのだからチャンスはいつも今だ。
   嘆きわめくことなんか、オペラの役者にまかせておけ。
                                 〈力への意志

 

 

🔶IV.  心について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《17日目》
◇ かろやかな心を持つ


   何か創造的な事柄にあたるときにはもちろん、いつもの仕事をする場合でも、かろやかな心を持っているとうまくいく。それはのびのびと飛翔する心、つまらない制限などかえりみない自由な心だ。
   生まれつきこの心を萎縮させずに保っているのが望ましい。そうすれば、さまざまなことが軽々とできる人になれるだろう。

  しかし、そんな軽やかな心を持っていないと自覚しているなら、多くの知識に触れたり、多くの芸術に触れるようにしよう。すると、わたしたちの心は徐々に軽やかさを持つようになっていくからだ。
                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《18日目》

◇ 日々の歴史をつくる

 

   わたしたちは歴史というものを自分とはほとんど関係のない遠く離れたもののように思っている。あるいは、図書館に並んだ古びた書物の中にあるもののように感じている。

   しかし、わたしたちひとりひとりにも確かな歴史があるのだ。それは、日々の歴史だ。今のこの一日に、自分が何をどのように行うかがこの日々の歴史の一頁分になるのだ。

   おじけづいて着手せずにこの一日を終えるのか、怠慢のまま送ってしまうのか、あるいは、勇猛にチャレンジしてみるのか、きのうよりもずっとうまく工夫して何かを行うのか。その態度ひとつひとつが、自分の日々の歴史をつくるのだ。

                            〈悦ばしき知識〉

 

 

《19日目》

◇ 心の生活習慣を変える

 

    毎日の小さな習慣のくり返しが、慢性的な病気をつくる。

    それと同じように、毎日の心の小さな習慣的なくり返しが、魂を病気にしたり、健康にしたりする。

   たとえば、日に十回自分の周囲の人々に冷たい言葉を浴びせているならば、今日からは日に十回は周囲の人々を喜ばせるようにしようではないか。

   そうすると、自分の魂が治療されるばかりでなく、周囲の人々の心も状況も、確実に好転していくのだ。

                                     〈曙光〉

 

 

《20日目》 

◇ おじけづいたら負ける


 「ああ、もう道はない」と思えば、打開への道があったとしても、急に見えなくなるものだ。
 「危ないっ」と思えば、安全な場所はなくなる。
 「これで終わりか」と思い込んだら、終わりの入口に足を差し入れることになる。
 「どうしよう」と思えば、たちまちにしてベストな対処方法が見つからなくなる。
    いずれにしても、おじけづいたら負ける、破滅する。
    相手が強すぎるから、事態が今までになく困難だから、状況があまりにも悪すぎるから、逆転できる条件がそろわないから負けるのではない。
    心が恐れを抱き、おじけづいたときに、自分から自然と破滅や敗北の道を選ぶようになってしまうのだ。
             〈たわむれ、たばかり、意趣ばらし〉

 

 

《21日目》

 ◇ 心は態度に現れている

 

   ことさらに極端な行為、おおげさな態度をする人には虚栄心がある。自分を大きく見せること、自分に力があること、自分が何か特別な存在であることを人に印象づけたいのだ。実際には内には何もないのだが。

   細かい事柄にとらわれる人は気遣いがあるとか、何事にも繊細だというふうに見えることもあるが、内実は恐怖心を抱いている。何か失敗するのではないかという恐れがある。あるいは、どんな事柄にも自分以外の人が関わるとうまくはいかないと思っていて、内心で人を見下している場合もある。

                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《22日目》

◇ 飽きるのは自分の成長が止まっているから


   なかなか簡単には手に入らないようなものほど欲しくなるものだ。
   しかし、いったん自分のものとなり、少しばかり時間がたつと、つまらないもののように感じ始める。それが物であっても人間であってもだ。
   すでに手に入れて、慣れてしまったから飽きるのだ。けれどもそれは、本当は自分自身に飽きているということだ。手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。すなわち、それに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ。つまり、自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる。
   そうではなく、人間として成長し続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ。
                               〈悦ばしき知識〉

 

 

《23日目》

◇ 精神の自由をつかむためには

 

   本当に自由になりたければ、自分の感情をなんとか縛りつけて勝手に動かないようにしておく必要がある。

   感情を野放しにしておくと、そのつどの感情が自分を振り回し、あるいは感情的な一方向にのみ顔を向けさせ、結局は自分を不自由にしてしまうからだ。

   精神的に自由であり、自在に考えることができる人はみな、このことをよく知って実践している。

                                  〈善悪の彼岸

 

🔶V .  友について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《24日目》
◇ 友人をつくる方法


   共に苦しむのではない。共に喜ぶのだ。

   そうすれば友人がつくれる。
   しかし嫉妬とうぬぼれは、友人をなくしてしまうからご注意を。
                  〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《25日目》

◇ 友人と話そう


    友人とたくさん話そう。いろんなことを話そう。それはたんなるお喋りではない。自分の話したことは、自分が信じたいと思っている具体的な事柄なのだ腹を割って友人と話すことで、自分が何をどう考えているかがはっきりと見えてくる。
    また、その人を自分の友人とすることは、自分がその友人の中に尊敬すべきもの、人間としてなんらかの憧れを抱いているということだ。それゆえ、友人を持ち、互いに話し合い、互いに尊敬していくのは、人間が高まるうえでとても大切なことだと言える。
                 〈ツァラトゥストラはかく語りき

 

 

《26日目》

◇ 四つの徳を持て


   自分自身と友人に対しては、いつも誠実であれ。
   敵に対しては勇気を持て。
   敗者に対しては、寛容さを持て。
   その他あらゆる場合については、常に礼儀を保て。
                                       〈曙光〉

 

 

《27日目》

◇ 必要な鈍さ


   いつも敏感で鋭くある必要はない。特に人との交わりにおいては、相手のなんらかの行為や考えの動機を見抜いていても知らぬふうでいるような、一種の偽りの鈍さが必要だ。
   また、言葉をできるだけ好意的に解釈することだ。
   そして、相手をたいせつな人として扱う。しかし、こちらが気を遣っているふうには決して見せない。相手よりも鈍い感じでいる。

   これらは社交のコツであるし人へのいたわりともなる。
                  〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《28日目》

◇ 友情の才能が良い結婚を呼ぶ

 

   子供というものは、人間関係を商売や利害関係や恋愛から始めたりなんかしない。まずは友達関係からだ。楽しく遊んだり、喧嘩したり、慰め合ったり、競争したり、互いに案じたり、いろんなことが二人の間に友情というものをつくる。そして、互いに友達になる。離れていても、友達でなくなることはない。

   良い友達関係を続けていくことは、とってもたいせつだ。というのも、友達関係や友情は、他の人間との関係の基礎になるからだ。

   こうして良い友達関係は、良い結婚を続けていく基礎にもなる。なぜならば結婚生活は、男女の特別な人間関係でありながらも、その土台には友情を育てるという才能がどうしても必要になるからだ。

   したがって、良い結婚になるかどうかを環境や相手のせいにしたりするのは、自分の責任を忘れたまったくの勘違いということになる。

                  〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

🔶VI . 世について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《29日目》
◇ 安定志向が人と組織を腐らせる


   類は友を呼ぶというけれど、同じ考えの者ばかりが集まり、互いを認めあって満足していると、そこはぬくぬくとした閉鎖空間となってしまい、新しい考えや発想が出てくることはまずなくなる。
   また、組織の年長者が自分の考えと同じ意見を持つ若者ばかりを引き立てるようになると、その若者も組織も、確実にだめになってしまう。
   反対意見や新しい異質な発想を恐れ、自分たちの安定のみに向かうような姿勢は、かえって組織や人を根元から腐らせてしまい、急速に頽廃と破滅をうながすことになる。
                                    〈曙光〉

 

 

《30日目》

◇ つまらないことに苦しまない


   暑いの反対は寒い。明るいの反対は暗い。大きいの反対は小さい。これらは相対的概念を使った一種の言葉遊びだ。現実もこれと同じだと思ってはいけない。
   たとえば、〝暑い〟は〝寒い〟に対立しているのではないということだ。この両者は、ある現象が自分に感じられる程度の差をわかりやすく表現しているにすぎない。
   それなのに、現実もこのように対立していると思い込んでしまうと、ちょっとした手数の多さが困難や苦労となり、ささいな変化が大きな苦しみとなり、たんなる距離が、疎遠や絶縁につながってしまう。
   そして多くの悩みは、この程度の差に気づかない人々の不平不満なのである。
                              〈漂泊者とその影〉

 

 

《31日目》

◇ 組織をはみだす人


   みんなが考える以上に良く考えて広い思考の幅を持っている人は、組織や派閥に属する人間としては不向きだ。なぜならばそういう人は、いつのまにか組織や党派の利害を越え、いっそう広く考えるようになっているからだ。
   組織や派閥というものは、考え方においても人を枠にはめておくのがふつうだ。それはドングリの集合体のようなものであるし、小魚の群れのようなものでもある。

   だから、考え方の問題で組織になじまなくなっても、自分だけがおかしいと思う必要などない。それは、組織の狭い世界を越えた広い次元に達したということなのだから。
                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《32日目》

◇ つごうのいい解釈

 

 「隣人を愛せよ」

   このような言葉を聞いてもおおかたの人は、自分の隣人ではなく、隣人の隣に住む人、あるいはもっと遠くに住む人を愛そうとする。

   なぜならば、自分の隣人はうざったいからであり、愛したくないからである。にもかかわらず、遠くの人を愛することで、自分は隣人愛を実践していると思い込む。

   人は何事も自分のつごうのよいように解釈する。このことを知っていれば、いくら正論を並べても、それが実現化されることが少ないのが理解できるだろう。

                               〈善悪の彼岸

 


🔶 VII. 人について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《33日目》

◇ 人のことをあれこれ考えすぎない


   他人をあれこれと判断しないこと。他人の値踏みもしないこと。人の噂話もしないこと。
    あの人はどうのこうのといつまでも考えないこと。
   そのような想像や考えをできるだけ少なくすること。

   こういう点に、良き人間性のしるしがある。
                                     〈曙光〉

 

 

《34日目》

◇ 自己コントロールは自由にできる


    怒りっぽい人、神経質な人はまさにそういう性格を持った人であり、そのような性格はずっと変わらないものだとわたしたちは信じている。そこには、わたしたち人間が成長しきったものであるという根強い考えがある。人の性格は変えられないと思っている。
   しかし、たとえば怒りというものは、いっときの衝動だから自分で好きなように処理できるものだ。怒りをそのまま表に出せば、短気な人間のふるまいになる。ところが、他の形に変えて外に出すことができできる。抑えこんで消えるまで待つこともできる。
   怒りのような衝動の他に、自分に湧いてくる他の感情や気持ちもまた同じで、わたしたちは自由に処理したり、扱ったりできるのだ。まるで、わたしたちの庭に生えてくるさまざまな植物や花を整えたり、木々の葉をもぎ取ったりするかのように。
                                    〈曙光〉

 

 

《35日目》

◇ 強くなるための悪や毒


    天高く聳えようとする樹木。そういう木々が成長するためにひどい嵐や荒れる天候なしにすますことができるのだろうか。

   稲が実るために、豪雨や強い陽射しや台風や稲妻はまったく必要ないのだろうか。
   人生の中でのさまざまな悪や毒。それらはないほうがましでないほうが人は健全に強く育つのだろうか。
   憎悪、嫉妬、我執、不信、冷淡、貪欲、暴力。あるいは、あらゆる意味での不利な条件、多くの障碍。これらはたいていうとましく、悩みの種になるものだが、まったくないほうが人は強い人間になれるのだろうか。
   いや、それら悪や毒こそが、人に克服する機会と力を与え、人がこの世を生きていくために強くしてくれるものなのだ。
                              〈悦ばしき知識〉

 

 

《36日目》

◇怠惰から生まれる信念


   積極的な情熱が意見を形づくり、ついには主義主張というものを生む。たいせつなのは、そのあとだ。

   自分の意見や主張を全面的に認めてもらいたいがために、いつまでもこだわっていると、意見や主義主張はこりかたまり、信念というものに変化してしまう。
   信念がある人というのはなんとなく偉いように思われているが、その人は、自分のかつての意見をずっと持っているいるだけであり、その時点から精神が止まってしまっている人なのだ。つまり、精神の怠惰が信念をつくっているというわけだ。
   どんなに正しそうに見える意見も主張も、絶えず新陳代謝をくり返し、時代の変化の中で考え直され、つくり直されていかなければならない。
                  〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《37日目》

◇ 街へ出よう


   雑踏の中へ入れ。人の輪の中へ行け。みんながいる場所へ向かえ。
   みんなの中で、大勢の人の中で、きみはもっとなめらかな人間になり、きっちりとした新しい人間になれるだろう。
   孤独でいるのはよくない。孤独はきみをだらしなくしてしまう。孤独は人間を腐らせてだめにしてしまう。さあ、部屋を出て、街へ出かけよう。
                         〈デォオ二ュソスの歌〉

 

 

🔶 VIII. 愛について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《38日目》

◇ そのままの相手を愛する


    愛するとは、若く美しい者を好んで手に入れたがったり、すぐれた者をなんとか自分のものにしようとしたり、自分の影響下に置こうとすることではない。

   愛することはまた、自分と似たような者を探したり、嗅ぎ分けたりすることでもないし、自分を好む者を好んで受け入れることでもない。
   愛するとは、自分とはまったく正反対に生きている者を、その状態のままに喜ぶことだ。自分とは逆の感性を持っている人をも、その感性のままに喜ぶことだ。
   愛を使って二人の違いを埋めたり、どちらかを引っ込めさせるのではなく、両者のちがいのままに喜ぶのが愛することなのだ。
                               〈漂泊者とその影〉

 

 

《39日目》

◇ 愛の病には


    愛をめぐるさまざまな問題で悩んでいるのなら、たった一つの確実な治療法がある。

   それは、自分からもっと多くもっと広く、もっと暖かく、そしていっそう強く愛してあげることだ。
   愛には愛が最もよく効くのだから。
                                    〈曙光〉

 

 

《40日目》

◇ 愛の成長に体を合わせる


   性欲に身をまかせてしまうのはすこぶる危険だ。というのは性欲だけが二人の絆となってしまい、本来の本当の絆であるべき愛が忘れ去られてしまうからだ。
   愛というのは、ちょっとずつ成長していくものだ。それより先に性欲を追い越させてはならない。愛の発達に少しだけ遅れて性欲がともなうくらいがちょうどいい。
   そうすると、相手も自分も深い愛を体とともに感じることができるのだから。それは心も体も同時に幸せになるということでもある。
                               〈善悪の彼岸

 

 

《41日目》

◇ より多くの愛を欲しがるうぬぼれ


   男と女がどちらも、もっと愛されなくてはならないのは自分のほうだと思っていると、二人の間で滑稽な喧嘩や面倒な問題が生まれてくる。
   つまり二人とも、自分のほうがすぐれているからより多く愛される価値があるといううぬぼれにひたっているのだ。
                  〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《42日目》

◇ 愛は喜びの橋


   愛とは、自分とは異なる仕方で生き、感じている人を理解して喜ぶことだ。
   自分と似た者を愛するのではなく、自分とは対立して生きている人へと喜びの橋を渡すことが愛だ。ちがいがあっても否定するのではなく、そのちがいを愛するのだ。
   自分自身の中でも同じことだ。自分の中にも絶対に交わらない対立や矛盾がある。愛はそれらに対して反撥することなく、むしろ対立や矛盾ゆえにそれを喜ぶのだ。
                      〈さまざまな意見と箴言

 

 

《43日目》

◇ずっと愛せるか


    行為は約束できるものだ。しかし、感覚は約束できない。なぜなら、感覚は意思の力では動かないものだからだ。
   よって、永遠に愛するということは約束できないように見える。しかし、愛は感覚だけではない。愛の本質は、愛するという行為そのものであるからだ。
                   〈人間的な、あまりに人間的な〉 

 

 

《44日目》

◇ 最大のうぬぼれ


   最大のうぬぼれとは何か。

   愛されたいという要求だ。

   そこには、自分は愛される価値があるのだという声高な主張がある。そういう人は、自分を他の人々よりも高い場所にいる特別な存在だと思っている。自分だけは特別に評価される資格があると思っている差別主義者だ。
                   〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《45日目》

◇ 愛することを忘れると


   人を愛することを忘れる。そうすると次には、自分の中にも愛する価値があることすら忘れてしまい、自分すら愛さなくなる。
   こうして、人間であることを終えてしまう。
                                     〈曙光〉

 

 

《46日目》

◇ 愛する人は成長する


   誰かを愛するようになると、自分の欠点やいやな部分を相手に気づかれないようにとはからう。これは虚栄心からではない。愛する人を傷つけまいとしているのだ。
   そして、相手がいつかそれに気づいて嫌悪感を抱く前に、なんとか自分で欠点を直そうとする。こうして人は、よい人間へと、あたかも神にも似た完全性に近づきつつある人間へと成長していくことができるのだ。
                             〈悦ばしき知識〉

 

 

🔶9.知について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《47日目》

◇本能という知性が命を救う


   食事をしないと、体が弱り、やがて死ぬ。睡眠が足りないないと、四日程度で体が糖尿病と変わらない状態になる。まったく眠らないでいると、三日目から幻覚を見るようになり、やがて死を迎える。
   知性はわたしたちが生きていくのを助けてくれるが、わたしたちは知性を悪用することもできる。知性はその意味で便利な道具と同じだ。
   そしてわたしたちは、本能を動物的なもの、野蛮なものとみなしがちだが、本能は確実にわたしたちの生命を救う働きだけをする。本能は大いなる救済の知性であり、誰にでも備わっているものだ。
   だから、本能こそ知性の頂点に立ち、最も知性的なものだと言えるだろう。
                                〈善悪の彼岸

 

 

 《48日目》

◇力を入れすぎない


   自分の力の四分の三ほどの力で、作品なり仕事なりを完成させるくらいがちょうどいいものが出来上がる。
   全力量を用い精魂を傾けて仕上げたものは、なんとも重苦しい印象があり、緊張を強いるものだからだ。それは一種の不快さと濁った興奮を与えることをまぬかれない。しかも、それにたずさわった人間の臭みというものがどこかついてまわる。
   しかし、四分の三程度の力で仕上げたものは、どこか大らかな余裕といったものを感じさせる、ゆったりとした作品になるそれは、一種の安心と健やかさを与える快適な印象を与える作品だ。つまり、多くの人に受け入れられやすいものが出来上がるのだ。
                    〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《49日目》

◇自分の哲学を持つな


「哲学を持つ」と一般的に言う場合、ある固まった態度や見解を持つことを意味している。しかし、それは、自分を画一化するようなものだ。
  そんな哲学を持つよりも、そのつどの人生が語りかけてくるささやかな声に耳を傾けるほうがましだ。そのほうが物事や生活の本質がよく見えてくるからだ。
   それこそ、哲学するということにほかならない。
                     〈人間的な、あまりに人間的な〉

 

 

《50日目》

◇徹底的に体験しよう


   勉強して本を読むだけで賢くなれはしない。さまざまな体験をすることによって人は賢くなる。もちろん、すべての体験が安全だというわけではない。体験することは、危険でもある。ひどい場合には、その体験の中毒や依存症になってしまうからだ。
   そして、体験しているときはその事柄に没頭することが肝心だ。途中で自分の体験について冷静に観察するのはよくない。そうでないと、しっかりと全体を体験したことにはならないからだ。
   反省だの観察だのといったことは、体験のあとでなされるべきだ。そこからようやく智慧というものが生まれてくるのだから。
                              〈漂泊者とその影〉

 

 

《51日目》

◇よく考えるために


   きちんと考える人になりたいのであれば、最低でも次の三条件が必要になる。
   人づきあいをすること。書物を読むこと。情熱を持つこと。
   これらのうちどの一つを欠いても、まともに考えることなどできないのだから。
                              〈漂泊者とその影〉

 

 

🔶10.美について🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸

 

《52日目》

◇理想や夢を捨てない


   理想を捨てるな。自分の魂の中にいる英雄を捨てるな。
   誰でも高みを目指している。理想や夢を持っている。それが過去のことだったと、青春の頃だったと、なつかしむようになってはいけない。今でも自分を高くすることをあきらめてはならない。

   いつのまにか理想や夢を捨ててしまったりすると、理想や夢を口にする他人や若者を嘲笑する心根を持つようになってしまう。心がそねみや嫉妬だけに染まり、濁ってしまう。向上する力や克己心もまた、一緒に捨て去られてしまう。
   よく生きるために、自分を侮蔑しないためにも、理想や夢を決して捨ててはならない。
                〈ツァラトゥストラはかく語りき

 

 

《53日目》

◇絶えず進んでいく


「どこから来たか」ではなく「どこへ行くか」が最も重要で価値あることだ。栄誉は、その点から与えられる。
   どんな将来を目指しているのか。今を越えて、どこまで高く行こうとするのか。どの道を切り開き、何を創造していこうとするのか。
   過去にしがみついたり、下にいる人間と見比べて自分をほめたりするな。夢を楽しそうに語るだけで何もしなかったり、そこそこの現状に満足してとどまったりするな。
   絶えず進め。より遠くへ。より高みを目指せ。
                〈ツァラトゥストラはかく語りき

 

 

《54日目》

◇自分しか証人のいない試練


   自分を試練にかけよう。人知れず、自分しか証人のいない試練に。
   たとえば、誰の目のないところでも正直に生きる。たとえば、独りの場合でも行儀よくふるまう。たとえば、自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない。
   そして多くの試練に打ち勝ったとき、自身で自分を見直し、自分が気高い存在であることがわかったとき、人は本物の自尊心を持つことができる。
   このことは、強力な自信を与えてくれる。それが自分への褒美となるのだ。
                                〈善悪の彼岸

 

 

                                  おわりに

   たいへん長くなってしまいました。最後まで読んでくれた皆さん、本当にお疲れさまでした。

   さて、これからですがやっぱり本が好きなので次のブログも本の紹介をしていきたい。最近読んだ本では、〝アドラー〟についての本で「嫌われる勇気」そして「幸せになる勇気」です。どちらも打ちのめされるような衝撃を受けました。それからイギリス人でクリストファー・ロイド氏の書いた「137億年の物語」です。これは地学、生物学、世界史を合体し、宇宙誕生のビッグバンから日本で起こった東日本大震災福島第一原子力発電所の大事故まで、全編物語的に書かれた圧倒される本です。いずれも紹介するのは難しく時間がかかりそうですがチャレンジします。